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不登校という行動と向き合う
この投稿作品は約1年前に、他の媒体で投稿した作品。
今、noteへと舞台を変えたものの、絶対に自分自身の心に残しておきたいと思い、少し加筆してnoteに投稿することに決めました。
『不登校の子』と『単身赴任』
あの日々は、妻にとって地獄の日々だったと想像すると同時に、ストレスを抱えた母を見ながら、部屋へと閉じこもった息子の孤独。考えるだけでも胸が締めつけられます。
逃げれない空間は一体なにが作り出しているのか?
このnoteを読んで感じとっていただけたら幸いです。
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先日、息子は引退試合を迎えた
あの息子が感極まって泣いた
先生や仲間と肩を組み
泣いてる息子の背中を仲間達が叩く
こんな感動的なシーンを見れる幸せ
本当に感謝しかない
最高に幸せな1日でした
息子が生まれた時、僕らも子供だった。
今では子育て先輩みたいなこと言ってるけど、当時は21才。
友達からの飲みの誘いを断る自分が情けなく感じ、ため息つきながら家に帰ることが多かった。
息子に散々、怒ってきた。
もし、今の自分なら。
もっと言い聞かせたり、
もっと見守ってあげたり、
できたかもしれない。
でも、あの頃は怒鳴るしかできなかった。
仕事も忙しくなってきて、
「パパ。なんでうちはサンタクロースが来る日が違うの?」「なんで僕の誕生日をちゃんとやってくれないの?
そんな言葉を言わせてしまっていた。
出世し仕事の責任が大きくなるたび、子供も会う回数が減り、気付けば週1回になっていた。
気付いたときには息子は学校へ行ってなかった。
息子は中学校を数えれるくらいしか行ってない。
妻のストレスは溜まり、会うたびに「学校へ行くように怒って」と言うようになった。
月数回の数少ない家族で過ごす日が「外食する日」から「怒られる日」に変わって、とうとう外食も「行かない」と言い出した。
なんで学校に行かないのか?
「なんで来ないの?」
「なんで行かないの?」
全員が口を揃えて言う。
先生が親が友達が…
学校へ行かない理由。
イジメでもキライな人がいる訳でもない。
ただ、休むと周りの会話についていけなくなる。
ただ、それだけ。
1番最初のきっかけは宿題が終わっていないから行きたくない…
ただそれだけだった。
僕は息子から聞いていた。
いや、きっとみんな聞いていた。
僕も何度も説明した。先生にも妻にも。
でも、みんな言う。
「それだけな訳がない。きっと何かあるはずだ」
ことあることに「なんで?なんで?」が始まる。
何度言っても誰も分かってくれない。
そしてみんなが言う。
「それだけなら来ればいいのに!」
それだけゆえに本人ももどかしい。
それが分かってて行けないんだ。
それが理解してもらえない学校に行けるだろうか?
行けば、解決する…でも、その1歩ができない
「なぜ?行かないの!!」
その圧力はドンドンと強まる。
友達も親も先生も優しければ優しいほど、
「なんで?来ないの?」という言葉で、さらに踏み出せない自分に追い込まれる。
追い込まれない場所、帰れる場所が自分の部屋だけになった。
あの時、僕は助けてあげれなかった。
「今は待ってあげようよ」
僕の言葉は「太陽君は家におらんから分からんねん!私の辛さが!」このひとことで掻き消される。
「今は無理やから見守ろう」
「今が無理ならいつ?ほっとく気?」
「ほっとくんじゃない。ただ、このままだと息子の居れる場所がなくなる。大事なのは『自分が居ていい』っていう環境やって」
「環境?意味が分からん!環境、環境って!全部私のせい?」
「違う。私のせい?じゃなくて!自分たちのせいにして、はじめて考えたり変えれたりするんやん」
「そんなん言って全部私のせいなんやろ?!?!」
こんな言い合いを何回繰り返しただろう。
自分をめぐって、色んなところで話し合いが始まる。「行きたくない…」自分のその思いが沢山の人に迷惑をかけてる。
自分のせいで、たくさんの人に迷惑が掛かる…
大人の僕でも逃げ出したくなる…
「お願い。頼むから全部任せてくれ」
「任せてって家にいないやん!私はどうしたらいい??!」
「帰れる場所だけを作ってあげて」
「意味分からん!私はストレスの中でも精一杯に優しくしてる!居場所がないとか!環境とか!私のせいみたいに言わないで!学校に行ってくれないと私は苦痛で…ママ友にも会われへん。なんでうちの子が…」
「子供はね。何があろうと親のとこに帰ってくるの。親を恨もうが、自分の敵だろうが、全てを嫌になろうが。母のもとに帰りたいと思う。だから最後に居れる場所だけは作ってあげてて。」
「なにそれ?諦めろってこと?」
諦めることで承諾してくれた。
もう、学校に行くことは諦めると…
でもね、違うんです。
諦めることで妻のストレスをなくして欲しかっただけ。
大人達から何度も言われ続けてたんですよ。
「そのままじゃ高校に行けないよ。仕事もないよ。一生1人になるよ」って…
不安だっただろう。
部屋に逃げたくなっただろう。
僕らはそれからどうしたか?
