「1%の努力」を読んだら、「99%のやる気」が下がった話
「本屋で目についた本を何個かピックアップして、早速帰り道で読み始める」という行為は、誰もが気軽にできるプチ贅沢だなといつも思う。
先日も帰り道で本屋に寄り、たまたま目に入ったひろゆき氏著の「1%の努力」を買った。
お行儀が悪いことかもしれないが、もうそのフロアを下りるエスカレーターでは読み始めてしまった。
本の感想をそのまま伝えるのは、何とも申し訳ない結果になりそうなので、読んだ後に感じたことなどをいくつか話してみたいと思う。
■全ては考え方次第、という考え方
ひろゆきさん自体については、最近やたらご意見番的立ち位置で、よく番組やらyoutubeでその姿を見る機会が多い。
確かに、一貫してロジカルで、説得力のある話し方をする人である。
そのような「論破」などでもてはやされていた時期もあった一方で、「自分の考え的には、ね。強要しないけど。」という角を取ったしゃべり方をする人だなという印象もあった。
どういう考え方をしたらこんな生き方に辿り着くのだろうという興味はあったわけだが、「1%の努力」を読んで少しその理由がわかった気がする。
本書は、ひろゆきさん自身の経験談を交えながら、その考え方を探ろうという構成になっている。
読み終えてまず感じたことは、この競争社会をいかにラクして楽しく乗り切れるかを、生き方のベースに置いているな、ということであった。
経営学的な分け方をしてしまうと、競争戦略には、ポジショニング(外を見る)と自社リソース(内を見る)という二つのアプローチ方法が存在する。
あくまでアプローチ方法なので、どちらが正しいというものでもなく、これは完全に独断と偏見なのだが、ひろゆきさんは、下記のような捉え方をしているような感想を持った。
自社リソース(内を見る)→「捉え方で解決(ざっくり!)」
ポジショニング(外を見る)→「考え方で解決(しっかり!)」
自分のリソース(内を見る)は、生まれ持った環境や遺伝等、そうそう変えられるものではない、という話が度々登場する。
実際にひろゆきさん自身も、赤羽生まれの団地住まいで、周囲もあまり裕福な環境ではなかったようであるが、そのような状況で受け入れた上で、捉え方を変えることで解決策を見出すことをしていた。
そして、「ポジション」という章があるくらい、そのポジショニング(外を見る)の重要性を説いている。
全ては考え方次第、という考え方なのだと思う。
■100%の努力と1%の努力
考え方次第で状況を変えられるという考え方は、静かだが心強いメッセージだと日頃から思っている。
過去を振り返れば、私自身も間違った「努力」をしたこともあったが、「努力」をすること自体よりも、「努力の仕方」に向き合った方が、人生不幸にならないような気がする。
これは私なりの解釈だが、100%の努力とは、高速を時速100キロで走り抜けるイメージである。
早いには早いが、視野が狭く、ハンドルの可動域も狭くなる。基本的にブレーキを押すことを許されず、事故になった時の損害も大きい。
対して、1%の努力とは、野道を徒歩で歩いていくイメージである。
進みは遅いが、周囲の景色を見ながら進める。気になった小路があれば進むもよし、疲れたら木陰で休んでもよい。
人生は、その人それぞれのものである。
日本的な努力信仰からすれば、全力を出すことを良しと讃えられるのかもしれない。
だが、どっちのやり方でも、その人それぞれの捉え方・考え方で良いんじゃないの、1%の努力という方法もあるよ、というのが、本書でひろゆきさんが伝えたかったメッセージなのではないかと思う。
最近100キロで走ることが多かった自分への戒めとしても、そう思ったし、そう思うことにしたい。
■おわりに
そんな「1%の努力」を読むことで、力みが抜け、良い意味で「99%のやる気」が下がった。
代わりにぽっかり空いたスペースのおかげで、少し息がしやすくなったようなイメージである。これから勝手にやる気が湧いてくることだろう。
そんな頑張りすぎている人にこそ、読んで考え方を振り返ってもらいたい、そんな本でした。
それでは良い週末を!
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