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「社会不適合者とは?」対話カフェそもそも レポート#24

【開催日時】
2023年10月28日(土)
13:00~15:00
@池袋会場

おかげさまで、そもカフェは開催1周年。
第24回のテーマは「社会不適合者とは?」です。

さまざまな理由で社会に馴染めない人のことを、
いつしか社会不適合者と表現するようになりました。

含む範囲がとても広いためか、さまざまな状況で使われています。しかし、ニュースなどではあまり使われないようです。

日常会話では、「私は社会不適合者だから」と誰かが自称する場面も。
そう思う根拠は何なのでしょうか?

社会不適合者について、10代・20代で対話したレポートです。

あなたの思う社会不適合者とは?

いつもは、テーマについて浮かんだ問いを挙げていただくところから、対話を始めています。

今回は「社会不適合者」がどんなイメージなのかを、各自に語ってもらったほうがスムーズだと考え、ファシリテーターから参加者に問いを出しました。

「あなたの思う社会不適合者とは、どんな人のこと?」

「2人以上の関係において、関係性を適切に構築できない人、あるいはしない人」

「私が自分を不適合だと思っていて、そう思う理由なんですが、他人に心を開けない。この人なら話せるという人はいるけど、大多数の人に対して全くそれができない。チームやクラスで孤立してしまう」

「さきほどの意見を借りると、2人以上の関係があって、その中で定められているルール・法律を守れない人」

「大きく2つに分類できるんじゃないかと。ひとつは、会社が苦手、話を合わせるのが苦手とかの、慣習や因習での社会不適合。僕の造語ですが、慣習的不適合と呼んでいます。もうひとつは、人を騙したり、暴力を厭わない意味での社会不適合。慣習的なことはできるけど、人を騙すことは平気って人はいる思う。これを倫理的不適合と呼んでいます」

「例えば、東リべに出てくるヤンキーは一般市民を殴らない。慣習的には不適合だけど、倫理的に不適合なことはしない」

「慣習的不適合はしばしばあると思う。倫理的不適合は人としての一線を超えてしまう。なってもなんとかなる不適合と、なってはいけない不適合があると思います」

「社会は基本、労働で成り立っていると思っているので、そこに乗れない人。さきほどの慣習的不適合に当たる。逆に適合している人ってどんな人だろう?って思う」

「ルールを守れない人、というところで言うと、いわゆる社会にある常識、マジョリティ側に何かの要素で帰属できない人。それを分けると、慣習的と倫理的に分かれるのかな、と思う。倫理的タイプは人に迷惑かけるから困る」

では、これらを前提として、はじめの問いへ。

はじめの問い

改めて、テーマについて問いを挙げていただきました。

「社会に適合している人とは?」

「社会不適合者とどうつきあえばいいのか、見極め方は?」

「適合すべき社会は時代で変わるのか?」

「社会にもいろいろな種類がある。どの社会に適合していないことを社会不適合と呼ぶのか?」


では、まずはこちらの問いから。

どの社会に適合していないことを社会不適合と呼ぶのか?

小さな社会、大きな社会、学校、会社、クラス、家族
……どの社会を基準としているのでしょうか。

「ひとまず、2人以上いたら社会である、と仮の定義にするといいのかな。家族もクラスも社会」

「私は2人だと少なくないかな?と思っていて、1対1なら当人同士の問題ってイメージがある。ここで言われるような社会には、複数人が作り上げている常識や慣習がありそう」

「人数で定義するのは難しいと思っていて。複数のコミュニティをランダムに抽出して、ひとつのまとまりにして、平均化したようなコミュニティが社会。東リべとかは極端な社会に思える」

「自分が行動したときに影響のある範囲が、自分が属している社会、と思いました」

「自分が会社で遅刻したら誰かに迷惑がかかる、とかそういうことですよね」

「会社、学校、家族、とか」

「そこに負の影響を与えると、社会不適合になるのかな、って」

「負の影響って、迷惑をかける、みたいなことですね」

「じゃあ、迷惑をかけずに、静かに暮らしてる人は社会不適合とは言われないんでしょうか?」

「引きこもりとか、ずっと独身でいるとか、家族から見て心配で、迷惑? そんなことないのかな?」

「こども部屋おじさんって表現ありますけど、そういう人たちって別に迷惑はかけていない。働いてて稼いでるし」

では、これで新たな問いを立ててみます。

こども部屋おじさんやニートは、なぜ社会不適合者と言われやすい?

