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2022年の行動指針

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

2022 年になりましたね。この記事では今年の僕の行動指針について書こうと思います。

過去の自分の否定

今年の目標なるものを考えていました。目標自体はここには書きませんが、複数挙げた目標に共通するのは「過去の自分の否定」でした。

そういえば、今まで僕は何度も過去の自分を否定してきました。過去の自分が盲信していたことを疑い、見つめ直し、より良いと思う方向へ方針転換する。その繰り返しで生きてきました。

  • 個人よりも組織を

  • 拒絶よりも受容を

  • 罰よりも救済を

  • ニヒリズムよりも楽観主義を

これらのことにおいて、左のことがらの重要性は今も認めているが、今の僕はより右のことがらを重視するようにしています(注1)。

それらは意識して行ったものではありません。その時々に読んだ本、その時々に観た映画、その時々に読んだ漫画、その時々の出会いが僕を変えていってくれました。

人間は変わることを受け入れる

自分の意見はアイデンティティの発露

唐突ですが、わたしは朝日新聞 Podcast のファンです。朝日新聞 Podcast は、小難しい事件の詳細な裏側、実際に取材した記者が見聞きしたものを聞くことができて本当に面白いです。

その朝日新聞 Podcast のエピソードのひとつに「ネットで議論はできるのか」と題したシリーズがあり、そこでは SNS における議論は成立するのかということが議論されていました。

非常にかいつまんで書くと、SNS での自分の発言・意見は単なる主張でなくネット上でのアイデンティティを形成するものであり、相手の反対意見を受け入れるということは自分を否定することになる、というような話がされています(リンクの回の冒頭です)。

アイデンティティをサポートするフォロワー

自分を否定することは、自分を支持する地盤が強固になればなるほど難しくなります。

誰かを敵に回すことで強い支持を得ている SNS のアカウントがあるでしょう。彼らが一度敵に回した誰かと融和することは基本的には不可能です。なぜならば、彼らは誰かを否定することでフォロワーからサポートされているので、その態度を変えればフォロワーのサポートを失うことになります(注2)。

おそらく陰謀論にハマってしまった人が抜け出せなくなるのも類似の事情があるでしょう。陰謀論の否定は彼らにとっては自分の否定という非常にセンシティブな問題です。論理的思考や科学的・客観的な事実では説得にはつながらないのは、問題のレイヤーが違うからです。

人の考えは変わる

僕自身、かつて人間は変わらないと盲信していました。というか変わるべきでない、一度言ったことは撤回すべきでないと固く信じていました。

まずこの考えをいつしか持たなくなっていました。なんと現金なやつ笑

人は生きてたら多かれ少なかれ変わります。変わらない部分ももちろんありますが、自分がかつて重要だと思っていたことが重要じゃなくなるなんてことは普通にあります。

僕の意見ですが、自分をサポートする人たちに媚びを売るのは無駄な行為だと思います。
それに何より、自分が変わっていったのなら、変わった自分に合う友達やフォロワーを見つけるように動いたほうが建設的だと思います。

積極的に自分を否定する

SNS、メディア論に突如脱線しましたが(注3)、今年の行動指針についてでした。

今年は「本当にその自分を維持することに意味あるの?」と自分に尋ねていきたいです。

  • 中学生の時から毎朝コーヒーを飲んでいるけど意味あるの?

  • 自分の考えを頻繁に note に書いているけど意味あるの?

  • 刹那的な楽しさを重視して生きてきたけど本当にこれからもずっと重要?

  • 自由に重きを置いてきたけど本当に自由にそれほどの価値があるの?

普段の習慣から、過去の自分を形作ってきた価値観まで、いろんなことに疑問を呈していきたいです。

今年は何かをなすというよりも自分をつくり直す 1 年になればいいかなと考えています。ぶっ壊れた人生のつくり直し、それなりに時間がかかりそうです。

脚注

  1. アジャイルソフトウェア開発宣言のオマージュです。

  2. 現実にはフォロワーのほとんどは気にしていないものなのですが、本人はなかなかそうは思えないものです。

  3. この記事、かつてのニュースレターっぽい体裁ですね。。(昔からのファン向けコメント)

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