TRPG制作日記(84) 容姿16
意識されることは少ないですが、自分自身がどのような人間であるのかは私たちの人生に何の関係もありません。
たとえば、あなたが医者ではなかったとしても、それが理由で病気で死ぬことはありません。病気で死ぬ人は医術を持たない人ではなくて、医術を利用する環境をもたない人なのです。
私たちはどれほど有能であっても、それだけで幸福な人生を生きることはできません。私たちが幸福になるのは、自分が有能であることではなく周りが有能であることによるのです。
昨日はシンデレラの話をしました。
シンデレラとは家事労働を頑張る真面目な女性が、その真面目さのために彼女を愛していない継母や二人の姉に搾取されている物語です。しかし、彼女は魔法の力でドレスや硝子の靴、そして馬車を手に入れて、そのすばらしい容姿で王子から愛されて労働から解放されます。
そして、継母と二人の姉は労働力を失うのです。
ここで重要なのは、シンデレラの有能さは何一つ彼女の人生に貢献しなかったということです。
逆に、シンデレラの有能さは、継母と二人の姉から家事を押しつけられることでシンデレラ以外の幸福にだけ貢献しています。
シンデレラは、ドレスを手に入れることもできず、自分を愛していない人たちを幸福にするために生涯を捧げるところでした。すべては、彼女が労働者として有能であったためです。
いっぽう、魔女はドレスや魔法の靴を与えることで、シンデレラに王子を結婚する機会を与えました。
ここでもシンデレラの持つ労働力は彼女の幸福に貢献していません。彼女は有能であるから王子に愛されたのではなくて、美しいドレスと硝子の靴によりきっかけを得たのです。
今日は資本主義と恋愛について考えてみましょう。
私たちは資本主義社会において、自分たちの能力を企業に売り、そして賃金という報酬を得ます。
私たちの労働力は企業に売る商品となります。このときに売る労働力は企業の営利活用に役立つ能力、使用価値となります。そして、報酬としての賃金は交換価値となります。
このときに、資本主義では二つの信念が存在します。一つ目は高い使用価値は高い交換価値に結びつくというものです。
二つ目は需要と供給の理論から、希少な使用価値は高い交換価値と結びつくという信念です。
つまり、有能な人で希少な人は高い賃金を得ることができる、そして得るべきだという能力主義が生まれます。
能力主義そのものが問題であるという考えを忘れて、そもそも資本主義は有能な労働者に対して高い報酬を与えるシステムではないことは指摘しておくべきでしょう。
それはコンビニエンスストアの店員が、どれほど有能であってもこく所得者になることはなく、そればかりかときには社会不適応者という判断をされることがあることからも明らかです。
販売店員と医者は比較できない異なる能力、技術を持ちますが、それらは等価交換方程式である、
aA=bB
で結びつけられて評価されます。コンビニエンスストアの店員がどれほど有能で現代の日本では医者よりも人々の生活、社会を支えていると断言できる存在であっても、評価が低いのは人々は等価交換方程式から能力の価値を決めるからです。
同時にこれは、低い交換価値と結びつく能力がその能力を持つ労働者の人生に深刻なダメージを与えます。
こういう話になると、私たちは人生はいろいろ、それぞれの人にはそれぞれの人生があると終わらせがちです。また、犠牲になっている人たちも自分の境遇をそれほど嘆くことはありません。
なぜなら、どのような人生もそれなりに楽しいところがあるからです。
そればかりか、そもそも人は自分の人生以外を生きたことがないので、他人の人生と自分の人生を本当に比較することはできません。
そして、決定的なのは、私たちは楽しく生きることよりも善く生きることの方が重要だと考える傾向があることです。
宗教が関係すると特にそうです。
そのことにより、私たちは権力を求めることよりも、自分を磨き能力を磨くことのほうが大切だと考えます。
奪う人生よりも、与える人生のほうが素晴らしいのです。
もし私たちが家族を持たないのであれば、そして友人や恋人がいないのであれば倫理とは単純です。奪うよりも与える方が素晴らしいという一言で表現できるでしょう。
実際のところ、他人から必要とされる人生、誰かを笑顔にする人生というのに生きがいを感じるのも一つの人生です。
自己承認欲求を満たすだけの人生も悪くはありません。
しかし、それは結婚する人間としては最低です。より正確には親になる人間として賞賛されることはありません。
自らの交換価値は、そのまま賃金となり、賃金は自分の人生を取り巻く商品の使用価値に変換されます。
そして、本人の使用価値は企業に売られるため、結婚相手の使用価値は交換価値に変換されて結婚相手の人生を形成します。私たちは自分達の交換価値により恋人や家族、そして子どもの生活を豊かにするのです。
結婚はすべての価値観を反転させます。私たちは結婚することで自己犠牲の精神を捨てなくてはなりません。家族の存在は、育児という現実のために交換価値を重要な価値にするのです。
そのため、私たちは、どれほど社会で必要な存在であっても、ただ交換価値が低いというだけで侮られるようになります。
大切なのは有能であることではなく、貧しくないこと、つまり子どもに豊かな人生を与える権力があることなのです。
恋と結婚は私たちの人生のすべてを変えます。
結婚は自分の人生に相手を巻き込む行為なので、私たちは「善い人」であることで軽蔑されるようになるのです。
今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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