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教員を辞めるのに正当な理由などいらない

最初、この記事を書くとき、「僕が教員を辞めた理由」を書こうと思っていました。

ところが、なかなか記事が進まない。

そもそも、辞めた理由を一言で「これ」と言えない。
言えないというより、「特別な理由はない」のではと思い、タイトルを変更しました。

人は過去の記憶をマイナスに過大したり、プラスに過大したりする生き物ですし、話を美化したり、ドラマチックに仕立て上げる傾向があると考えています。それが無意識であったりもしますし、意図的であったりもします。

何に対しても、「今」志向でありたいというのもあり、

「こういう理由があって、やむを得ず辞めたんだ」
「学校、社会のこういうところに嫌気がさした」

などと理由を並べても特に意味はないと気づきました。

何か決め手になることはあっても、それだけではなく、そこまでに積み重なった要因があり、それがある出来事がきっかけとなって表に出てきて、

「辞める理由は~です」

となるのだと思います。

実際、僕も「ここに嫌気がさした」とか「ここが耐えられない」とか、気に入らないことは挙げれば、いくつもあります。

でも、そこをほじくり返したところで前向きではない、時間がもったいないという結論に至ります。

次のように考えてしまっている先生はいませんか?

「自分はこのまま教員をやめていいのだろうか?」
「周りの人はどう思うんだろうか?」
「周りに迷惑をかけるのでは?」
「こんなの辞める理由にならないんじゃないか?」

こんなふうに、気持ちはギリギリの状態にきているのに、ずるずると自分を追い込んでしまっている人がいるはずです。

そうなると、最終的には自分の意志で教員を辞めるのではなく、辞めざるを得ない状態で休職や退職に追い込まれてしまう。

それだけは避けたいです。

基本的に教員の方は責任感が強く、誠実であり、自分より人を優先する傾向にあります。ですので、上記のような思考に陥りやすいと思います。

そんな方々が少しでも気持ちが楽になり、自分の思いを第一優先で考えられるようなヒントになればと思い、実際どうだったのかを述べていきます。

教員の転職、退職は周囲から心配されることが多い

民間企業であればどうでしょう?

もちろん、まったくすっきり、きれいさっぱり、何の不安もなくということはありません。

しかし、民間企業で働く知人で転職や同業で別の会社に移った人は何人も接していますが、「へぇー、そうなんですか」というくらいで、あまり驚きもなかったと思います。

ところが、なぜか教員が途中で退職、転職となると、

「どうした?何があった?」
「だいじょうぶ?」

という心配の反応が多いです。

実際、僕自身も自分が転職しておきながら、誰かが「教員辞めた」と聞けば、「どうしたんだろう?何かあったのかなぁ?」と思ってしまう気がします。

やはり、教員、公務員は定年まで働くのが当たり前の感覚が根強いのでしょうね。

世の中が民間レベルでは、転職、副業が当たり前になったとしても、この感覚はしばらくは続いていくものだと思います。

自分の人生、時間には限りがある

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タイトルは「理由などいらない」としていますが、僕の転職の一端となった部分を紹介しておきます。

生きていれば、誰しも身内の不幸というものに遭遇します。

今、僕は40を過ぎていますが、若いころは遠い親戚だったりしてたものが、年々、近い身内の不幸というものが嫌でも増えてくるわけです。

そういうものに何度か接していて感じるのは、

「自分自身の限りある人生がどんどん進んでいる」

そんなことを実感するようになり、ただ何となく人に時間をゆだねるのではなく、「自分の道を自分で進まなきゃなぁ」と思うようになったのは確かです。

公務員ですから、転勤先を自分で決めることはできません。
現場で、これ絶対意味ないでしょ、ということもやるとなれば、やらざるを得ません。
納得できないこと、矛盾にも我慢するしかなかったり。

よく「数年我慢すれば」とか「まず3年耐えてみて」ということが言われますが、それは、

数年、あるいは3年耐えて、たまたま状況が好転した人の言葉であって、
数年後、3年後によくなる保証なんて誰にもできないんです。

そして、大概、本当に苦しんでいる人は何年も耐えた結果そうなっているのが、事実だと思います。

今は一年でも無駄にはできないですし、とっても「もう数年頑張ってみたら」なんて人には言えないですね。

「人生には限りがある」
「日々、その瞬間を大切にしたい」

と強く感じれるようになって迷いなく転職に踏み切れたという感じです。

周囲から共感を得るための理由を探す必要はない

人の目って気になりますよね。

「こんな理由であれば、周囲も納得してくれるかな」など、いろいろ考えてしまいますよね。

「周りはどう思うんだろう?生徒はどう思うんだろう?」などと。

では、僕の場合、実際どうだったかというと、

「取り越し苦労」でした。

もちろん、多少は「どうしたんだ?何かあったのか?」という反応はあります。

でも実は、ほとんどが

「いいなぁ、うらやましい」
「すごい、思い切ったね」

という反応でした。

自分が散々心配していた周囲の反応、ちょっと拍子抜けでした。
つまり、皆さんが実は、

「できることなら、違う仕事もしてみたい」
「新しいことにも挑戦したい」
「でも実際、辞めれないよねぇ」

という思いは抱いているということです。

逆に言えば、今は転職することに不安を抱いている方は、普通ではためらうこと、周囲がうらやむようなことを、

『先陣を切って挑戦している人』

これ以外の何物でもないんですよ。

そして、僕は辞める理由を問われると、「~とか、いろいろやりたいことがあって」くらいしか答えていませんでした。


一度きりの人生なんだから、やっぱり自分中心で

やはり、外側に意識を向けてしまうと、不安とか恐れ、恥ずかしさなどが勝ってしまうんですよね。

でも、自分の内側に意識を向けてみて

「自分はこうする」
「人は人」
「自分が教員辞めて転職しても来週にはみんな忘れている」
「一人辞めて誰かに迷惑がかかるようでは、組織の備えがなっていないだけ」

こんなふうに考えられたらいいですよね。
これらはポジティブに考えるというのではなく、実際そうですから。
まぎれもない事実です。

誰かが、転職して、その時は関心持ちますが、来週どころか、一時間後には忘れていますよね。もちろん、ちょくちょく思い出すことはあっても、それが何か影響を与えることなんてないと思います。

「みんな人のことより自分のこと」です。

それがあるべき姿です。

こういう考え方ができるのは、言うほど簡単ではないのは理解しています。

でも、自分の人生、特にこれまで、人を優先してきたあなただからこそ、これからはもっともっと自分中心に生きる資格があるのではないでしょうか?

『他の人がやりたくてもできないことを先陣を切ってやろうとしているすごい人』ですからね。



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