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シャンプーどれ買おう?

ここ数年使っているシャンプーとコンディショナーが、急に合わなくなってきた。


一時的な嗜好の揺らぎか、加齢による体質の変化か、ライブ激減&猛暑下の在宅勤務などの生活習慣の変化が影響したか、はたまた実は元から合っていなかったことにたまたま今気付いただけなのか、何が起きたか分からないが、洗ってる最中も洗い上がりにも今ひとつ納得がいかなくなってきた。

つい最近まで、めちゃくちゃお気に入りだったのに。
近所のドラッグストアで置いてくれなくなってしまったので、公式ウェブサイトで定期便を契約したほど。
(しかし、何日おきに発送するかのペースを派手に読み誤り、1本使い終わる前に3本届いたところで解約しました…)


私は、またシャンプー探しの旅が始まるのかー……とちょっとげんなりした。
諸事情で在庫はたんまりあるので全く急ぐ必要はないものの、毎日髪を洗う度に何となくモヤモヤして未来が見えない状況は早めに打破しておきたい。

たかがシャンプー、されどシャンプー。

実家に帰った時やジムや旅先で、置いてあるやつなんか使えない!というほどのこだわりはないけど、ちゃんと気にし始めると「自分に合うシャンプー」って意外と簡単には見つからない。

使用感や髪の仕上がり、価格はもちろん、匂いに敏感な私にとって「香りが好み」というのも優先順位が高め。
これが意外と厄介で、どんなにレビューを調べても最終的には実物を使って・嗅いでみないと好みかどうかは分からない。
ベリー系の甘い香りは苦手、無難なのはシトラスだけどあまり強いのは合わない。ローズやネロリは好きだけど、これもものによってはツラい。ジャスミンとラベンダーは基本的に避けてるけど、たまに好きなのに出会うこともある。
しかも最近のシャンプーは複数の香り要素を混ぜてくるから全く予想がつかない。香りの説明もシャイニーガーデンなんとか、グラマラスリッチなんちゃら、などきらびやかな形容がついて安易な予想を強く拒絶する。
そして「香りがイイ!」という売り文句や評判の商品は、大抵私には強すぎる。

もう現物に当たるしかないので、使い切りサイズやミニサイズをあれこれ買い漁ってとりあえず試してみる。
香りや使用感が合いそうなら、フルサイズ1本買ってみて継続して使った経過を観察してみる。
髪の状態も良さそうなら、レギュラーに格上げとなる。

こう書くとそこそこスムーズに見つかりそうだけど、そもそもお店に使い切りサイズを置いてるのは、新作やリニューアル商品の一部など選択肢がかなり少ない。
あれ良さそうだな、使ってみたいな~と思う商品があっても使い切りサイズが買えなければ1次選考にすら上がってこない。(香りが合わなかったとき、フルで一本使い切るのは苦行すぎる…)

使い切りサイズが販売されている中から使ってみたいかどうかを検討する。香りが明らかに自分の好みに合わなそうだったり、ターゲット層が違いそうな商品は、使い切りを買うこともしない。
結果、良さそうな商品が見つからなければ、別のお店に行ったり、少し期間をあけて別商品が入荷されてくるのを待つ。
こんなことをしてると、1次選考を終えるだけでも数か月を要したりする。

もしここでたくさんググッてあちこち遠出して取り寄せて、死に物狂いで探し回ればもっと早く見つかるのかもしれないけど、そこまではしない。
そこまでエネルギーを向けられないというのもあるけど、そもそもそれが最善策とは言えないから。
もし地の果てまで駆けずり回って一生もののお気に入りに出会えたとしても、その商品が「必要な時に欲しい分だけ、継続的に安定的に入手できる」という確約がなければ意味がないのだ。


これまでにも何度となくシャンプーを変えてきたけど、その理由は今回のように「髪質に合わなくなった」だけではない。
「近所のドラッグストアがどこも置かなくなった」
「リニューアルして香りや使用感が変わった」
「商品自体が廃番になった」
という”安定的に入手できなくなった”パターンの方が圧倒的に多い。

代替として新たに見つけたものが、その他の条件をどんな高得点でクリアしていても、「安定的に入手できない」としたら最終的には選外にせざるを得ない。
もちろん、手に入った分だけ一時的に使うという選択肢はあるが、その場合は数週間後または数か月後に改めて1次選考ノミネートからやり直すことを覚悟しておく必要がある。

