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TRPG制作日記(73) 容姿5

私は医者である。という文章において、「私」は実際に目で見て手で触れることができる現実的存在(実存)であり、そして「医者」は職業のカテゴリーです。「私は医者である」というのは、「私」という実存が「医者」というカテゴリーに属していることを意味しています。

TRPGとは参加者がゲームマスターとプレイヤーに分かれて、ゲームマスターが物語を語り、そしてプレイヤーがその物語の登場人物になる遊びです。プレイヤーはキャラクターシートを読んで、そしてキャラクターシートの人物を演じます。

さて、TRPGはお医者さまごっこに似ているかもしれません。私たちはTRPGで遊ぶときには、別のカテゴリーに属します。

たとえば、ファンタジー冒険TRPGでは、私たちは剣士や魔法使い、僧侶というカテゴリーに属します。

また、ホラーTRPGでも、私立探偵や医者というカテゴリーに属します。

しかし、TRPGはごっこ遊びとは異なります。なぜなら、私たちは自分達が別のカテゴリーの一員を演じるのではなくて、つまり自分が別のカテゴリーに属していることを想像して演じるのではなくて、キャラクター、すわなち今の「私」とは異なる「私」を演じるからです。

TRPGで演じられるのはカテゴリーではなく実存なのです。


『太陽神の巫女-AmaterasuCard-』TRPGのキャラクターには能力が設定されていますが、その能力の一つとして【容姿】があります。

昨日から引き続き、今日も容姿に関係したことを書きたいと思います。


さて、あらゆる商品は実際にどのように消費者の役に立つのか、すわなち使用価値を持っています。資本主義では、労働者は商品として扱われるので使用価値を持ちます。

ここで私は医者である、という文章をもう一度見てみましょう。この文章を読むと思わず「私は医者という使用価値を持つ」という文章に書き直してしまいたくなりますが、それは正確ではありません。

使用価値と交換価値の話をしていたときに、使用価値は実存に関係していて交換価値は本質に関係しているということを書いたと思います。

そして、医者は使用価値ではなくカテゴリーであり、そしてカテゴリーは実存ではなく本質と関係があります。ある特定の本質を持つ対象が、同じカテゴリーに分類されるのです。


この場合に、私たちは次のように考えるべきです。すなわち、他人を癒やすというスキル(技術)を持つ者が医者であり、そして「私」は【治療】というスキルを持つから医者なのだと。

すなわち、「私は医者である」における「私」の使用価値は【治療】です。


使用価値というのは他人を助けることができる能力です。そして、それはカテゴリーではなくスキルと関係しています。

たとえば、ファンタジー冒険TRPGにおいて、ある剣士Aは【剣術Lv10】というスキルを持っているとします。そして、このスキルは強い敵モンスターを倒すことができるとします。

このときに、剣士Aは【剣術Lv10】という使用価値として、他の冒険者仲間たちの前に現象します。

そして、このスキル【剣術Lv10】は使用すると使用するキャラクターの体力を消耗すると仮定します。

そうなると、【剣術Lv10】は仲間のために体力を失い敵を倒すという現象を起こすスキルとなります。


容易に想像できることですが、スキルとは自己犠牲です。


たいてい、私たちが何かをスキルと呼ぶのは、自分のためではなく、自分以外の誰かのために使うことができる能力に対してです。

医者は治療のスキルを持ちます。そして、病人を癒やす使用価値があるからこそが彼は医者という商品なのです。

また、剣士は剣術というスキルを持ちます。そして、彼は敵モンスターを倒すことができるからこそ剣士なのです。


黒髪の剣士Aがいたとして、【黒髪】は剣士のスキルではありません。それはダンジョン攻略において、剣士Aが剣士という役割を演じるときに、剣士として仲間たちに役に立つ性質ではないからです。

スキルとは奉仕であり、奉仕そのものです。


さて、ここで次のおもしろい文章を考えてみましょう。

「彼女は美少女である。」

美少女というカテゴリーに対応するスキルは容姿なので、その彼女は美しさという使用価値を持つことが分かります。

アイドルなどを考えると、これは確かに使用価値であるような気がします。

アイドルはその容姿によって、資本主義の過酷な労働により心を痛めつけられた労働者に生きる希望を与えるからです。


アイドルは労働者であり、商品です。

これを否定することは、容姿を磨くために仲間と協力して日々新しい技術に挑戦している女性労働者たちへの侮辱です。

医者は医療というスキルを磨くことで医者となり、そしてアイドルは容姿という能力を磨くことでアイドルとなります。この二つに労働者として異なるところなどありません。


しかしながら、「彼女は美少女である」という文章、より正確には美少女という単語には健やかならざるところがあるような気がするのは、きっと私だけではないでしょう。


ポイントは「美しさ」です。


美しさとは特殊な能力であり、他のスキルが自分の資源を消費して他人に資源を与える能力であるのに対して、美しさという能力は他人の資源を自分の資源にするために使用されます。

あらゆる能力やスキルは他人や仲間のために存在しますが、容姿は自分のために存在します。容姿とは他人から愛情を奪うスキルなのです。


そのため、容姿というスキル、あるいは能力は使用価値よりも交換価値に近い価値を持ちます。交換価値の高さは、他人から大切にしてもらえる能力と関係があるからです。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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