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イップス 僕と野球の10の物語⑩

高校野球3年間をイップスと戦い続けた1人の球児の物語です。3年間の出来事。感じたこと。を全てお伝えします。

高校入学までを簡単に説明します。
中学生のシニア時代にオーバースローからアンダースローに転向した結果、神経障害という怪我に合う。
中学2年生オーバースローの時は最高で125km
林和男杯で投手として出場。現在ソフトバンクの選手に投げ勝つ結果もあります。
半年間のリハビリを行い、並行して野球スクールに通いメカニズムについて勉強を行う。
そして中3の夏の高校野球体験会に参加。

僕は夢、希望、不安と焦りを持ってこの高校に入学しました。そして硬式野球部に入学。

不安と焦りを説明します。
体験会でビシビシ投げ込む事の出来た可能でが、再び悲鳴を上げ入学まで再度リハビリを行っており、ボールを全く投げていないのです。

監督に理由を説明して最初の数ヶ月間は投げることはありませんでした。
しかし同年代が少しずつ練習試合に参加し始めます。ベンチ入りし出す選手もいます。しかし自分は何も出来ません。ずっとグラウンド整備。草刈り。
バッティングと走塁練習に参加は出来ますが。
僕は投手意識がとても高く、投げるのを我慢している野球は野球には感じませんでした。

そしてリハビリが終わり痛みも無くなりました。
ようやく待ちに待ったボールを投げる時が来たのです。
しかしいざグローブを着け、綺麗な白球を投げようとした時、腕が振れず、ポンと背中方向から音がします。
ボールが真下に落ちているのです。
怪我は治っているのに、ボールは投げれません。
腕がムチのように振れるのでは無く、投げようとすると石のように固まるのです。そして指先の感覚がわかりませんでした。

少し慣れてきてボールを投げる事が出来ますが、フォームが丸で別人。投げていても違和感があります。
フォームが滅茶苦茶なのでコントロールは付きません。
更に的を作り目標に向かって投げようとすると腕の固まりは更に激しくなります。
キャッチボールができないのです。

フォームが滅茶苦茶なのは練習が足りないからだ。親に怒られます。誰もキャッチボールの相手はしたがりません。キャッチボールにならないから。
そのうち僕は人前でボールを投げる事が物凄く恥ずかしくなりました。

そして夏合宿を迎え、コーチに言われます。
「イップスかもしれないな」と。
1番聞きたくなかった言葉でした。信じたくありませんでした。でも家でYouTubeやパソコンで調べると皆んなとは少し違うイップスだけど、現象はイップスなのか。と思うようになりました。

連絡では外野に参加します。投げれない僕にとってノックの時は地獄の時間です。カットの内野手まで正確に投げれないと、当時の先輩達に物凄く怒られました。
「ちゃんと投げろ」「やめれば?」など沢山の言葉を浴びました。1人の先輩からは、「お前の推薦が無かったら、違う人が入ってきて、チームは強くなった」とも言われました。沢山からかわれました。

僕のこと、イップスのこと分かってくれとは、言わないけど、放っておいてほしかったです。

毎晩涙が止まりません。野球、辞めたかったです。
小、中の頃の活躍してた時の写真を見ると苦しくなります。グローブさえ捨てたくなりました。

でも諦めちゃいけないと、自分を信じました。
朝6:50に学校に行き誰にも見られない時間に投げる練習をしました。何が正しい練習法かもわかりません。
ただ、少しでも良くなった!と感じる練習法を反復するだけです。沢山のことにチャレンジしました。

練習試合には出せてもらえますが、守備の時はボールが飛んでこないことをひたすら祈っていました。
本当にボール良く飛んでくるんです。内野手の子に近くまで来てもらいそこまでしっかり投げる練習をしました。ふんわりとでもいいから、そこら辺に投げるイメージです。

当たり前のようにボールを投げる皆んなを見ると泣けてくる。今日も頑張って!と応援してくれる親を見ると苦しくなる。友達に試合応援行くね!と言われると嬉しさと同時に恥ずかしさも感じる。
沢山の感情柄入り混じった部活時間でした。

うちの部活はキャッチボールとか練習を、ペアを組んで行います。2年生になるとペアは固定になります。
ペアになるとほぼ、一日中一緒に練習を行います。
イップスの僕とペアを組んでくれた子がいます。
LINEで暴投ばっかでごめんね。と何度謝ったことか。
その度に彼は言います。

大丈夫だよ一緒に頑張ろ!暴投しっかり捕るのも練習になるから!!

