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気持ち

いつの間にか8月も後半に差し掛かっている。知らない間に夏に置いて行かれているような気分だ。夏といえば、花火やキャンプ、海、夏祭り、などなど、楽しむ要素がたくさんある。にもかかわらず、今年の夏は夏らしいことを何一つしていない。

20代最後の夏だ。もう少し楽しめばよかったのかもしれない。せっかく札幌に住んでいるのだから、もっと友達を作って、いろいろところへ行って、食べたり飲んだりして遊びつくしてしまえばよかったのかもしれない。
しかし自分は別に頑張りたいことがあって、そのために気持ちを入れすぎて、そして勝手に疲れて、迷っていたので、残念ながらそれどころではなかった。


厳密にいうと今でも迷っている。
一体何に?


自分のしていくこと全てに。



今、自分は文章を書き続けている。
いずれは小説を書きたいと思って、そのために続けている。でもいつのまにか書けない気持ちが上回ってしまった。挽回したくて、書ける理由を探し続けていた。そしたら色々な自分が見えた。
言い訳している自分、逃げ腰な自分、孤独を気取る自分。
自分がとことんダメに思えて、自分が大嫌いになって、肯定する意味も消えていった。
うだつの上がらない日々が続いた。
札幌に来てからずっと、自分はうだつが上がらなかった。


自分のやりたいことのはずなのに、色々な理由をつけては小説を書くのをやめていた。本を出したいという夢はいつ間にかどこかに置いてきたみたいだ。

このままやる気とか情熱とかも全部収縮していくかのように思えた。
どんどん自分が小さくなっていって、その度に人が怖くなってきて、声の出し方すら忘れていった。


迷いに迷い、焦りに焦った。
みっともないと思う。
でも馬鹿らしいとは思えない。
それは大切な時間だと思う。
自分が前に進むための、大切な時間だ。

その大切な時間を続けてきたら、たまたまであるが生きていることがわかる動画を見つけてしまった。


それは三國清三という料理人のニュースドキュメンタリーだった。
自分は名前は知っていたが、どれくらいすごい人なのかまでは知らなかった。


動画を観て、三國さんの半生を知り、ただただ驚愕だった。
ここまでバイタリティーのある日本人がいたなんて、ただ感動した。



彼は北海道の貧乏な漁師の子供に産まれ、幼い頃からひたすら家族の仕事を手伝っていたそうだ。まともに学校も行かせてもらえず、勉強をしていたら怒られたそうだ。今の感覚では異常とも言えるが、時代の問題もあるだろう。


そして中卒のまま米問屋に住み込みで働くこととなり、そこから運命の分かれ道が始まる。
下宿先でたまたま食べたハンバーグの味に感動して、洋食に興味をもつのが彼の料理人人生の始まるきっかけであったのだ。

当時の三國青年はハンバーグを知らなかった。
ハンバーグを作ってくれた下宿先のお姉さんに美味しいと感想を言う。


彼女は、こんなもの大したものじゃない、札幌のグランドホテルのハンバーグに比べたらとても敵うものじゃない、という。


その話を聞き、彼は札幌のグランドホテルで働きたいと思うようになった。
そのためになんと単身で厨房に乗り込み、厨房にいた料理人に働きたいと志願するのだ。
普通なら追い返されてもおかしくない突拍子のなさであるが、幸いにもそのまま雇ってもらうことになった。


この時点で半端ない行動力である。


その後彼は、グランドホテルからの推薦で東京の帝国ホテルに勤務し、さらにはスイスやフランスなどで修行を積むこととなる。
そして日本に帰ってきて自分の店を開き、長年そこの店を勤め上げた。




ざっくりいうとこんな感じだが、まるで漫画のような展開ばかりで、聞いているだけでも興味深い。


三國さんの料理に対する姿勢や向き合い方、こだわり、その全てが見習いたいことばかりだった。

何かに向き合うことって、とても大変だけれども素晴らしい。
そう思って、同時に気づいた。
自分にはなにか真剣に向き合えるものが、果たしてあるのだろうかと。


今回は料理人の話であったが、人の仕事に向き合う姿勢には学ぶべきものがあるのは言うまでもない。向き合う姿勢は本当に大事だ。それだけで人生の豊かさが決まってしまうくらいに大事だと思う。そこに愛がなければ、やる気や情熱は持続しない。どれくらい給料がよくても、人気者になれても、そこから先の方向性は、本当にそれが好きなのかどうかで決まるものだ。


自分は書くことが本当に好きなのか。
頼まれてもいないのに、苦労してイライラしてキーボードを叩いたりしていないか。
書きかけのルーズリーフをそこらじゅうに放りっぱなしにして、忘れた頃に捨ててしまってはいないか。

それらの行動に、愛はあるのか。


わからない。


でも一生わからないものだろうから、そして正解も見つけられないから、ここから愛を育むしかないと思う。


もうこれが答えということにしておく。


自分は文章を書き続ける。
そしてこれからもイライラして消耗して、それでもなお続けると思う。








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