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レモネードの歴史


ども中高一貫校生のCal bearです。

今回は【レモネードの歴史】について書いてみました。

別段深い理由もありません。ただ気になったからです。

ラムネの原型といわれるレモネードですがその起源は一体いつどこで生まれたのでしょうか。

やはりレモネード大国アメリカ?

それとも柑橘類の栽培が盛んな地中海の国々?

本稿では世界史の立場からレモネードの歴史について紐解いていきたいと思います。

では、いきましょう

Let's do this

※短期間で調べてまとめたので誤りがあるかもしれません。間違いや説明不足のところなどありましたらご指摘お願いします。

レモネードの誕生は何年?

A. 1047

1047というのは正確には発明された年ではありません。

ここからは、なぜ僕がそのように判断したのか説明していきます。

レモネードの存在を示す確かな文献が書かれた年

其の文書の名は「サファル・ナーメ」(旅行記)。

ペルシャ人のナースィル・ホスローという人物によって書かれました。

彼は詩人、神学者として知られています。

セルジューク朝に仕えていた彼は1045年に、夢で見たお告げによってメッカ巡礼の旅を始めます。

諸都市を巡り7年後に帰国するのですが、その旅の途中で寄ったエジプトで彼はレモネードを作った(知った)とされています。

このサファル・ナーメはペルシア文学等の分野では当時の政治、社会状況等を知るうえでかなり重要な資料として扱われているそうです。

つまりは正確な史料に初めてレモネードが記されたのが1047年なのです。

これが年号を1047年に決定した1つ目の理由です。

しかしあくまで文献に載った年なのでレモネード自体はもっと前からあったと考えてよいでしょう。

レモンの歴史

エジプト発祥と思われるレモネードですが、レモンの原産地はいったい何処なのでしょうか。

レモンの原産地はインド東部のヒマラヤであるといわれています。

其処からシルクロードなど交易網を通じてイスラーム文化圏、ヨーロッパへと伝わっていたと考えられています。

ただ、古代ヨーロッパではレモンは観賞用の植物だったそうです。

反対に中東地域では健康のために料理やシャーベットにレモンが使われていたとの記録があるようですね。

その後、地中海地域へ其の風習が伝わり、10世紀半ばには栽培が始まったという記録があります。

そしてナースィル・ホスローがエジプトを訪れた時期と一致する11世紀中頃、エジプトの市場でレモンが売られていたという記録があるそうです。

これは、かなり辻褄が合い納得できる情報なので僕はレモネードの発明年を1047年としました。

その後12世紀までには中東の広い範囲で販売されていた模様。

また、1676年のパリにおいては「Compagnie de Limonadiers」 と呼ばれる業者団体が結成され、レモネード販売の専売権を取得し、レモネードを販売していたという記録も残っています。

日本はいつから?

日本にレモネードを初めて持ち込んだのはペリーといわれています。

その際に、ペリーが幕府役人の前でレモネードの栓を開けたときはポン!という音を銃声と勘違いし一斉に刀の柄に手をかけたという面白エピソードがあります。

ペリー来日が1853年ですが、1860年代後半(諸説あり)には長崎や神戸でレモネードの製造が始まっていたそうです。

日本にいた外国人を中心に広まっていったと考えられるでしょう。

当時はコレラが流行っていましたが「炭酸水を飲むとコレラに罹らない」という情報が流れ、かなりの人気飲料になっていたようです。

ちなみにレモネードが訛ったかたちと言われるラムネは1872年5月4日に東京の千葉勝五郎という人物が製造販売の特許を得たとされており現在では5月4日がラムネの日となっています。

当時の日本人は西洋の柑橘類の果汁を使用した飲料という目新しさにかなり惹かれていたのかもしれません。

参考文献

G.E.Tetley『ガズナ朝とセルジューク・トルコ:イラン史資料としての詩』

http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/70719/1/B088-11.pdf

今日の名言

生きるとは呼吸することではない。
行動することだ

ジャン=ジャック・ルソー

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