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シャッターを青空に変える方法

最近、会社での朝の時間が好きだ。

うちの事務所は世田谷の住宅街にある一軒家のため、まず着いたら1階のシャッターを開ける。

その瞬間、外の新鮮な空気が入り込み、夜中に溜め込まれた淀んだ内の空気と入れ替わる。

同時に、真っ暗だった空間に太陽の光が入り込み、シャッターを上げた手の陰から青空が見える。

私の右手一本の動作によって、窓枠2枚分の空間は、いとも簡単にシャッターから青空に変わった。

時差出勤の関係で、朝7:30前には会社に着くのだが、大抵の場合一番乗りで、誰もいない1人の時間。

秋晴れが続いているのもあり、空は青い。

ただ、吸い込んだ空気が鼻を通って肺に入るほんの寸前、少し冷たさを感じるのは、この時期特有の感触だ。

世田谷の朝はとても静かだ。小鳥の囀りすら聞こえてくる。

贅沢な時間の中、PCに向かう。ややこしいメールが入っていない事を祈りながら。


■自分のスイッチを入れるということ

意図せず少し詩的な書き出しになってしまったが、言いたいことは、そう大袈裟なことではない。

何気なく行われる日常の一作業も、スイッチの存在ーー冒頭の場合はシャッターを開けるという行為ーーを意識するだけで、良い方向に変換できるのではないかということである。

ちなみに、スイッチの入れ方というと、基本的には自分のモードを切り替えることを指す場合が多いように思う。

例えば、仕事モードになるために、お気に入りの音楽をかけたり、PC用のメガネをかけたりする等はよくあるやり方である。
ルーティーンと言われるものにも近い。

私の場合、まず生活を始めるスイッチは、寝起きにシャワーと浴びることとコンタクトレンズを入れること。
これが1日で最初のスイッチだ。

たまにこのどちらかを飛ばして在宅ワークをすることがあるが、どうもリズムが作れない。

そして会社に着いてから仕事を始めるスイッチは、冒頭に話したシャッターを開ける動作であり、外気を取り込んで空を見上げる動作である。

これで自動的に仕事モードに頭が切り替わる。

他にも、無意識的にスイッチを入れているものはきっと沢山あるはずである。

オンとオフの折り目を付けるためにも、自分のスイッチの入れ方を知っていると、日常にメリハリがついてとても効果的だと思う。


■相手のスイッチも入れるということ

これだけでも良いのだが、あくまで自己完結にしかならないため、次に、自分以外の他の誰か、つまり相手に対してスイッチを入れることは出来ないか、と考えてみたい。

例えば、来客時のお茶出し。

うちの事務所では、基本的に夏は麦茶、それ以外はお茶を出すのが慣習なのだが、少し前に退職した社員は来るお客さんの好みに合わせて珈琲を淹れたりしていた。

毎回それを提供されると、「打合せの時間=好きな珈琲を飲める時間」を、まとめて頭の中の「良い時間フォルダ」に入れてもらえる可能性が高いはずだ。

こうして、珈琲をスイッチに、単なる作業の打合せの時間は、良質な時間に変換され、明確な時間を始めることができる。

同じ内容を伝えたとしても、お客さん側の受取り方にはやはり違いが出ると思う。厳しい内容を伝えないといけないときは尚更だ。

ちなみに、スイッチの入れ方は、必ずしも珈琲のような物理的なモノである必要はないと思う。

ただし、ヒトは無意識的に動作や判断を行っている生き物なので、五感に訴えるやり方の方がシンプルにやりやすいとは言える。

先程の珈琲の例で言えば、もしかすると珈琲を見たという視覚的な瞬間ではなく、珈琲の香りを嗅いだという嗅覚的な瞬間がスイッチになっているのかも知れない。

何でかわからないけど、
あの人と話しているとワクワクする

その何かは、意識的であれ無意識的であれ、どこかのタイミングで入れられたスイッチの結果生じているものだとは言えないだろうか。

それはもしかするとその人の笑顔なのかもしれないし、ふとした仕草なのかもしれない。

最初の挨拶の一言かもしれないし、よく口にする使い慣れたワンフレーズなのかもしれない。

いずれにせよ、多かれ少なかれ仕事とは他人を巻き込んで行うものである。

それならば、巻き込まれた側が心地良さを感じてもらうためにも、その人にとってのスイッチが何なのかについて考えてみることは価値のあることのように思う。

■おわりに

冒頭の話には、実は少し続きがある。

シャッターを開けた瞬間に感じた、秋晴れの少し冷たい空気感の話を別の社員に話してみた。
すると、その人にもスイッチが入ったようであった。

この空の具合と冷たい空気の具合が、幼少期、運動会当日の朝に感じた感情としてフラッシュバックしたようだ。

あの練習を積み上げていよいよ本場が始まるぞという高揚感だったり、それを家族が見に来る照れくささだったり、何とも言い難いごちゃ混ぜの感情がどっと押し寄せたのだという。

このように、ふとした時に偶然入ってしまうスイッチを楽しむ方法もあるようである。

何気なく無意識的に行われていた日常の一作業は、スイッチの存在を意識するだけで、自分だけでなく他人も良い方向に変換できる可能性を秘めている。

閉ざされたシャッターすら一瞬で青空にすることができる。

それに気付くことのできた出来事でした。


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