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意味わからん気持ちとか 他


意味わからん気持ちとか

意味わからん気持ちの連続が日常を邪魔してくる。それが単なる悲しさとか虚しさとかいう既知の言葉で表されると非常に腹が立つ。一人でいるといいことなんて一つもない。だからといって誰かといると非常に気を遣う。これもまた意味わからんことの一つであり、自分のなかにある二律の側面にいつも苦しめられている。


なんでもやり続ければいいと思っても

なにかを続けていればそのうちに良い方向へ向かうと聞いた。今はなんでもないことばかりで、たいしたものすらも生み出せなくて歯痒い。だから、続けていれば良い方向へ向かう、その言葉にしがみつこうと決めた。上司には叱られ、誤解され、何もできなくて無力の時代が続くけれど。それが果たしてなんのためになるのだろうか。続けていくことの大切さを先人たちが説いていなかったら、とっくにリタイヤしている頃だ。


本当は寂しいのだろう、

ほんとのほんとをいえばずっと笑顔に囲まれている世界にいたいのだ。こんなふうに一人でパソコンをカタカタ言わせて文章を打っている自分はちっとも羨ましくない。こうしている間にどんどんと心は何かを求めている。過去の記憶を探って、みんなでワイワイしていた頃、米子市でリゾバをしていた時か、大阪のシェアハウスにいた時か、それとももっと前の・・・


大人なること、これほど残酷なものなんてない

自分が苦しめられていることのほとんどが大人であることからきているものだ。確かに子供の時の自分は無力で、どうしようもない弱者であったけれど、未来をたくさん備えていた。何かしらの夢に向かっていくことを期待された人間だった。現実なんてものは、見ないうちが花だ。現実というものの存在に気づいた時、人は不幸へのゴールの一歩を踏み出す。赤ん坊のようにあやされていた時から逸脱していく。年をとるにつれて、世界が色々な面を見せてきて、今ではそのどれもが色褪せていて、怖い。


受け入れる

優しさや譲渡を受け入れるのだって力がいる。何かをもらうことは決して無力ではなり得ない。同時に与えることはそこまでの苦労がないのかもしれない。動いていると忘れられることがたくさんあって、親切心なんて適当に放り投げていりゃ誰かが食いつく。でも受け入れる側に回れば、気持ちは冷静で、頭がたくさんのことを考え出す。いいのか、悪いのか、なんなのか。結局自分で全てやって仕舞えばいいじゃないか。


今の自分ほど・・・

今こうしてパソコンと向き合っている、今の自分。この今の自分ほどネガティブな感情を抱いている時は過去を含めてない気がする。
そんなオーバーなことを書いたところで、それはきっと気のせいであることに気づく。過去の自分を振り返ると目も当てられない時がたくさんあった。コロナで仕事もなくて、家にもいたくなくて、どこを歩いても誰もいなくて、店という店が全て閉まりきっている。廃墟のような世界に佇んでいた。夜中、放浪して疲れて、近くの公園で寝ていても、寒くてまた歩き出す。夜明けまでひたすらに京都中を歩いていた。
そんな記憶が確かにある。そこからどうやって社会復帰できたのかてんで覚えていない。最終的に寒さで腹を壊して、近くの草むらで失敬した。気づけば夜明けになっていた。

戦うことへの不慣れ

喧嘩をしたことはほとんどない。あってもすぐに泣かされていた。3つ上の姉とは一時的にそっけない時があったかもしれないが、基本的に喧嘩はしていなかった。成長を重ねていっても、とにかく平穏にしておくのを基本的戦術としてしまい、闘争心は内面で暴れていた。それをどうしてやることもできずにいつもいつも嘆かわしかった青春時代があった。その戦いはまだ続いている。戦いはきっと死ぬまで止むことはなくて、その戦いのために生きているのかと錯覚するくらいだ。大人になるとは、その戦いと向き合う覚悟をすることかもしれない。


結局何を求めているのかも判別がつかないから

何をしたってその先のどこからが希望に満ちているのかも知れたものではない。ゴールが分からないから、とくにゴールを決めないけれど、それだと単に辛い日常が支配してくるだけだ。自分にはそういった強迫性のある感情が憑いている。普通に生きていたらダメ人間に思える。動いていたって価値がわからない。自暴自棄になることも嫌だ。冷静になって物事を見て、賢くなった気でいて結局やれることはどこにもない。
どうしたらいいか。どうもできないから、続けていくしかないというのだろう。くだらない。くだらないくだらないと、何度唱えたって、自分は現実にどっぷり浸かったちゃらんぽらんだ。生きていく意味なんてない。しかし生きている価値があることにして生きていかないと、それこそ辛い。先人たちに顔見せができない。生きたくても生きられなかった人たちに、示しがつかない。だからどれほどくだらないものとして見てしまいそうでも、自分の中に価値を見出してやるのだ。それだけだ。


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