「社会にいるだけで一定の貢献を求められているのに、貢献できていないから。最低でも、居場所を確保するだけの価値を社会に還元すべき、という考え方はあると思います。それをしてないから、言われてしまう」

「では、何をもって一定の貢献なのか? なんとなく皆の共通認識として持ってること……結婚している、働いているなど、皆がまともなことと思い込んでいることが貢献」

「他の例としてはどんなものがありますか?」

「学校に通えるとか、きちんと働けるとか、親になることとか。誰かが決めたわけではないけど、これらができないと不適合と言われやすい」

「きちんと働くことに関しては、労働の義務があるから、これははっきりとしたルールだと思います」

「そうですね、これは法律にありますね」

「今語られているのは、健康であることが前提のように思えるんですが……心身に不都合があってできないというケースも、割と責められているようなイメージがあります。とくに精神的な問題は、見た目でわからないから責められやすい」

「うつで休職している人が遊びに行くと、病気なのになんで遊びに行けるの?とか言われたりしますね」

「少し戻るんですが、人は生まれてくる家族を選べない。そこでうまくやっていけないこともあるけど、それは社会不適合者じゃない気がする」

「結婚しないと不適合者とされるのは、社会の最小単位が夫婦なので、それを築けないと社会不適合と言われやすい」

大きくは「社会貢献」がポイントになっている?

社会不適合と言っているのは誰か?

「社会不適合と言っているのは誰なんでしょうか?」

「実は誰も言ってないんじゃないですか? 言ってそう、言われそうという観念があるだけ」

「逆に、言われると『そう言う人ほんとにいるんだ』ってなったり」

「大学の同級生で、正社員になるのがものすごい嫌という人がいて。そのことを『社会不適合者だ』と言われた話があって。正社員になることが善であるという思い込みを押し付けられたから、そんなことを言われたのかな」

「これまでの例で言うと、同級生、知人、親とかですね」

「こども部屋おじさんとあえて言うってことは、相手に対して何かしらの嫉妬があるんじゃないかと思っていて。実家にいてもいい状態に、何かしら憧れを持っている人が言っているんじゃないかな」

自分で自分を不適合という場合以外では、近い立場の人から言われることもあるようです。
でも実際のところは誰も言っていないのかも?

社会適合者とは?

社会不適合者がいるなら社会適合者もいるはず。どんな人のことなんでしょう。

「今、自分が、この場所で、適合するルールが把握できる人。でもこれはかなり難しいと思う。今いるメンバーとか関係性を踏まえて、適切に判断しなきゃいけない。それが難しいから、できない人に対して『社会不適合』という言葉があてられたりしてるのでは」

「TPOとか言われたりすることですね。でも、それを掴むのはそもそも難しい」

「今言われているルールの中で、できる限りの貢献ができる人。例えば子どもを産めない人に『なんで子ども産まないの?』って言う人はいないはず。逆に言うと、子ども部屋おじさんは、一人で暮らせるはずなのになんでそこにいるの?とか。社会は、できるはずなのにやってない人に対して厳しい。なので、社会適合者は貢献できている人のこと」

「そうなると、社会不適合者は『できるはずのことをやってない人』とも言えるわけですね」

「できるはず、って思っているのが誰なのか?って問題にはなってくるとは思う」

「今この対話に来ている人で、『この場に不適合だ』と思っている人はいないと思うんです。それはここのルールが明示されていて、みんなが守っているから。ここを出たら、それぞれの家のルールや、会社のルールとか、他のルールに適合していく。一見それはいいことのように思うけれど、ルールそのものに疑問を投げかけて、そうしない人っていますよね。わかりやすく言うと、奴隷制度に疑問を投げかけたリンカーンとか。その意味で言うと、ルールに沿わない社会不適合者が、新たな社会を生んだとも言える」

「その時代の慣習に逆らってたわけですものね」

「今なら、会社のルールおかしいんじゃ?会社に出社する意味って?と言い出して、一時的に社会不適合になることで、結果「リモートワークでいいんじゃない』となり、新しい社会を作る。適合するのが善、適合しないのが悪、というのは違うと思う」

「それで言うとコロナ禍の影響って大きくて。出社が嫌だった人、対面では話せないけどチャットではよく話せるという人が働きやすくなった。対面が好きな人はビデオ通話ばかりでやりづらくなったりしましたよね」

「リモートワークにしましょう、ってルールに変われば、今度はそっちに適合する人が適合者になって、今まで適合していた人が不適合になったりする」

「逆転が起きる人もいるかもしれないですね」

「リモワにした会社もあったけど、『コロナ禍終わったんで出社して』って会社もあるわけで。そこでは社会不適合は不適合のままになってしまいますよね……」

「逆転できればいいけれど、革命も失敗すれば政治犯ですものね」

社会やルールは変化していくもの、という話題になったので、次の問いに進みます。

適合すべき社会・ルールは時代で変わるのか?

