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5月が始まってしまいました

5/1

頼んでもいないのですが、今日から新しい月の始まりです。時間は進行するべくものだとは、万人の誰一人として希望した覚えもないはずですが、これ以上のない自然の摂理として、非情にも誰一人として抗うことのできない、そんな摂理なのです。

そのせいで私の箱根生活も1ヶ月という、短いのだか長いのかもわからない時を経てしまったのです。体感としては2ヶ月くらい経ったようなそうでもないようなですが、少なくとも大阪を出てから1ヶ月だなんてそれは嘘に決まっている。とても信じがたい時間経過として歪んだ視点から見てしまうのです。

そう、hitotokiでのあのわいわいがやがやで溢れ返った生活と決別の選択を得て、まだ30日と少ししか日数の見送りをしていないだなんて、誰が信じることができましょうか。きっとhitotokiに今いるファミリーの人たちも同じことを思っているに違いありません。
あいつが退去してからまだ1ヶ月かよ、と。

あんなにたくさんカタンをして勝ったり負けたりして一喜一憂に過ごして、あんなにたくさんご飯会とか自炊とかして美味い美味いとたくさん食べて、梅田とか難波とか天王寺とか行って酒飲んだりカラオケしたりドライブしたりしていたのが、本当に1ヶ月前でしょうか。
体感2ヶ月どころか、半年ぐらい経ってんじゃないだろうか。おかしい話です。

環境の変化はそれほどにまで新鮮味を与える、という考察でよろしいのでしょうか。大阪での賑やかさには流石に負けますが、かといって箱根生活がどうしようもなく退屈しかない場所では決してありません。

ダラダラと過ごしているようでそうではない決してそうではない箱根生活ですが、おそらくは濃密な時間を私に提供してくれいるのは確かです。
こんな山しかねえ別荘しかねえと、最初は驚きと不安と静けさにため息が全員の毛穴から噴き出しそうな心境で挑んだ箱根仙石原での生活も、慣れてみれば色々と楽しむことはできる、たとえば喫茶店兼本屋の「わかば」には毎週のごとく入り浸っていますし、この辺には美術館とか結構多いし、観光地ならではの美味しさと値段を兼ね備えた飲食店はやはりハズレはありません。
仙石原は私の大好きな蕎麦屋が多く、旨いざる蕎麦が至る所で食べられます。とはいえまだ一軒しか行っていませんが。高いのでね。

これから考えることは、後半の1ヶ月間の箱根生活についてです。今の私は繁忙期の最中を乗り越えるだけの戦闘員として日々旅館に駆り出される肉体労働野郎なのですが、ゴールデンウィークなんて言っている間にすぐ終わります。そしたら少し落ち着いている間にそろそろと退去の時期が迫ってきます。やばいやばい、早く次の行き先を決めないと、としている時に何も決められなくて延長...なんて展開になってずるずると箱根生活が辞められなくなると、惰性の感覚も根付いてしまうでしょう。すると体感2ヶ月だとか半年とか贅沢なことは言えない、体感2週間とか1週間とか、おいおいと老いてしまったご老齢の感覚として生きてしまいそうです。

そんな大袈裟を言っていますが、要するに次の展開は早めに決めておこう、ということ、ただそれだけの話でした。

北海道行きたい。

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