見出し画像

向き合うべきこと

明日から唐突に休みをもらった。
2日間の休暇が明日から始まる。8月はずっと働いてばかりで、いい加減に休養したかったのでちょうどよかった。もう喜ぶゆとりもないほどに疲れて、晩飯を作る気にもなれない。連休は確かに嬉しい。しかし欲を言えば、もっと休みの日を分散して、ほどよく身体を休めるようにしてほしい。今の自分は不定休で働いており、月に6日間の休みがある。一ヶ月の間に、いつでもいいから6日間の休みがあてがわれるのだ。なので忙しい時は10連勤くらい普通に働かされる。定休日が決まっていればこんなことにはならないのだが、そういう契約の元で働いているので仕方がない。もういい加減に自分で仕事を見つけれられる人間になりたい。そしたら休みも自由に決められる。そんなうまい話はそうそうないが。


疲れ果てて、晩飯を作る気が皆無である。どこかすすきのにでも行って適当な店で飲み食いしてからたんと寝てやろうか。そう思いながらもこれを書いている。noteの更新を終えるまでは気になってしまって気も休まらない。この毎日noteの投稿が終わって、初めて今日1日のやることが終わったような気がする。いつもそうやって神経を張り詰めておかないと、何か取り返しのつかないミスをしてしまいそうで怖いのだ。



考えすぎだと思われるかもしれない。もう少し心にゆとりを持てばいい、それは自分でもわかっているつもりだ。しかし自分は根っからのトラブルメイカー、側から見れば落ち着いているだの大人びているだの散々言われてきたが、全くもってそんなことはない。いつも世の中がめちゃくちゃに乱れまくる夢を見ている。どれだけ平穏に、ことなかれ主義の態度で世間に挑もうとも、自分のどこかに潜在している無意識が暴れ回るのだ。そいつがいつも心の中でもがいて、外に出せと吠え立てる。そしてこちらに話しかけてくる。もっと他人に話しかけろ、世間に迷惑をかけろ、社会に影響を与えていけ、と。そいつはとても自分の価値観とそぐわない、あべこべのクソ野郎なわけだ。


もういい加減に穏やかな自分を手に入れたいと願う昨今。しかしそれをいくら願ったところで、ただの願いごとに過ぎない。そしてそれを願っているのは、楽をしたくて、誰とも向き合いたくないことを求めている自分なのだ。生きることは何かと向き合うことである。それがどれほど壮大なものだろうが、小さなことであろうが、関係ない。問題は向き合えているかどうかだ。これがなかなかにめんどくさい。めんどくさいと思えるのは、めんどくさくない事柄が周りにたくさんあるからだ。スマホをただひたすら見続けるだけで1日は過ぎていく。酒をひたすら飲んで寝てしまえば嫌なことは忘れてしまう。忘れてしまうことは罪ではない。ただあまりにも逃げ道が用意され過ぎている。こんな環境、どうぞ逃げてくださいと言われているようなものだ。


そして自分は逃げていた。いろんなところを逃げて逃げて、結局またいつもの自分だ。多分どれだけ逃げても、逃げた先に逃げたくなるものが立ちはだかる。だから老若男女いろいろな人たちがいろいろな場所に逃げ隠れして、そこで見つけた新しい何かに触れて、魅力を感じてそのうち飽きて、嫌になって悩みが増えて、それでまた逃げる。仕事から逃げて、恋人から逃げて、家族から、町から、あらゆるものから逃げ続ける。でもだいたいどこも同じだったりする。


だからといって無意味ではないと思う。全ての居場所は、たくさんの問題を抱えていて、そのどれもが違う色をしている。職場環境の数だけ人間関係の形がある。どこにいたって人間のやりとりには問題が生じる。どれかには向き合わなければならない宿命を背負っている。気に食わなければ勿論逃げたらいい。問題は、問題の起こらない環境がないことだ。課題の求められない環境が存在しないことだ。どこかの問題に対しては、自分の身を置いて、やっていかなければならない。


誰かと共に行動をする時、一緒になって考えていける人がいればいいと思う。それだけが問題解決の一番の方法だと思う。どうぜこの世は苦行なのだ。ならばせめて一緒になって死んでくれる人がいいに決まっている。しかし自分はたくさんのいざこざを全部無視して単独で札幌にやってきた。たくさんの人間関係を捨てて、たくさんの悩みを抱えきったままでここまできた。その罰が下ったのか、今は一人ぼっちで向き合うことを強いられている。孤独を強いられている。向き合うことから遠ざかり、反対の位置に進んでいくと、そこでは孤独が見える。今では孤独が大きく見える。


それを乗り越えたり仲良くしたりもせず、ただ何もしないままで見つめる。果たして進んできた方向が合っているのかも、今更わかるわけがない。何をどう考えたってもう戻ることは不可能だ。せめて自分が選んだ道を信じよう。これから拾っていくことだってあるだろう。それらに対して、一ミリでも向き合う姿勢を向けられたら、少しは何かが見えてくると思う。孤独以外の何かが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?