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【デザイン思考の生き方】社会不安や煽動に何処吹く風?で生きるために

今月より日本リベラルアーツ協会のアンバサダーを拝命致しましたー。自身の活動を通じデザイン思考を軸に据えた私のこのnoteも今後はその立場も兼ねて発信してまいりたいと思います。

さて最近よく思うのが、少し前までは聞き慣れなかったような言葉や事象が異様に多いこと。自分が単純に無知だっただけかもしれませんが実際に過去には無かった新しい名称や事象も増えてもいるのでしょう。例えばPTSDやADHD。“副反応”なんていう言葉にも馴染みがなかった。個人的には“自己肯定感が低い“なんていう表現も昔は聞かれなかったように思います。とはいえ、どれだけ馴染みの無い新語でも主流メディアが取沙汰すれば一気にメジャーに格上げされ、それはたちまち新たな常識となる。メディアの影響を置いたとしても、それらの言葉や事象が受け入れられ易い情況や社会背景があるのも事実。今、世界で起きている(或いは起きているとされている)疫病や紛争など社会不安がそのベースにあることは間違いないでしょう。そしてそんな”新語たち“は人々の不安の煽動役を担う。でも生来の天邪鬼(あまのじゃく)である私自身はと言えば、こうしたメディアや新語たちの煽動に一切振り回されることなく何処吹く風?で生きている。今日はそんな自分主導の生き方の実践について考えてみます。

■天気予報を信じない

最近の天気予報は昔と違って精度が凄い!数分単位で更新される予報は下手するとちょっとした通り雨が降り出す時間まで的確に当ててしまいます。米国人が大好きな休日の屋外バーベキューなどの際には重宝します。ですが、そんなご時世の今でさえ、私は結局、天気予報よりも自分の運の強さの方に信頼を置いています。まだ東京に住んでいて子供たちが保育園に行っていた頃、父母が集まっては多摩川でバーベキューをやりましたが、私達家族が先に帰ってしまうと大雨が降ってきたことが何度もあり、それ以来「今日は最後まで居てね!」と釘を刺されることが良くありました。

今はカリフォルニアに住んでいる関係上、雨季以外は雨が降ること自体殆どなくなってしまいましたが、それでも小雨の朝など自分がランニングし始めると急に陽が差してきたりすることもしばしば。まぁこうしたことは単に気の持ちようなんですが、自分は「晴れ〇〇〇なんだ」と勝手に信じたり、天気という自然現象にさえ自分は影響を与え得るんだ、と何の確証もなく意気込んでみる。自分にはそんな能力があるかもしれない!と信じてみること。これは結構簡単に実践できる自己拡張のワークで、最初は半信半疑でも次第に真実味を帯びて来るから不思議。ある意味で自分に暗示を掛けることですが同じ掛けるなら、ポジティブな暗示をおススメします。

■確率論を味方にする

さて次は確率の捉え方。例えば何か悪いことが起こったとします。仮に隣家で火事があったとしましょう。そうした場合、多くの人が「また起きるんじゃないか」と心配してしまいがち。ですが私はむしろ逆に「そんな大事件が同じ場所で2度起こる可能性は低い」とついついポジティブに考えてしまいます。好きな作家の一人であるジョン・アービングの原作で、これも好きな俳優(若くして他界しましたが)ロビン・ウィリアムズの主演した映画「ガープの世界」で、主人公のガープが新しい家を探す際、内見中の家にセスナ機が突っ込んでくる。これを見てガープは言います「この家に決めた!飛行機が同じ場所に落ちる確率はゼロに近い!」と。私にはこの感覚、非常によく解ります。

嫌な事、良くない出来事を経験した時、人がそこから想起する予測には2択がある。「また同じことが起きるかもしれない」と想像するか「こんなことは滅多に起きないだろう」と想像するか。条件が同じなら気持ちが楽になるのは後者に間違いない(そしてガープの理屈にも一理ある)。ですから、もしこの発想に不慣れな人には、何か嫌なことがあったら是非このガープのセリフを思い出してみることをおススメします。

■世の中の出来事は全て自分のために起きていると考える

そして究極はコレ!私が実践するデザイン思考のワークショッププログラムの中に「エゴ贔屓のススメ」なるワークショップがあります。このWSの最後のパートでは、世の中で起きている、或いはこれから起きるであろう出来事と自分のやりたいことを紐付けるワークがあります。これをすることで世界の動向に自分のビジョン実現を後押しさせる関係性が視覚化できます。私自身の場合で言えば、グローバル化の進展と同時に米国へ移住し、働き方改革の渦中に独立起業し、パンデミック下でオンラインのワークショップを加速させ、今はFIRE(Financial Independence Retire Early)という潮流にあたかも乗っ掛ったかのように自然とそれを体現している。

これらは何ら私自身がそうした潮流を意識して行ってきた訳ではないので、全て単に偶然が重なっているだけかもしれませんが、逆に言えば、世の中で起きる良い事も悪い事も全て、自分の人生に味方し、加担してくれているようにも見えます。どっちに捉えようが本人の自由だとするなら、これも後者を選んだ方が、少なくともこれからの人生を前向きに捉え易くなるのではないでしょうか。

■Be Optimistic!(楽観的であれ)

自分が晴れ男や晴れ女であると自覚し自称すること。確率論を自分にとって好ましい、嬉しいと思える方向に適用すること。世の中の出来事は全て自分のために起きていると考えること。これらはある意味身勝手な解釈ですが、言い換えれば究極の楽観主義とも言えます。まさしくBe Optimisticの実践。

デザイン思考にとって重要なファクターである「Be Optimistic(楽観的であれ)」は考え様によっては自分にとって都合の良い解釈や態度を“推奨”することとも言えます。もちろん過剰なエゴイズムや独りよがりを良しとはしませんが、喫緊の社会不安やメディアの煽動などにいちいち振り回されないための一つの手段として日常的にBe Optimisticを実践することは多くの不安因子が世界を席巻し、煽動される中にあってはこれを克服するのに極めて有効だと思いますし、いわゆる自己肯定感が低いと悩んだりする人には是非とも実践をお勧めします。自分主導の人生を是非一緒に楽しく満喫していこうではありませんか!

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