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波乱万丈 唐牛健太郎

坊主頭のまま大学に入った1960年
安保闘争のまっただ中であった

大学構内は安保反対の立てカンバンが林立
連日デモ隊が国会をとりまき、岸を倒せ! 

このときの全学連委員長は
函館生まれの唐牛健太郎であった
シュプレヒコールうずまくなかに僕もいた
 

唐牛展のポスターを転写         2010


時はうつり
函館・大門の酒場で赤銅色に日焼けした彼と
カウンターに連なったことがある
そのころオホーツクの紋別で鮭漁師となり
母親のすむ函館にいっとき里帰りして
高校時代の友人と会っていたのだ

「安保の遺産で食っているのさ」と
かっての同志にもらした男が
昔を語らずしずかに酒をのむその姿に
人間の器を感じた

それから5年ほど
直腸がんで、最愛の真喜子夫人にみとられながら
穏やかに47歳の生涯をおえた
紋別の漁師仲間は大漁旗で棺をおおったという

唐牛の墓 好きな海の波が彫られている   函館 2010

全学連の同志で
そのあと東大教授など保守の論客で鳴らしていた
西部邁が、函館での講演会のあと
「アイツだけには勝てなかった……」と
打ち上げでもらしたこの一言が忘れられない

西部邁                 函館 2014

何を意味するのか今もって分からない
その西部も多摩川に入水して世を去った


権力とたたかい破天荒な生涯を送った唐牛が
好きな海をのぞむ函館山のふもとにねむる


夕日がしずむなか           函館 2010
墓下をイカ釣り船が漁場へ急ぐ      

ことし、安保闘争から60年あまり
唐牛が逝って40年


*2019.9.29 nippon.comに投稿したコラムを編集

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