テレビCMを長年流しているような大量生産の定番商品が売れ続けている理由は、ターゲット層を絞り込み過ぎない、良い意味で”大衆向け”の品質や価格帯、CMタレントの好感度の影響といった部分ももちろんあるだろうけど、実は”安定的に入手できる”という点も、大きなウェイトを占めているのではないかと思う。
大手企業であれば少なくとも急に倒産してしまう可能性は低いし、仮に業績不振でも、長年続いている売れ筋商品の製造ラインはそう簡単には止めないだろう。
そして定番商品は、大抵どの地域のどの規模の販売店でも置いてある。時間にもお財布にも心にも余裕のない人にとって、安くてどこででも手に入る生活必需品は、その時点で最終選考のシード権を持っている。
完璧に自分に合うものを選択できることと同じくらい、「必要な時に確実に手に入る」というのは心身へのストレスが少なくて済む。


私の直面したげんなり感は多分、ある意味でここに集約されているのだろうと思った。
「必要なものを安定的に入手できる」こと、それはある種の「秩序」だと思う。
物事が変容していかない、または変化の過程を予測可能である、という「秩序」が保たれていれば、私は安心でき、いちいち行動を変えずに済む。(※辞書的な意味とは違います……ニュアンスで)
このお店でこれを買う、という行動が決まっていれば、どれを買うべきか、どこならいつなら手に入るのか、もしも合わなかったらどうしよう、などと「考える」(調べる、判断する、を含む)必要がなくなる。
私は今まで当たり前にあった「秩序」を失ったことに落胆したのだ。


裏を返せばこの「秩序」は、「考えることや疑うことの放棄」でもあるということだ。
「これなら間違いない、自分は必ず気に入るし、よく行く近くのお店で確実に手に入る」前提のもとに行動しているということは、実は「まだ確定していない将来の出来事を予測し、精査することなく信じ込んでいる」状態である、とも言える。

「考えなくなること」はその分、時間や労力といった資源を他のことに向けることができるというのは大きなメリットだ。
きっと昔に比べたら今の社会は比べものにならないほど豊かになっていて、たくさんの種類から人それぞれ好きなものを選びとることができるようになっているけど、「自分で選ばなければならない」ということでもある。
シャンプーだけじゃない。食料品や化粧品、消耗品なども同じだろう。ただでさえスピードと効率が重視されている忙しい現代人は、判断しないといけないことだらけだ。日常で頻繁に使用するものについて、使う度に悩んで真剣に迷ってなんていられない。
生活に身近なものはなるべく平穏に、パワーを使わずに済ませたい。でないと心が持たない。
日常に鈍感になっていくことは、心穏やかに生きていくための、本能的な自衛作用のひとつだと思う。

だけど一方で、生活に密着しているものだからこそ「このままでいいのか?」「本当に今の自分に合っている最良の方法なのか?」と疑問を持つことの重要性も感じる。
見過ごしてしまいそうな小さな違和感の積み重ねが、無自覚なストレスとなって意外なところで大きく表出したりすることもある。
考えることをやめてしまうと表面的には楽だけど、自分の心身の変化や小さなズレにも無頓着になる。あらかじめ決めた「行動」だけが絶対的なものになり、本当に求めているものや心地好い温度、自分がその「行動」の先に何を期待していたのかすらも見失う時がある。

日用品の買い方以外でも、私たちは無意識にも意識的にもたくさんの判断をして生きている。
夕飯にどんなものを食べるか、何時に寝て何時に起きるか、何を着て出かけるか。
ショルダーバッグどっちの肩にかける? 歯ブラシはどのタイミングで交換する? エスカレーターと階段どっち使う? 待ち合わせの何分前に着くように出かけよう? きょう折り畳み傘いるかな? レシートもらう? ポイント貯める? マイバッグはお持ちですか?←new!

小さなことばかりだけど、その判断の局面があまりに多いので、いちいち吟味していられないものはあらかじめ決めて、無意識のうちに判断のステップを省略していたりする。最初は戦略的に努めて鈍感にしていたのに、次第にその戦略自体を忘れてしまう。

これって日常生活のことだけでなく、人付き合いや仕事への向き合い方、趣味や夢や政治的イデオロギーといった、生き方そのものにも通ずる気がしていて。

日々出会う小さなでこぼこ全てを注視することは出来ないけど、適度な鈍感さとほどほどの観察眼を併せ持ち、アンテナを伸ばしたり畳んだりしつつ、時々は来た道を振り返って、または未来に目を凝らして、耳を澄まし手触りを確認し、自分にとって居心地の良い場所や状況や選択肢について考え直してみることで、それまで以上に快適で平穏な生活に繋がったり、心躍るような新たな自分に出会えることもある。…かもしれない。

何事においても、そういうバランス感覚を上手に持って、自分で自分を調律しながら生きていけるといいよな、とこの機会に改めて思ったのでした。


で、結局シャンプーどれ買おう?

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