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白はいつも白ではないということ

上司が、白を黒と言ったら、あなたは肯定しますか?否定しますか?よくある質問ですが、今日はもう一歩踏み込んだ地域での話をしようと思います。

地域では、○○派といった派閥が少なからずあります。それは、仲の良し悪しを飛び越えて、別の派閥に憎悪を抱いたり、敵対感情がハンパないです。ここには、理論なんて全く関係ありません。相手が自分より正しくとも、話をすり替える等などしてそれを否定します。

僕は今の村に移住して、正論を主張することの無意味さをより感じるようになりました。だって、僕がいくら正論を語っても、相手が聞かなかったら意味がないんですもん。昨日も、それで後悔しました。

職場にて、先輩と課長が揉めていました。僕の感覚では、明らかに課長が正しいと思ったので、課長の意見に同調し、正論を語りました。僕の正論は間違えていなかったと、今でも思います。

ですが、一番ダメージを負ったのは、僕でした。実は、村には課長派閥と先輩派閥があり、僕が同調した課長派閥は弱いのです。その理由は、課長は村に住んでいないから。逆に先輩は、村に住んでいるから強いんです。村では、村に住んでいることは、優劣を決めるときの大きなアドバンテージとなります。

僕の意見が正論だったにも関わらず、僕が一番ダメージを負った理由は、ここです。昨日の議論では、一応僕の意見が通りましたが、怖いのは後から。先輩に反発したと捉えられた僕は、課長派閥と見られ、先輩派閥から警戒されます。揚げ足がとられるようになったり、失敗に対して過剰に反応されたりすることが予測されます。

本当にくだらない、と思うこともありますが、これが現実だという思いがあります。そして、正論を語ることのナンセンスさを痛感します。

では、僕はどうすればよかったのか。それは、何も言わない、ということだったと思います。否定も肯定もしない。先輩と課長が揉めるのを、指をくわえて見ていればよかったのです。

それは、自分の正義に反する、と否定する意見もあると思います。正しいものは正しいと言わなければ。白は黒ではなくて白だ!

僕の結論は、正論を語ることはナンセンスであり、白を白と言っても意味がない、ということです。本当に悔しいですが、一旦言葉を飲み込むことが重要だと思います。

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