僕が帰って来る度に「高校に行けますように」と息子と家族を連れて、色んな神社へお参りに出掛けた。
「大丈夫!出席日数ないけどwwきっと行けるよ高校!なんとかなるさ!」
僕の月数回の休みは全部、家族で笑いながらドライブへ出掛けた。
神頼みではあるけど「希望はきっとある」って家族で色んなところに出掛けた。
新しいスタートを切れるように。
それからも息子は中学校には行かなかった。
でも…
なんと!高校は合格した!
ありがたい時代です。
切り捨てる時代はもうとっくの昔に終わってるですよ。
そして、高校入学してから息子は、
高校へ毎日通うようになった。
しかも!
それから2年と数ヶ月間…今まで1回も学校を休んでない。皆勤賞だ!
高校から始めた柔道。
そんなに強い訳じゃない。
でも、一生懸命通った。
コロナがきて試合はほとんど行われなかった。
そして昨日…
最後の引退試合。
とても小さな試合でした。
たった4校だけ集め行った試合。
その最後の試合で初めて入賞することができた。
試合を終え、表彰で呼ばれ賞状を手渡されたとき、息子から涙がこぼれ落ちました。
しかも、共に頑張ってきた3年生全員が入賞した。
息子は仲間に囲まれ喜び合い、
息子だけが涙が止まらなかった。
みんなに肩を叩かれながら、笑われながら、泣きながら、息子は笑っていた。
成し遂げた経験。
息子はこれからきっと、諦めない男になる。
僕達、家族はまれな例だとは理解している。
自分の判断が正しく「不登校の子を持つ模範的行動だった」と言う気もない。
息子のチカラだった。
心から思ってる。
ただ、ひとつ言えることがある。
「自分の苦悩を誰も理解して貰えない」
全てはここにあると。
学校に行けない子も、
学校に行かない子を持つ親も、
「なんで?自分だけ?」って。
周りが言う「大丈夫やって」「気にするな」
分かってるよ!分かってるけど無理やもん!
学校って本当に特殊で、環境を変えようがないんですよね。
職場なら変えればいい。
嫌ならやらなきゃいい。
キライなら距離を離せばいい。
これができないのが学校。
心情理解してくれても、
寄り添われても、
逃げ出したくなる瞬間はある。
居たくない場所はある。
次のステージをどのようにポジティブに迎えるか?それが本当に大きいと思う。
【希望を持って新しいステージへ】
きっと最高の仲間達と輝く未来が待ってる。
息子のように
あれから1年。
息子は消防士を目指し専門学校に通っている。
友達を大切にし、たくさん交流できる場所に自ら足を運ぶ。
僕は『2度と後悔したくない』そう考え、仕事を変えた。収入は半分以下。
でも、こんなに幸せな日々は無いと実感している。
タイトルで書いた『不登校という行動と向き合う』
なぜ、不登校になるのか?必ず原因がある。
子供は言語化能力を持ってない。
大人は自分の『ものさし』で考える。
自分の頃はこうだった
そんな訳がない
大切なのは『未来志向』
『今の現状は互いに理解できない』という事実を理解し、双方に利益のある未来を設定する。
互いが助け合えば、明るい未来しか待ってないんだよ。だって家族なんだから!一緒にいるだけで心落ち着く最強のチームなんて集めたくても集まらないよ。そのチームがビジョンを見失ってはもったいない。
世の中には、上手くいかなかった家族もあるだろう。それも仕方ない。戦略が間違えばどんな最強チームでも崩壊する。ならば自分がリーダーになれる場所を探せばいい。
さて、息子19歳。娘は来月で17歳。
毎年、毎年、可愛くなる。
それぞれの夢!
パパの最後の日まで応援し続けるからな!
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