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溺れてしまう前に、忘れてしまううちに。

酒に溺れる前に日記を書き上げてしまいたい。

ということで空腹のままに風呂上がりの状態でこれを書く。昨日、一昨日とつい酔いが回っている状態で文章を書いてしまった。おかげさまで何を書いたのかも記憶にない。今週くらいから毎日書いているこの日記だが、週末あたりに投稿したものを全部読み返そうかとも思っている。それも踏まえて、まだ読み返していないものには(仮)とタイトルにつけておく方針にする。こうすることで、ちゃんと訂正したものなのかどうかが、少なくとも自分にはわかる。

最近は忙しくて、つい読書もおろそかになっている。
せっかくamazonで夏目漱石全集(全10巻)を買ったというのに、まだ1巻しか読み終えていない。その1巻も、まるまる一冊の内容が『吾輩は猫である』が収録されているのみであるので、実質まだそれしか読めていない。その『我輩が猫である』も人生で3、4回は読み返してきているものなので、まだ全然未知の部分に踏み切れていないという、なかなかにもどかしいばかりだ。

ちなみに2巻は初期の漱石が書いたとされる短編集となっていて、これまた難しい内容ばかりで、生半可な知識量では太刀打ちできない。それでも読み進めていくだけで漱石特有の凄みはやっぱり分かってしまったりする。ありきたりな感想しか言えないが、昔の作家はやっぱりすごい。wikipediaもスマホもなかった時代の中で、よくあの知識の豊富な文章を書けるものだと、読み進めてついうっとりしてしまう。それは漱石に限らず、谷崎潤一郎や三島由紀夫など、いわゆる文豪とされる人たち全般に言えることだが。

そう考えると、今の時代は確かに便利であり、いろんなことが容易く学べはするのだが、その情報たちを読み解いている我々が吸収できているかは別の話である。疑問に思ったこと、忘れてしまったこと、それらを脳みその内面から考えていくのではなくて、外部に存在するコンピュータのメモリに委ねて解決していく。そうしていくことで思い出すことはできるかもしれない。いろんなことを知りはするかもしれない。しかし結局は、自分が賢くなったわけではない。隣に万能のコンピューター君がいてくれて、彼の力でわかった気になっただけだ。

自分の外側には大量の情報が転げ回っている。それらを全部吸収したとしても、果たして自分の発言する言葉や、書く文章、自分の価値観に、うまく答えてくれるかは甚だ疑問である。
全てを学ぶことは無理だ。全ての価値観に応えていくのもまた無理な話だ。じゃあ自分はどこまで応えていく?どれだけの言葉を知れば自分の価値観は気が済んでくれる?それを知っているものは存在しない。

漱石が大量の全10巻の小説を遺して亡くなった。そして彼の書いた最後の小説は長編の『明暗』という物語であった。彼が亡くなったおかげで、かなり中途半端なところで締めくくられている。自分も去年ほど前に一度読んだことがあるのだが、かなり長い小説で、雰囲気も漱石らしい暗い感じであった。なので最初は読み進めていくのに苦心した。それでも少しずつ物語が展開されていき、さあここからいよいよ面白くなりそうだ・・・というところで、まさかの唐突な終了。本当に惜しい。

というわけで夏目漱石の小説はまたいずれちまちまと進めていくとして、問題は自分が書いている小説である。
これこそ漱石全集の比ではないほどに作業が止まっており、お前は本当に月末で終わらせる覚悟があるのかと解いてやりたくなる。確かに今の自分は、繁忙期の始まった札幌での仕事に、来週までに終わらせなければいけない引っ越しの準備、そして先月末ごろから始めているお菓子禁止生活と、重なっていく物事のタスクに、身体を振り回されている気分になっているかもしれない。なんか知らんけどハードルが上がっているのはいかがなものかと、文句の一つをつけたてやりたくもなる。しかし決めてしまったことに対して、自分でけじめをつけていかないと、もうそれこそこのまま何も変わらないままだと言えよう。自分が自分を慰めてやる、そして優しくしてやる。それも大事だがそれと同時に、厳しく、屹然と振る舞ってやるのが筋だ。アクセルもブレーキも自分の力でコントロールするしかないわけだ。

それは一見難しそうであり、実際のところ難しいものであろう。今日この瞬間だって、継続して物事を続けられなくて、続けていたことを辞めてしまった誰かさんの声が聞こえてきそうだ。

かたや、みんチャレという物事継続したい人に向けたアプリがある。それに対してこぞって皆んな参加していていく。確かに効果はあるが、やめていく人の数も半端ではない。

かたや、自分が過去にいたシェアハウスの公式LINEからちょくちょくイベントの紹介なるものが送られてきて、そこでも皆んなでやりづらい物事を一緒に励まし合ってやっていこうとする企画が立てられている。

人は何かをしたくなって、成し遂げたくなって、そしてやめたくなる生き物なのだろう。面白いほどにみんな何かに挑戦していく、そして面白いほどにやりたくなっていた自分を忘れてしまったりする。そんな面白い存在の一人として、ちゃんと自分もカテゴライズされている。
自分はいつ諦めてしまうだろうか。今の意気込みも明日には忘れてそうだ。仕方ないけれど。




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