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あなたの正論が負ける理由(人を動かす正論の伝え方)

「言っちゃいけないことは、たいてい正しい」

この言葉は、成田悠輔さんの本の帯に書いてある言葉。

確かに思いあたる節がたくさんある。
身近なところで言うと、ハゲた人に「髪の毛が少ないですね?」と言っては基本的にダメだし、近年の社会全体で言うなら「データから振り返ってみて、客観的に見ると『流行り病』はたいした病気じゃ無かった」なんて言おうものなら総叩きのフルボッコ。

本当のことを言ってはダメだというカルチャーがこの国にはある。

先日、買った本は
人を動かす正論の伝え方』著者 : 藤井聡

藤井聡さんは元内閣官房参与で国土強靭化に尽力を尽くした人であり、現在は表現者クライテリオンの編集長。そして、京大の教授として活躍されている方で、最近でいうと藤井さんの研究チームの結果から、東京都の飲食店における営業時間の時短命令の違法性を問う裁判で、裁判所に『営業時短の効果は無く、時短命令は違法である』と認めさせたという実績をお持ちの方。

行政がやってることの間違いを認めさせる。これは凄いことだと思う。ましてや、世論も完全に自粛ムードだったマスク警察とかもたくさんいた、あの時代に。

でも、知ってました??
散々、飲食店を倒産に追い込んだ行政による時短要請は全く効果がなかったことが裁判所で認められたことを!そもそも、報道されたのだろうか?あの感染対策は統計データを分析したところ、感染縮小効果は0.08人しかなかったことを。結局、行政の単なる『対策やってますアピール』を目的に行われていただけだったという事実を。

でも仕方ありません。
正論は言ってはダメな世の中なのだから。

それではここで、感想文の本編へと行く前に、ここで友人の紹介をしたいと思います。この読書感想文では僕の仲間を1人ずつ紹介をしていってます。それは僕が、本は『学び』を生み出し、その学びが『人との繋がり』を強くすると考えているからです。

今回、紹介する友人は同じコミュニティの仲間。そして、SNSで正論を発信し続けていた友人。

彼は基本的にFacebookでは家族と過ごすホッコリした投稿をメインとしているが、社会問題とも向き合い、学び続けながら発信をしている。

彼は言う。
子どもたちの楽しい時間を奪っていたのは誰?と…

凄い勇気だと思う。子供たちの思い出や自由を守るために発信をする。きっとバッシングされたこともあっただろう。分かって貰えない葛藤も大きかっただろう。僕も同じく、この『流行り病』にはたくさんの不満を持っていた。でも誰も理解してもらえなかった。最近、やっと終わりを迎えようとしているが、振り返ってみても、言い続けたことは間違ってなかった。でも、『君が言ってたことが正解だったね』なんて誰も言ってはくれない。

なぜ、正論は誰にも届かないのか?
今回の『流行り病』の件にしても。
今、たくさん起きている社会問題にしても。
身近なチームの在り方にしても。

そんなモヤモヤを解決したく、この本を買った。

この数年間の経験とこの本で学んだことをnoteに整理し、またどこかで友人と語り合えたら…

そんな思いで読書感想文を書き始めていきます。


『あなたの正論が負ける理由』
正論とは何か?

この本を通じて1番印象に残ったことは、
『正論を言っている時点で負けている』という言葉。この言葉には痺れましたね。ここを理解していない僕はいつも摩擦だけを生んでいたんだと思う。

みなさんもそうじゃないですか?『正論を言うシチュエーション』って、言葉は悪いけど…アホがアホな判断をして間違った方向に全体が進みそうになってる正にそんな『ちょっと待ったぁぁ』というタイミングで正論を言う。

これって既に負けてるんですよね。
『全体が進んでいる』=『多数が賛成している』
ということ。

最近でも会社の会議でこんなことがありました。その会議は『どうやったら人員が増えるのか?』がテーマでした。やれ「求人広告媒体を増やすべき」とか「媒体を変えるべき」とか、やれ「面接官の教育をするべき」とか議論が進んで行きました。

僕はたまらず言いました。

「今の労働条件で人を増やすことは不可能だと思います。いま自社だけでも業界だけでもなく、社会全体で人員不足が起きており、労働力の取り合いが始まってます。先日も最大手の企業が賃金を40%の引き上げをしました。これに追随して大手各社が次々と賃金の引き上げを行ってます。そんな中で募集広告の量や予算を増やしたところで何か変わるとは到底思えない。だからと言って給料を上げるのは難しいし、イタズラに増やした給料と人員は必ずいつか重荷になる。それなら、少人数で現場がまわるシステムに投資をした方がいい」