「社会の規模によると思います。最小単位、例えば恋人同士だったら、話し合って数日で変わる。小さいほど短い期間で変わりやすい。規模に比例する。大きすぎるとモノによっては変わらないのでは」

「少しずれてしまうのですが、今の意見を聞いて自分の中で繋がったことがあって……。変化のスピードについていける人が、うまく適合していける人だと思っていて。家族とか会社とかのルールの変化に合わせていける人。中学生の女子の人間関係だと、皆が持ってるシールを持ってないと仲間に入れないとか、そういう変化を察知して、納得できなくてもがんばってついていける人が適合していく人。納得できなくて離脱していく人もいる」

「変化が何かで起こるかというと、マジョリティが逆転したとき」

「マジョリティがルールを決めるわけですものね」

「あと、周りの人と同じスピードで生きていけるか。私は周りの人よりもいろいろなことが遅くて、それは社会不適合な気がしているので……。社会に入ってからも、周りができていることができなかったり。ルールが把握できなかったり。そのスピード感が違う。でも、後からきちんとついていってはいます。ただ、遅いとやっぱり不適合になっちゃうのかな、って」

「時代で変わるのか、という話で、変わらないものはあるのかと考えていて。さきほど倫理的不適合という言葉が出ましたが、変わらないものとして倫理がある。変わらないものを倫理と呼んでいるのかもしれない」

「法律も変えようと思えば変わる。社会の風潮も変わる。だいたいのものは変わるけど、変わらないものが倫理、と整理できるのでは」

「僕が倫理的不適合を挙げたとき、本当にその意味で言ったんです。人間が人間である限り普遍なもの、という意味だったので、ここで繋がりました」

「○○が普遍の倫理である、という言い方はできないけれど、普遍の倫理は確かにある」

「変わるのかな?って思ったのは、慣習とかの話で、こっちは変わりますよね。犯罪や暴力が是とされるのも、状況でしかない。例えば戦場がそうだけど、一時的な状況だな、って。慣習とかが変わるのか?が気になります」

慣習や因習への不適合は、時代で変わるのか?

「変わると思います。だからこそ、いまそれで不適合でも、気にする必要がないと思います」

「困っている人としては、30年後に変わられてもなあ、ってところはありますよね」

「それこそ黒人差別の歴史は何百年ですものね」

ここで新たな問いを募りました。

社会の最小単位は2人?3人?

「社会の最小単位を2人とするのと、3人とするのでは、本質的に違いがある。ここを掘り下げられたら」

「ちょっと挙手してもらいましょう」

2人だと思う人……2人
3人だと思う人……3人
それ以上だと思う人……2人

「それ以上の人はどんな感じでしょうか?」

「具体的な人数は思いつかないですけど、2人3人だと少ないような感覚がある」

「これという具体的な数字が出せないような感覚がある」

「例えば、学校のクラスは32人くらいなんですけど、32人いたら社会って感じしますか?」

「コミュニティではある、かな。コミュニティと社会は違う」

「クラスなら、子どもにとっては社会だと思う。親や先生から見たらそうではないけど、彼らにとっては社会」

「32人が社会と言われたらそうかもとも思うけど……もっと人数が多いイメージがあります」

「社会の慣習は、実質多数決で決まっていると思います。2人は目の前の人を説得すれば良いし、3人は1人を説得すれば過半数になれる。どちらも1対1の会話で解決できてしまう。その意味で、社会として複雑さが足りないのかなと思いました。5人だったら、途端に複雑さが増して、社会っぽくなってくる」

「1人を説得したら終わり、というのは社会っぼくない、ってことですね」

「言い換えると、『多数派に合わせなければいけない少数派』が発生するのが社会、とか」

「確かにそういう言い方もできますね」

「多数決をしなければならない人数からが社会、みたいなことかな」

「不適合って誰が言ってるのか?って話に関わってくるとは思うんですが……3人とかは直接言い合える距離感だと思うんです。規模が大きくなってくると、雰囲気みたいなのが生まれる気がしていて。雰囲気が生まれたら、誰かが言っているわけでもなくても、それを感じるのかな?って。多数派の雰囲気が『私は少数派なのかな』って思わせる」

