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嫌いだ全部好きなのに



10日ぶりの休日をたんと味わって、とりあえずは体力を回復した。でも不安は拭えないどころか、何もない時間を目の前にして増幅していった。まったくどこまでもネガティブが拭えないやつだと、そんな自分にほとほと呆れる。いつまでもひとりよがりで、向き合うものは相変わらず相手にせず、楽したい自分とどうにかしたい自分に挟まれて、全てが中途半端に進んでいく。何か思いがけないタイミングで幸運が巡ってこないかと、都合のいいことを考えて、そんな自分が嫌になる。


今日は早朝から目が覚めてしまったので、しかたなく部屋を片付けて、そのあと34度の気温の中、札幌中央区役所に失効したマイナンバーカードを取りに行き、ついでに買い物に寄る。最近知ったのだが、サツドラという、札幌にしかないであろうドラッグストアで色々買い物をするとお得みたいだ。豚肉が100グラム108円、鶏むねが100グラム68円。多分そこらのスーパーよりも安い。そして家に帰って、冷たいうどん2玉に冷しゃぶやらレタスなどを乗せ、それを食らう。
leminoで配信されているバンプのライブ映像を観ながら、ずるずると冷えたうどんを貪り食う。


飯を食い、2時間ほどの視聴が終わり、歌が歌いたくなる。時間は午後4時。ジャンカラはまだ夜の値段設定になっていないはず。自転車ですすきのまで向かう。10分もかからないうちにすすきのに着く。しかしジャンカラすすきの店は待ち時間が1時間ほど。舌打ちしてすすきの2号店に向かう。歩いて5分ほどで2号店到着。しかしこちらも1時間半の待ち時間でこれまた苛立ちが募る。暑さも相まってどんどんマイナス感情が膨れ上がっていく。俺は今すぐに歌いたいのだ。なぜ平日のくせにすすきののカラオケはこうも混み合っているのか。しかたなく、近くのカラオケまねきねこに行く。まねきねこは朝が安く、昼からのプランはジャンカラより割高のイメージだが、どうしても歌いたいので入る。案の定こちらは空いている。


ひとりでカラオケに入って歌うのも手慣れたものだ。むしろ誰かと行く方が緊張してやりづらい。複数人でカラオケに入ると、何を歌えばみんな納得するのかとか、他の人が歌っているときはちゃんと聞いてあげなければとか、余計な気が入りまるで楽しんでいない。どうしようもなく人見知り気遣いすぎ自意識過剰人間の自分には一人でやったほうが滞りなく進むことが多かったりするのだ。
しかしその分孤独感も強く、一人でいくらバンプの曲を熱唱しようが、GLAYを歌って喉がガサガサになろうが、スピッツを上手く歌えず苦笑いしようが、それらは全て一人の部屋で反響する。声を出しているのにそれらはコミュニケーションにあらず、ただの独り言になる。


それはそれはとても虚しいものである。なので途中で歌う気力がなくなり、勝手に不貞腐れてしばらくは歌うこともなくただ呆然とスマホを見続けていた。スマホを見ながらもその内容はほとんど頭に入ってこず、虚無な思考が頭を独占していた。自分はなんて虚しい人間なのだ。札幌に来てからというもの楽しかったことなど1日もなく、心が休まることなんて1秒もない。だからいくらこうしてカラオケに行って散財しようとも浮かばれるものなど何一つとしてない。どれくらい休日をもらって自由を得ようともきっと自分はこのままだと思う。その果てしない虚無に囲まれている。


それでも歌っておかなければ金がもったいないと思い、普段あまり歌わないバンプのマイナー曲とかを入れて適当に歌ってみた。すると歌っているうちにじわじわと活力みたいなのが湧いてきた。黙っている時は心が腐っていても、こうして表現するだけで少しはマシになる。人間って不思議なものだ。そのあとも数曲ほど立て続けに歌い続けて、最終的になんだか歌い足りなくなるほど活力が漲ってきたが、時間が来たので帰ることにした。


そして家に戻り、今に至る。


・・・。
この1日で、自分は何か変えられただろうか。何をすることができて、何を得られたのか。家にいると、一人で時間を食い潰す日々への不安が駆け巡る。馬鹿らしい。一体何を焦っているのか。何を怖がっているか。どうして気持ちが豊かにならないのか。疲れているのか。分からない。



寂しかったら誰でもいいからラインなり電話なりすればいいじゃないか。でもそれをしないのは、傲慢だからか。わざわざ自分から赴いてやることもないという傲慢さか。いや違う。違うのならば、一体なぜこうして一人を好んで、孤独に苦しむのだ。
多分、人があまりにも好きでしかなく、反面あまりにも嫌いだからだ。人の優しさに触れると、それだけで胸の奥が熱くなる。生きがいを感じて、希望が見えたりする。その逆も然りで、少しでも気に障る対応をされると、もうその1日は誰とも何も触れ合いたくなくなる。我ながら子供だと思う。でも治らない。もっと人の気持ちに無頓着であればよかったのに。


だから孤独に生きるということは、自分にとって何よりの安心でもあり、何よりの不安でもある。常にその二つが拮抗し合っている。誰とも分かち合えない日々。ただnoteに書き写して、それだけが自分を吐き出す窓になっている。ここにいるよと、いつも言っている。それだけが自分の希望だろう。

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