すると返ってきた返答が「君ねぇ。今は『どうやったら求人が増えるか?』を議論しているんだ!違う意見を言うのはやめなさい」と言われた。

確かに、正論は会議に水を差すカタチとなった。この状況では正論は少数派の悪であり敵だ。この会議に参加している時点で僕は負けている。動き出したプロジェクトは誰も止めれないのだから。

本当に難しい。正論は言わない方が良いのか?
確かに人を困らせることの方が多いのかも知れない。そんな体験を幾つもしてきた。

2年前『流行り病』が世界に広まった。
YouTubeやTikTokで、ニューヨークがパニック状態に落ち入り女性が震えながら助けてを求めるショート動画が拡散された。

田舎の兄から「大丈夫かぁ!大阪は無事なのか?」という本気で僕を心配するLINEがその動画と共に送られてきた。僕は「全くもって、心配ないよ。それより経済の方がよっぽど心配やわ」と返信をすると「そんなことより命を心配しろ!命あってのお金だ!」とLINEが返ってきた。昔から弟の僕をメチャクチャ可愛いがってくれる優しい兄だった。だから、これ以上ややこしい事を言ないでおこうと心に決め「ラジャー!優しい兄の命令『命大事に』を全力でやるね。心配してくれてありがとう」と返信をした。

その他にも、当時、この国の感染者数は100人程度。人口の0.0001%。普通に考えて、いま僕が通勤で乗っている電車に陽性者がいる可能性は限りなくゼロに近い。全国がそんな状態だった。なのにマスクの値段が高騰。

「高かったけどマスクを何とか手に入れたから、着けて会社に行きや」と妻が言った。

「え?何で?」

「え?何でって?今、世界がどうなってるか知ってるでしょ?」

残念ながら知っている。むしろ知り過ぎている。
僕の悪いクセだ。この後、僕は正論を吐いてしまった。

「ん?マスクって人にうつさない為の物やんね?感染者率0.0001%なのに僕が病気とは到底思えない。今のところ接触感染って言われてるし、マスクなんて要らないよ。どうせマスクの値段を釣り上げているのは…」

「意味分からんこと言わんで!とにかく、マスクをつけないと『キモイ』と思われるよ!

何と説得力のある言葉だ(笑)。確かに、感染リスクよりキモイ方がイヤだ。正論は負けた。イヤ…妻の方が正論かも??渋々、激高のマスクをつけて会社に出かけた。

兄も妻も正論によって困らせてしまった。

自分は学問的には正しいことを言っているつもりでも、それが一般には受け入れられない正論が存在する。著者はこのような正論を『邪正論』と表現した。本来、正論とは簡明で簡潔であり、誰の頭にもスッと腑に落ちるものでなくてはならないと。

ここで本当に大事なことは、相手を打ち負かすことではない。「人を幸せにする」「社会をより良くする」という『道理』があって始めて正論となると。

確かに相手を打ち負かすだけの正論を伝えようとすると、少し偏りが出てくる。論破王の「ストローマン論法」も「論点のすり替え」も点と点では言っていることは正しい。でも点を線で結ぶと一貫性が無く「何をしたい人」か分からない。まさに道理がない。だから、論破はできても社会で認められるものとは言えない。逆も然りで、論破王を論破した人も正しいことを言ってるが社会からは受け入れ難いものになる。もしかすると、討論と言うものは、そもそも意味が無いのかも知れない。

藤井聡さんはこう表現する。『原風景』あるいは『原体験』この中に正論の本質があると。今の社会は発展と共に虚構性と虚無性に溢れているのだと。確かに飛び交う情報は『何が本当で、何が嘘なのか?』僕自身、実のところ本当に分からない。だからこそ理想を思い描き、理想と現実のギャップを心に置くこと。手段の実現そのものが目的化して、本来の目的を忘れてしまわないように。

守るべき「ふるさと」から正論が生まれると。

僕は職業柄よく考える。本当はみんな「どんな職場で働きたいのだろう?」と。虚構性と虚無性に飲み込まれた人たちが叫ぶ『働きやすさ』はあまりにも身勝手で「とにかく休みが多い方がいい」「とにかく給料は高い方がいい」「楽な仕事がいい」ばかり。

「助け合って生きてきた」それこそが本来の姿。ふるさとの「原風景」を思い描き、「自分だけが良ければいい」という現実とのギャップを埋めるために伝えるべきことを考える。これこそが正論。

