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ゲームは好きじゃない、ほとんどやったこともない…という保護者は、わが子のゲームにどう接するとよいのでしょうか

「子どものゲーム問題」についての議論の落とし所は、“家庭での保護者の対応”ということになりがちです。
なかなか興味深いこちらの特集記事(Yahoo!ニュースオリジナル「子どもとゲームの関係」みんなはどう考えた?)でも、当然のように、親のかかわりはどうあるべきか…の現実と理想を探る、という流れになっているように見えます。

いやまぁ実際、ゲームとの理想的な付き合い方について学校で何か子どもが教わってきたとしても、ゲーム機を買うのか買わないのかに始まり、タイミングとしてはいつ買うのか、買ったゲーム機をどう与えるのか、利用のルールはどうするのか、決めたルールを守らせられるのか、それら全てを左右するのはもっぱら保護者なわけです。

そう理屈ではわかるけど、いざパッとバトンを渡されても、正直、困っちゃうよなーという保護者は案外多いようにも思います。

そもそもゲームなんてよく知らない。もっと言えば好きじゃない。でもゲーム問題からは逃げようがない。これは苦しいです。

また、たとえ夫婦のどちらかがゲーム好きでも、そのパートナーの方は、かなりの温度差があるというケースもよく聞きます。
そういう場合は、“子どもの悪い手本になるから困る、まず夫のゲームをなんとかしないと〜”と夫婦の分断まで生んでしまいます。

そんな、悩み多き“ゲーム好きじゃない”保護者は、わが子のゲームに、どう接したらよいのでしょうか。

一人の保護者、一軒の家庭では抵抗できない、今どきのゲームの大波

子育てに関わる他のこととは相当に違い、保護者はゲーム問題から逃げ隠れできません。
特に近年はインターネット機器がどの家庭にも普及したことで、小学校入学以降の子どもの多くが日常的にゲームを楽しむようになっています。
熱心かどうかは別として、子ども自身がゲームに全く興味ないというケースは、ハッキリ言って少数派です。

◎インターネットの利用目的としてゲームが挙がる割合(年齢別)
5歳 52.2%
6歳 74.0%
9歳 82.3%
10歳以上の小学生 82.5%
中学生 79.0%
高校生 78.6%

内閣府:令和2年度青少年のインターネット利用環境実態調査

さらには昔のゲームと違い、今どきは、スマホやタブレット上のゲームアプリではもちろん、Nintendo Switchやプレイステーションのような専用ゲーム機で遊ぶ場合にも、インターネット経由で、友だちと対戦したり交流したりという要素が、どのゲームにも当たり前のように盛り込まれています。
「みんながやっている(持っている)」の頃は通用した「ウチはウチ、ヨソの家とは違うの!」は、「みんなとやるんだ」の最近は、そのままでは通らなくなっているということです。

さらに小学校3年生、4年生あたりからは、「ゲームをしない遊び友だちが近所に見つけられなくて困る」という事態に陥る保護者も少なくありません。(わが家もコロナ禍の前はそうでした…)
ゲームはしない・させないという保護者複数で結託できて、その子ども同士も気が合うならラッキーですが、なかなかそううまくいく場合ばかりではありません。

ゲームなんて好きじゃない…を少しだけ深堀りしてみよう

そもそもゲームなんて好きじゃない、という保護者が少なくないのは、特に不思議なことではありません。年齢層が上がるほど、当然そうなるはずです。

たとえば、わたくし自身もそうですが、一定以上の年齢層の保護者の子ども時代には、“ゲームをする”=“ゲームセンターに行く”ということでした。

ゲームセンターに行くということは、少額とはいえ、おカネを持っていってそこで使うわけです。長時間になれば、夜遅くまでの外出ということになります。それは不良がすることだ、逸脱行為だという時代が確かにあったわけです。

いまとなっては信じられないかもしれませんが、少なくともその時代、ゲームは、小学生が日常的に楽しむ娯楽とは、思われていなかったのではないでしょうか。

画像出所:株式会社ミクシィ「ゲームの魅力とリスク」Ver.1.0(2021年)

続いては、ファミリーコンピュータなどの家庭用ゲーム機が普及する時代です。1980年代末には家庭用ゲーム機の世帯普及率は約1/4に達した(小中学生のいる家庭ではさらに高かった)と指摘されています。(出所:日本情報処理開発協会『情報化白書1990』p.103

この頃、日本のゲーム人口は相当急速に増えたものと考えられますが、その当時のゲームは、まだ一人ずつで(または家庭内で)楽しむものでした。

ゲームの種類もそれほど多くはありません。何回かプレイすれば飽きるような単純なものもあれば、逆に、楽しみ方の間口が狭かったり(操作の習得が難しいなど)、プレイ負担が大きい(完結させるのに時間がかかるロールプレイングゲームなど)といった弱点が見られるものもありました。

この時代にゲーム適齢期の子どもだった保護者だと、「少しはプレイしたことがあるけど、のめり込むほどは楽しめなかったなぁ」とか、「うまくなる/クリアするには相当な時間が必要で、途中で挫折した…」などの印象が残っている人が、それなりの割合に上るのではないでしょうか。

その後、ケータイやスマホで、ちょっとしたスキマ時間に楽しめるゲームが増えたことで、ゲーム人口はさらに増えました。電車の中など、人目につくところで大人がゲームをすることも、当たり前になりました。

しかし、ここでもゲームに楽しさを見いだせないままの人は、結構いたはずです。ケータイゲームは、ゲーム専用機のゲームと比べると、操作やテーマにちょっとしたクセがありましたから…。
そのさらに下、中高生の頃にスマホ全盛期になってからのゲームを楽しんだきた世代は、まだ多くが保護者にはなっていないわけです。

