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バアバの5・7・5

2021年の1月に我が家に次女が生まれました。妻の出産はコロナ禍とあって、もちろん家族の立ち会いを認められておらず、生まれてきてくれた次女との面会NG。生後1週間、妻の退院までの連絡手段はLINE電話のみと言う状況でした。

私の住まいは都市部にあって、妻の実家も私の実家も地方にあるので、妻が入院中、私が仕事時間中に2歳の長女の面倒をどうするのか、考えた結果、田舎から私の母、つまり子供たちにとっては、バアバに、この都市部に来て貰おうということになったのです。

70歳も半ばになるバアバにとって、都市部はまさに戦場だったに違いありません。テレビ報道では、連日、都市部のコロナ患者急増の話題ばかり。地方で住んでいるバアバにとっては、最前線への出兵と等しい覚悟がいったに違いありません。

でもバアバも長い間、孫に会っていなかったし、妻のことをたいへん気に入っているので、なにか手助けしたいという想いもあって、快よく我が家に来てくれることになりました。でも、さすがに新幹線に乗ってくるのは恐ろしいということだったので、実家の兄に、車で途中まで母を送ってきて貰い、さらに私がばあばを引き取りにいくという、メキシコ国境でバアバの密輸でもしているのかというような移動体制でバアバに来てもらったのです。

それから、無事に次女も誕生してくれて、基本的に家でずっと長女の面倒を見てくれたバアバの気分転換もあって、長女と私と3人で公園にいくことにしました。公園には、ちょうど梅園があって綺麗なピンクや白色の花が、かわいらしく咲いていたのです。その時、バアバが「一句できた!」と自信ありげに言いました。バアバは30年以上も前から俳句を作っていて、これまでにいくつもの作品が俳句誌にも掲載される程の歌人でもあるのです。今回、梅を見て一句できたと静かに獅子吼していたバアバの作品。

「紅梅の蕾のふふむ吾子生るる」

先日、この歌がLINEで送られてきましたが、高尚すぎてなンのことか分かりませ~ん。俳句は、17音で1枚の情景が浮かんでくるものと言われますが、私には、この句からなンの情景も浮かんできませんでした。なので、まず言葉の意味を調べてみましょう。

紅梅(こうばい)は、桃色の梅の品種の一種。蕾(つぼみ)はそのまんま。次の「ふふむ」。これが、なんじゃこれ!の言葉。歳時記によると、ふふむは「含む」とも書き、「梅ふふむ」とは、「ふっくらと紅色が兆し始めた梅の蕾を表す季語」なンだそうです。へ~、なるほど。吾子(あこ・あご・ごし)と読み、我が子と言う意味ですが、ここでは赤ちゃんでしょうね。まとめてみると・・・。

厳しい冬から春を告げる紅梅のつぼみが今にも開きそうな折、梅のように可愛い桃色の赤ちゃんが生まれてきてくれたよ。

こんな感じの解釈になるのでしょうか。とにかく、たいへんな時期に出産となりバアバにも妻にも、ママがいない中我慢してくれた長女にも、元気に生まれてきてくれた次女にも、皆に感謝ですね。早く、心も体も皆が元気で自由になれる日が来ること祈っております。


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