見出し画像

わからないまま、違うまま愛する。


アマプラでウェス・アンダーソンの「犬ヶ島」を観た。この前久しぶりに「グランド・ブダペスト・ホテル」を見直したら、こんなに面白かったっけとしばらく余韻に体が包まれるほど引き込まれた。初めて見た時は構図と色合いが計算されたおしゃれな映画だなーという印象で、それは即ち「面白くはない」を意味した。

あの頃から自分の感性が変わったのか、非現実的な色彩や構図の精巧さ、共感の余地を与えないほどテンポ良く進む会話、人形のように無機質な役者の表情と抑揚のない話し方など全てが小気味よく感じた。画面の美しさよりも、ストーリーに漂う反戦の意志や、人生に恒常的なハッピーエンドは存在しないという哀愁に魅了された。不気味なくらいテンポ良く淡々と進む会話も、わざとらしい感情描写が一切なくむしろリアルな人間のコミュニケーションに感じた。無機質で非現実な表現を徹底していくと、現実を感じさせる力があるのだなと感動した。去年「ウェス・アンダーソンすぎる風景展」というイベントがあったが、きっと彼の作品の画面としての美しさに焦点を当てた企画なのだろう。あの企画によっておしゃれな映画を作る監督という印象がより強まったのだろうが、本質はそこじゃない。社会派で、緻密で、骨太なコミュニケーションを描く監督なんだ。

犬ヶ島では犬と人間の絆が描かれるが、彼らはお互いの言語を完全には理解していない。映像表現として人間は日本語、犬たちの言語は英語で翻訳されるので、視聴者である我々も両者の言語を細かなニュアンスまで汲み取ることはできない。それでも互いに寄り添い、大切に思っていることが伝わる描写にグッときた。それは人間同士のコミュニケーションにも置き換えられる。自分と他者は異なる思考や感性を持っていて、細部に至るまで理解し合うことはそこまで重要じゃないかもしれない。わからない、異なるということをそのまま受け入れ、相手をそのまま愛することが愛情だ。いい映画を見た。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?