自分が好きじゃないから、よくわからないから、子どもがゲームをする姿を認めにくい

とても乱暴に言ってしまえば、“自分は◎◎が好きじゃない”という態度表明と、“自分は◎◎が苦手だ(ヘタだ)”という自意識の間には、本人が気づいているかどうかは別として、かなり深い関係があると言えそうです。
他には、“過去に◎◎でイヤな思いをした”、だから好きじゃないんだ…という関係もあるでしょうね。
実のところ、保護者のゲーム観については、これらの流れで説明できるケースは多そうです。

それに加えて、最近のゲームは、保護者自身が子どもの頃に経験したどんなゲームとも、かなり違ってきています。
ゲームにエンディングが無い、初期費用が無い(または廉価)、ネットワークでつなげて遊ぶのが前提…など、パッと見ただけでは、“よくわからない”、“把握できない”複雑なものになっているわけです。

機器の高性能化やネットワーク帯域の拡大に伴い、プレーヤーに求められるスピード感も段違いです。少なくとも、ちょっと老眼が始まったかな…という年齢の保護者以降になると、子どものペースにはとてもとてもついて行けない。(何を隠そう、これもわたしのことですが苦笑)。操作すべきコントローラーのボタンの数も多いし。

そしてなによりも、大切なわが子が、自分が好きじゃないもの、よく知らないものに惹きつけられているという状況ほど、保護者をガッカリさせることはありません。

もちろんゲーム以外にもそういう趣味や遊びは、昔からあるわけです。いずれそうなっていって当然です。でも、それは“保護者の目が届かないところ”で行われるのが普通でした。家の外では悪い言葉づかいや、ひどいイタズラ、迷惑行為をしていても、保護者に見えない限りは気にしようがありません。

ゲームは違います。保護者の目の前で、子どもが長時間夢中になっている。声をかけても生返事。もうそろそろ終わりにしなさーい/宿題はやったのー?などと、さらに強く介入しようとすると、嫌がられる、キレられる。

ゲームの種類によっては、ヘッドセットをつけて、誰だかわからない相手と話をしている。その言葉遣いも、ふだん家で聞こえてくるものとは大違い。画面に写っているのはいつも闘うシーン。

これでは保護者にとって、ゲームが“さらに嫌いなもの”に位置づけられないわけがありません。

図版出所:Yahoo!ニュース特集「子どもとゲームの関係」みんなはどう考えた?

これは上記記事にて示された「理想的な循環」ですが、実際には、
“好ましくない行動に目が向いてしまう(態度が悪い/冷たい、言葉づかいが悪い)”

“叱る=子どもの(保護者も)自己肯定感ダウン”

“問題行動が増える(自室に隠れてプレイするようになる、自宅外でプレイするようになる、親が寝てからプレイするようになる)”

のように、全く逆の「悪循環」に突入してしまいがちというわけです。

ムリに好きにならなくても、受け止め方、関わり方はある

対処のあり方として、「保護者もゲームを一緒にプレイできると良い」などと簡単に言う専門家もいるわけですが、そういう方は、実はゲーム好き(ゲームが得意)である可能性があります。ゲームが苦手な人の気持ちはあまりわからない。

実際には、どうぶつの森シリーズやピクミンブルームなどはともかく、小学生男子が好きな戦闘要素ありのゲームを、ゲーム経験が浅い保護者が一緒になって楽しむというのは、かなりハードルが高いと言わざるを得ません。

これは、わたし自身の経験からも断言します笑、FIFA18もフォートナイトも、いくらやっても小6男子に勝てる気がしません。もはやグランツーリスモですら危うい。

筆者心の声…

ではどうすればいいのか。
その第一歩は、子どもの好きなゲームの、(そのリスクではなく)魅力について、虚心坦懐に学ぶことです。

多くの人気ゲームには天才が関わっているとはいえ、わたしたちと同じ人間が生み出した作品には違いありません。おカネを投資し、稼ぎ、再投資するというエコシステムとも、無縁ではいられません。
ですから、プレイ自体はなかなか上達しなくても、ゲームという娯楽を構造面から理解することは、どんな大人にも、それぞれの社会経験を土台にすればそう難しいことではないのです。

ここまで本記事では、“ゲーム”をひとくくりに取り扱ってきましたが、その中身は実に多彩です。いろいろな種類のゲームが楽しまれています。その違いに目を向けてみましょう。
また、同じゲームタイトルであっても、プレーヤーによって楽しみ方はいろいろです。プレイタイプの分類方法は「小6男子のフォートナイトを観て学んだこと」でも紹介したバートルテストが面白いです。

ただし、保護者が(特にゲームが本音では好きじゃない保護者が)そうしたことを気軽に学べる場は、残念ながらまだ多くはありません。

そこでオススメできる書籍として、以下の二冊をご紹介しておきたいと思います。

これらの書籍、なにも隅から隅まで精読しなくても大丈夫です。ひょっとすると、目次だけざっと眺めれば、中身は読まなくてもいいくらいかもしれません。

一番大切なことは、上記の図版にあるスタート地点“子どもの行動の客観的な観察”に冷静に取り組めるように、保護者自身が、「なぜゲームを認められないのか」について、自分の心の中をいったん覗き込んでみることなのではないかと考えています。

もちろん、言うは易く行うは難しではありますが、お子さんが保護者の目の前でゲームを楽しんでくれているのであれば、まだ間に合います。

もともとは「自分の好きなことは保護者にも知ってほしい」のが小学生というものです。
この冬休みの間、ゲームについての小言を控え、お子さんには「ちょっと見学させて」と声をかけてから、ぜひ“観察”を試してみてください。

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