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AC MADE SHOW CAN ──飽く迄笑完──

8.生


「生物」を「なまもの」と、読んだ奴がいた。

語句、文章を如何読もうが、解釈しようが、自由である。

で、あるからこそ、作者が表したものを読んで影響を受けた、というのはいい。

だが、自身の仕出かした事を、作者の責に負わせるのは、責任逃れに感ずる。

學生時代、先輩學生が主催する所謂自主ゼミなるものに参加し、其の影響か、資本家は血祭りにあげても構わない、考えた時期もあった。

だが、同じ専攻科の同輩女子學生は、誰であろうと抹殺とかする事に反対である、と述べた。

或る本に、基督教の布教に感化された数名の若者が、仏像を壊し歩いた、とあった。

子供や若者は、新奇な思想や考えに特に影響されやすい。

宣教師の意図には、其れを期待していた様なものを、読んで感じた。

まあ、同じ本を読んだ誰かは、まったく、違う感化を受け、違う言動をしたであろう事を推測する。

作者の企図は兎も角、世人は何か犯罪が起きると、作者の責に負わせる、論を展開する者もいる。

例えば、自身が人人を蹂躙する権力者であったとしたら、自分も同じ事をする、此れは明らかな、覆り様のない事実である。

何故なら、上の文を丹念にお読みいただきたい。

「あったとしたら」つまり、自分が権力者であった自身の事を言ってるのではなく、其の権力者自身100%の存在で既にある、のだ。

故に、彼の人間は最早、其の人間以外の存在ではあらぬので、別の行動はとる事は不可能なのである。

だから、自分は、どんな人間を見たとしても、其の身分に憧れる事などない。

昔は様様な人を見て、羨望し、憧憬した事もあった。

だが、今は何者にも、憧れを抱く事はない。

自分は自分で本当によかった、というのが率直な想いだ。

世には教祖と呼ばれる存在がある。

教祖とは自身の考えを人人にインストールする者、というのが自分の定義である。

自分は教祖などになりたい、とは感じぬ。

人人に其の人自身を取り戻させ、自身の考え・直観で動く存在になってほしい。

或るひとつの考えに人人を導き誘うのではなく、其れ其れ独自の存在であってほしい。

そうして、似た様な樂しい世界に生きたい、と感ずる人と共に、そんな世界を築く。

世界を一色に塗るのではなく、各自身の色を発し、輝く事こそが、真に生きる、という事。

そう心底感じている。

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