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御沈酔される上皇
握りこぶし大の丸い平たい石が
ぎっしりと水ぎわを埋め
ずっと先まで広がっていた
桂離宮のちまちまとした州浜とは、おおちがい
ここは、仙洞御所の南池の州浜であった
![](https://assets.st-note.com/img/1682111381421-52HQ2HbfEA.jpg?width=800)
天皇を退かれた後水尾院の御所として
江戸の初めに築かれた仙洞御所
なんども火災にあい改修をかさねてきた
小田原の藩主は
湯河原の海岸で米一升を日当に
長円形の平たい小石を領民に集めさせ「一升石」の逸話がうまれた
その数、11万個あまり
ひとつひとつ真綿でくるみ俵につめ2000俵を献上した
1643年(寛永20年)
後水尾院から金閣寺の住職・鳳琳和尚に
御茶を進上せよと仰せがあった
仙洞御所で懐石をさしあげ池に舟をうかべ
これに院も乗ってお菓子を食べ
池をめぐる舟遊びのあと
向う岸の茶室にあがった
![](https://assets.st-note.com/img/1682111463929-Jxu8lA3QzV.jpg?width=800)
ここで茶を点てよ、と直々の命で
和尚が濃茶と薄茶を点ててさしあげた
数寄の雑談を楽しむうちに日が暮れ
盃がでる 謡をやり 乱酒となる
「天盃を頂戴する事、四度に及ぶ也」と
後水尾院から四回も盃をもらって和尚も得意顔
「仙洞ご機嫌……笑みを含められる」
院もにこにこ笑い
ついに酔いつぶれ「御沈酔」となった
池をわたった別世界の茶屋であった故の
無礼講であった
千利休のわび茶では
日常と非日常の境は
「露地」であり「にじり口」だが
このときの茶会の結界は「池」であった
わび茶とは異なる茶の湯が公家、僧侶の世界にあった
茶よりも酒に重きをおいたのかな、と
仙洞御所のおおらかな州浜にたたずんで思った
![](https://assets.st-note.com/img/1682111503332-U7Lqd5Zp3k.jpg?width=800)
今も御舟着につながれている
小さな舟に乗って
池をめぐり舟遊びして
丹波の栗どら焼きを食べ
向う岸の茶屋で
八寸を肴に
ブルゴーニュワインを飲み
お茶をいただき
上皇のごとく沈酔したら
幸せの一言につきる……
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