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毎日更新とか言っているうちに、の話。


やっぱり、週2とか週3などとまどろっこしいことを言わずに、日記は毎日書くべきなのではないかと、最近思えてきた。先週くらいから久しぶりに再開したnote、今はあえて週3ほどのペースで更新している具合ではあるが、少々力をセーブしているようでもあり、そんな体裁を整えている自分は、ある種見苦しくもある。



そもそも何故週3のペースを保とうとしているのか。それは過去に自分が、毎日更新などと意気込んで挑戦してきたnoteやブログ、紙の日記帳など、それらを全て途中で投げ出して、忘却の彼方に仕舞い込んでしまう形で終わってしまったからである。そのことを教訓にして、毎日続けることは長く続けていく上でよろしくないのではないかと、そんな結論に至ったのである。


日記やブログを書くことを諦めてしまった過去、それらは全部失敗談のものであり、その事実があることを振り返るのはあまり気持ちの良いものではない。
毎日何かを続けるというのは、かなり根気のいる作業であり、続けていくうちに、意義を失い、迷い、そして辞めていく。


毎日書くことなんてそうそう見つからなくなっていくことも問題視される。無理やりに続けていくことに価値があるのかとか、そんな必要性を求めてしまう。そして辞める方に価値があるのではないかという幻覚に苛まれ、あきらめていくのだ。


人はしんどくなってきた時、ついつい都合のよい方面を見てしまう。都合のいいことというのは、いち早く楽になれることだ。



やり始めは勢いがあったダイエットも、しばらく続けていくうちに辛くなる。そうすると、いち早く食欲を満たす方向につい首が向いてしまう。気がつくと何かむしゃむしゃと食べ始める。そして後悔する。



始めは楽しかった勉強も、難しくなって躓いて嫌になれば、わざと外を散歩したり、ニンテンドースイッチに手が伸びたり、youtubeに明け暮れたりする。



部屋の片付けもそうだ。楽しいのは最初だけで、そのうち体力が切れてしんどくなる。その頃に、昔のアルバムとか積読していた本に興味が湧いてきて、気づけば相当の時間を食われていたりする。



脳みそなんてものはれっきとした愚か者に違いない。その愚か者に思考や本能の全てを委ねている人間もまた、愚か者に違いないのだ。


その愚か者の集まりたちが何故か文明を発展させることに成功しているのだから、世の中わかったものじゃない。そしてそんな愚か者たちが歴史を積み重ねて、山のように戦争とか侵略とか貿易とかなんやかんやをして、結果的には80億人くらいが一つの惑星の上で暮らしていて、科学は異次元のように発展して、そして社会問題はいつまで経ってもなくならないありさまとなっている。みんなが社会の平和を願って、その反面みんなが自分の欲望を満たそうとしている。こんなカオスな世界に産み落とされるとは、自分はなにかの宿命を抱いているのではないかと変な思い違いをしてしまいそうである。


この世に自分を貫いて平和を守っている人などほぼ皆無である。だいたい人なんて生き物は、平凡に穏やかに暮らしていくか、容赦無く周りを巻き込んで酸いも甘いも食らっていくかのどちらでしかない。・・・というのは極論かもしれない。しかし世の中に多大な影響を与えていく者には、多少なりとも凡人の我々には理解できない行動力とか思考とかが備えられている。まるで宿命でも持って産まれたんか?と聞いてやりたくなる。


人はどうして人に影響を与えようとするのだろう。noteを書いている人だって、youtubeに動画を上げている人だって、政治家を目指す人だって、飲食店を経営している人だって、元は世の中に影響を与えようとする原動力のようなものがあるからそれが続けられるということだ。
趣味や仕事は大概がそれで始まる。誰にもなんの影響も与えない人の行動などあり得ない。どんなに家に引きこもろうが社会から隔離されようが、人は食事をして排泄をして、呼吸をしてこの世に存在している。自分の欲を肥大化させてポケモンカードを売り捌いて金儲けに走る転売ヤーも、部下にLINEのメッセージで罵詈雑言を浴びせる店長も、店舗見回りで部下たちに大声で挨拶をさせて王様気分になっている副社長だって、千差万別あれど人に影響を与えることで愉悦を感じているのだ。

それはまさしく愚か者と言えるこの脳みそくんが下した決断でしかない。人はどれほど賢ぶっても、悟りを開いても、頭の中にはいっているコイツが全ての価値観や方向性を決めてしまうわけだ。ひたすらに勉強して、あらゆる世界を網羅したところで、人の限界など決まりきったものでしかなく、一人の脳みその限界などそれこそ大したものも生み出せないだろう。

だから人は一人では生きていけない生き物なのだと思う。孤独を嫌い、寂しさを解消したがるのは脳みそが一人でいることの脆弱さに気づいているからだ。そしてその一人を解消しようとする力が、世間へのアプローチに繋がるのかもしれない。

皆が皆当然のように群れあって、愛し合って、競争し合ってと、そんなものが人には必要で、人たる所以なのだろう。今の自分は単身で移住したこともあり、ほとんど一人で、誰にも自分の存在を証明していないような生き物だったりする。

だから自分は少なくとも、このnoteで自分を押し出していくつもりだ。自分が人であることを忘れないように。毎日更新する、と思う。





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