『アルクトゥルス人より地球人へ』要解


スピリチュアル(霊的)とは



アルクトゥルス人のメッセージに入る前に、最後に一つ、お話ししておきたいことがあります。
私たちは誰もがみな神聖な存在で、限界のない、はてしなく広大な能力をたずさえています。今まで私たちは宗教や政府から意図的に嘘を教えられ、恥辱と隷属の泥沼にうずもれてきました。無知を捨てたら、次元上昇(アセンション)や魂の進化ができなくなるわけではありません。次元上昇や進化のために、誰にもひれ伏す必要などないのです。

ふり返ってみるに、私がUFOの団体とうまくいかないのは彼らが魂の観点をもたないからで、ニューエイジの団体とうまくいかないのは彼らが自分の力をあずけてしまう傾向があるからだと思います。

私たちは力に満ちて、完全に目覚め、自由になることができるのです。

筆者註解

人及び人間、この言葉を鑑みるに、そう云われている存在者間の価値の優劣はない。
だが、そう聴いて、反論したい気持ちを抱いている読者の顔も想像に難くない。

一流の学校や企業に勤めている人は偉いだとか、下層の教養のない労働者には価値などない、だとか。

バカらしい。

そんな価値観など捨ててしまえ !

あなたが、誰かに優越感を抱きたいのはわかる。だが、それは同時に他の誰かに劣等感を抱いている、ということでは ?

筆者も半世紀は優に生きている故、自身の優越感や劣等感と闘って生きて来た。

自身や自身の愛する存在に親しみを感じ、エコ贔屓したいのは人情だ。孔丘もそれを認めている。それに、異を唱え、無差別の兼愛を唱えたのが、墨翟だ。筆者はその考えのどちらの立場にも優劣は感じず、ただ、嗜好の違いであると想う。

犬や猫とも動物という括りで人間も同じであり、花や細菌とも生物という位相で一緒である。そして、水や眼に見えぬものなどもすべては存在という概念でその価値に違いはない。

だが、それにあなたが価値の軽重をつけるのは自由だ。

人は他者のために尽くす人や人格者と感じられる人に重きを置くだろう。筆者もそうである。だが、それにも関わらず、悪人と云われる存在と命の大切さを秤にかけても同じである、と識者は言う。特に、恨みを抱いている相手の価値など微塵もあるとは考えたくもないであろう。

これに関し、読者が如何なる物事を感じ、どの様に至考しようとも間違いではない、そう想う。
生きるとは変わり行くということ。物の感じ方・価値観が何遍変わっても、それを楽しもう !

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