そこから生まれた正論をどのように伝えるべきか?そこを知る必要がある。

「敵」を説得する前に
「味方」を増やすことが大事

まずは正論は必ず研ぎ澄ませること。正論は強い。正しいことは必ず伝わる。しかし、伝えたい正論がそもそも間違っていたら話にならない。正論であることに自信が持てるように自分自身で何回でもその正論に穴がないか?を問い続ける必要がある。そして、本当に伝えたいことは何か?を簡明に簡潔に短くまとめる必要がある。

そして、対立軸を明確化すること。
一体、その正論を阻害しているものが何なのか?を明確にして、さらに対立軸は誰なのか?を明確にする。これは結構あるあるだけど、対立軸であるラスボスの説得など、ほぼ不可能だと言える。「討論に意味がない」と前文に書いたように論破したって相手の思想は絶対に変わらない。だから、相手をどのように動かすかが大切になる。

そのポイントが『味方を増やす』です。
藤井聡さんは限界質量と表現しています。ある種の質量が一定の量を超えると質的な変化をする、その際のギリギリの質量。この量は1割程度で充分だと(もちろんケースバイケースです!)。世の中にある空気を逆手に取る訳です。

僕もよく「放っておきなさい」とアドバイスをします。2:6:2の法則で対立軸の2に対してチカラを浪費するのは無駄であると。でも、この気持ちは分かるんですよ。6も無意識的に目先の楽な都合の良い方へ引っ張られる傾向があるので、根源である2を何とかしないと!って。

でもね。経験上、ここにトラップが仕掛けられている。あなたが6だと思って相手をしている人間は、実は2のスパイであるという事実を。改めて対立軸は何で?誰なのか?を明確にする重要性を理解して欲しい。主張をよく聞けば見えてくる。経験上、2のスパイは決まってこんなセリフで近寄ってくる。「私は慣れたから我慢できます。でも一生懸命やってる人が馬鹿みたい」と。でもよくよく聞くと対立軸と同じ主張をしてたりする。明らかに6の無関心層ではない。

だから、とにかく味方を作る。あなた思想を理解できるコア層を1人ずつでいい。そのチームが1割を超えた時、無関心層は正論を認識しはじめ空気が全体を動かし出す。

ここでのポイントは対立軸の意見を「相対化」しておくこと。対立軸もそれなりの理論を持っている。ここで全否定しようとすれば、極論と論点変えを得意とする相手の思うツボになる。点で捉えた場合、相手が言っていることも間違えとは言いけれないことが多い。

「自由であるべきだ」「平等であるべきだ」「多様性の時代だ」「ボトムアップすべきだ」

確かに言っていることは正しい。でもそれは限られた中での話。もっと視点を広げたら、それを含むさらに大きな理論がある。

例えば…

・「自由であるべき」を尊重し、大きな枠組みを作り、その中で自由に行動して下さい。だからこそ枠から外れた身勝手は決して許されない

・「多様性の時代」だからこそ、チームとして『やるべきこと』は統一すべき

相手の理論を認めつつ、ある特定の条件付きであることを示すことで相手の理論を相対化することによって、対立者の間違いを浮き彫りにする。

これをコア層と無関心層で必ず共有しておくこと。小さなことからコツコツと行い、味方を増やしていくんです。

正論を言ってる時点で負けている。なのに敵の本丸に突っ込んで行くことは戦略として極めて愚かな行為。それが正論だとしても『戦い』が目的ではない。あるべき姿である『原風景』を目指して前に進むことが大切なのだと。

あなたが負ける理由。それは、負けている状態から戦いにより更に敵を増やしていたこと。あなたの正論が負けてしまう理由を理解し、すこしでも突破口が見えたら幸いです。

僕は今まさに仕事で邪正論と対峙しようとしている。戦わず、いかに全体を動かすか?この本での学びを発揮するとき。元々は仲間の悩みを解決するヒントが欲しくて手に取った本だったのだが…やれやれ。

社会の虚構性と虚無性に飲み込まれて、働く目的を忘れてしまった人たちに、少しでも幸せを感じて欲しい。だから、僕はこの国の教育を変えたい!今一度、正論は伝え方で邪に変わることを理解し、1人でも仲間を増やして行きたいと思いました。


相変わらず長くなりました。
まだまだ、この本の面白いところを書きたかったのですが…それは本を読んでいただいた方がイイですもんね。

必殺技があるんですよ。なんと、吉原遊郭から学べる『粋』という最強の正論の人の動かし方が!
『媚び』『意気地』『諦め』の三つ。

もう、面白そうでしょ?この本では、他にも実際に藤井聡さんが成し遂げた偉業の裏舞台が書かれています。

戦い続けるあなたに、ぜひ勧めたい本。

それでは、また次の更新で!

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