心から嬉しかった。今でも覚えています。

先輩から沢山言われた日があります。その後同年代の子が「大丈夫だよ!気にするな」と言ってくれました。

嬉しくて嬉しくて。。言葉の持つ力の凄さを知りました。皆さんも言葉の持つ力を信じて、誰かのために言葉をかけてみてください。

みんなの前では平気なフリして笑っていました。からかわれても素直に受け止めました。罵声を浴びた時も何故か謝ったりしていました。普通を保つため。

ある日監督にこう言われます。「野球は投げるだけが全てじゃないぞ。走攻守 があるんだ、走 打つを磨いてみなさい」

投げることにこだわっていた自分にとって別世界からの言葉でした。

その後、瞬足とバッティングを活かして練習、練習試合では外野で1番バッター。
盗塁とセーフーティーバンドは自分の武器になりました。
公式戦にはスコアラーとして自分なりの居場所を作りました。

でも投げる事を諦めてはいません。
練習試合の日だって、ただでさえ早起きなのに、僕は更に早く起きて父とキャッチボールをしました。
泣きながらキャッチボールをした事もあります。
思い出すからです。昔一緒にピッチング練習を楽しくした事。球速が上がった日のこと。嬉しい時の思い出だけが蘇るんです。僕の暴投で父がボールを拾いに行く足取りは少し重く見えます。

そして時は流れ自分達が主軸の代となります。

投げ方に変わりはないが、イップスに自分自身慣れてきました。ライトを守り、カットやバックホームの時もビシッと投げれるようにまでなりました。コントロールにばらつきはありますが、的にしっかり投げ込めました。
思いっきり投げる時はこんな感じで平気ですが、軽いキャッチボール等のゆっくり腕を回すことは引退まで出来ないままでした。腕が完全に固まって止まる感覚です。

前より少し確実に野球が楽しくなりました。

最後の夏の大会、背番号16をいただきました。

負けてしまった時、涙が止まりませんでした。
自分は活躍していません。この涙は沢山の意味があります。やり切った自信。普通に投げられない苦しみから解放された、ホッとした気持ち。友達と練習が出来なくなる寂しさ。父との1番の思い出に幕が閉じた悲しさ。物凄く辞めたかった野球を辞めなくてよかった。と心から思えた瞬間でした。やっぱり野球が好きなんだ!と感じました。

大人になって自分に時間ができたら、イップスで苦しむ人の手助けがしたいです。自分は中学の前半ですが、野球でとても素晴らしい経験をしました。そして高校3年間イップスとして苦しみも味わいました。

僕だからこそ助けになってあげられる事があると信じてます。
これを読んで、イップスについて少し分かって貰えたかな?と思います。普通が普通でなる苦しみが、本人にしか分からない心の痛みがあるという事を。分かって欲しいです。

イップスで苦しんでいる、沢山のスポーツの選手へ
僕は苦しい時は逃げて良いと心から思っています。
気分転換は大切です。1人で抱え込まないでください。
イップスは考えれば考えるほど悪化してしまうものです。長期の休みを取り、良いイメージだけを頭にインプット。不安を忘れてください。
自分は催眠術にかかりに行こうかな?とも考えました笑
もしかしたら良い治療法かもしれませんね笑
イップスを忘れたら、体はもしかしたら正常に動くかも?と思っています。
もし、間に合うなら反対の利き手でチャレンジもアリかもしれません。強い気持ちがあれば、なんとかなるはずです。だって今までなんとかなってきたんですから。ですが、周囲の人の協力は絶対です。周囲に頼る事にもチャレンジしてみてください。頼られて嫌な人はいないはずです。
スポーツは野球だけでない事も忘れないで下さい!
辞めて何もやらないのなら、他のことにチャレンジして下さい。継続は絶対裏切りません。

もし人生やり直すのならば、生きているうちに。
今しか経験できない部活ができるうちに。

僕は何年経っても野球をやって良かったと思える人生にしていきます。

もし自分が1つ持ってあの世に行くとしたならば、僕は父に買ってもらった、赤いピッチンググローブを持って行きます。野球は僕の大切な思い出で父との宝物だからです。

今新たな夢、目標に向かって僕は進み続けます。
皆さんもお元気で。

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