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その先を。

中学時代にお世話になった担任の先生にメールで遅い新年の挨拶を送った。

地元に帰ったときにはなるべく会いたい人。

今年で定年をお迎えになる。

先生は「60歳、中3担任、野球部監督、そして一組合員」と自分のことを言っていた。

僕には何もピンと来ない。

僕はそれらを通して彼を見ていないんだな。

肩書きが似合う方ではないから。

僕の担任であったという事実すらも、これだけ長い付き合いの中ではわりと些末なことのように感じている。

先生ももうきっと僕のことは「教え子」という感じではあまり見ていないのではないかな。

僕が通っていた中学校裏の海岸(2010年撮影)


熱い魂の方。

僕だったら彼をそう表す。

何なら僕はそこしか見ていないかもしれない。

僕が中学生だったときは先生もお若かったため、どことなく純粋さや型破り感を醸し出されていた。

失敗を恐れない勇気、体制に取り込まれてたまるかという精神、とも言うかもしれない。

また先生は音楽が好きでいらっしゃったので、ある種のセンシティブさも時折覗かせていたのも記憶に残っている。

そういう感性の方に、多感な時期に出会えてよかったと思っている。

地元の名所「七ツ釜」

思えば先生は学校でも「人」であった。

本当は誰よりもきっと自由を大切にしているから。

ロックスターのような、ほと走る自由さを放っているということではない。

けれどいつも内なる自由を見つめている。

もう60になられるが、ずっとそういうエネルギーを感じる。

ある種の若さ、煌めき。

後にも先にも、僕の人生でそんな教員は彼だけだった。

地元の神事『唐津くんち』(2016年撮影)

「36年間教員をしていても、連絡をくれるのはあなたしかいない」と先生は僕に言った。

僕は地元の同級生には滅多に連絡を取らないが、先生にはふとした時に連絡をしたくなる。

時々聴きたくなる音。

彼が教師であっても、ロックスターであっても、耳をすませば深いところでは同じ音が響いているんだろうなと思っている。

内から溢れ出すものは隠しようがないから。

彼のような存在が身近にいることをとてもありがたく思う。

僕が子供の頃毎日見ていた景色

僕が中学に入学した時から、もう30年近くにもなる。

その当時はこのように担任の先生と連絡を取り続けるようになるとは全く思ってもいなかった。

けれど先生は「あなたに出会えただけでも、この仕事を選んだ大きな意味がある」という言葉を今伝えてくださる。

本当に人生は先が見えないからこそ、行き詰まりのようなことを体験することもあるだろう。

しかしこうやって、その時は全然わからないけれど、時間が経つにつれて素敵な道筋が開かれて行くこともある。

今大嫌いだと思っているアイツは10年後の大親友かもしれない。

今絶望だと思っている出来事は、いつかのあなたを希望へと導く船かもしれない。

その可能性を感じていたい。

可能性を見出せる自分でありたい。

行き詰まったらそれを壁ではなく扉にすればいい。

だからね、いつもその先を。

太陽


あとがき
トップ画像は佐賀県唐津市の近松寺にある俳人・種田山頭火の詩が刻まれた石碑。
僕は地元を離れて久しいが、帰るとその山頭火の詩のような感覚を得るのです。
きっとそういう心の育つ場所なんでしょう。

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