「実際に言ってなくても、『多数派の空気』が、社会不適合者の発言者になりえて、しかもその対象は少数派になる、ってことですね」

「社会不適合っていうのは、マジョリティ・マイノリティの話になってるくるんでしょうか?」

「その性質は強いと思います」

「でも単純に社会不適合がマイノリティの話として片付くか?というとそれはしっくり来ない」

「私もしっくり来ていなくて。細かい話ですが、会社で飲み会しようってなったとき、やりたい人は本当に多数なのか?って思うんです。本当は多数じゃないのに行われていることってあるんじゃないかなって。飲み会やることについて本当に多数決はしてないじゃないですか。多数決を取ったわけじゃないけど『これが良い』みたいな空気は、本当のマジョリティマイノリティとは違うんじゃないかなと思うんです」

「慣習は必ずしもマジョリティではないかも、ってことですね」

「昔はマジョリティだったのかもな、とは思います。時代で変わるから……。あと、本心で思ってなくても『やりたいです』って言っちゃったら、結果としてやりたいですって人が多くなってマジョリティになっちゃいますよね」

「消極的な態度はマジョリティになっちゃいますよね」

「アンケートで言うところの『どちらとも言えない』ですね」

「職場の飲み会もそうですが、権威者が考えていることや意向が、慣習になりえるのかな、と。別の文化では、インフルエンサーとかもそうなのかも。

「権威者やインフルエンサーの件を受けて……自分の意思を表明しない人、空気を読む人が一定数出てきたら、社会っぽくなるんじゃないのかなって思いました。そこまでくると具体的な人数どうこうではなくなる。空気を読む人が過半数を超えたら、空気を読むことが慣習になる」

「そこで、社会不適合な人たちというのは?」

「空気に気づいていない、わかっていても空気を読めない人。たまたま自分の資質が権威者と一致していればいいですけど、空気が読まずに自分の意見を言って、多くの人から反感を買うと、こいつやばいなって思われちゃう」

「さっきのアンケートでいう「どちらでもない』派は、どっちでもないから、影響力あるほうに流れて、今までなかったマジョリティが形成される、ということは起こりうる。そっちに流されない人たちが、どうしても社会不適合と言われてしまう。だとしたら、社会不適合者が苦しむ遠因を作っているのは、この『意思を持たない人たち』なのかもしれない」

「悪意のない悪、ですね」

「どちらともいえない派は、どう転んでもマジョリティになりますからね」

「どちらともいえない派が、マイノリティとか、社会不適合者を苦しめる土台を作っているのかもしれない」

「苦しむって話で……そもそもなんですが、社会不適合者は苦しんでいるんでしょうか?」

自分の意思を持たない人は、結局のところマジョリティに含められ、マイノリティを苦しめている……?

社会不適合者はそもそも苦しいの?

「社会人になって『まずは3年がんばりましょう』って謎の概念があるじゃないですか。入った会社にもそういう風潮があって、でも私は1年で辞めたんですね。それって自分の目的がちゃんとあって。違うところに行ったほうが幸せになれると感じて辞めたんです。それを会社にも伝えたんですけど、会社の中では私は『不適合』とされたんです。でも自分はそこにいたほうが苦しかったから辞めた。自分は社会不適合者だ、って認識はあったんですけど……今は苦しいと感じていなくて。会社にいたほうが苦しかった。だから、その認識は個々で違うのかなと思います」

「無理に適合してたときのほうが、苦しかったわけですね」

「僕も『まず3年』と言われたけれど、嫌すぎて1年で辞めたんです。辞めたときは、自分は社会不適合だ、と思ったんですけど……『社会不適合だったけど、自分には適合できた』って感じだったんです。自分がどういう人間で生まれるかは選べないのに、社会に適合しなきゃいけない。社会に適合するか、自分に適合するかだったら、自分に適合したほうが良かった、って感じました」

「私は中学くらいから不適合で……いろんなことに納得ができないんです。私はどこの会社に行っても苦しむだろうなって思っていて。何かに属して、誰かと何かをするのが、少しだけ苦手。学生時代よりは良くなっているんですが、苦しいことを続けているので、自分が不適合だなって感覚的にめちゃくちゃ思うんです。会社辞めちゃったから不適合とかではなくて、会社に属し続けているのがとてつもなく苦しいときがあって。学生のころは嫌なら抜け出すとかやれてたんですけど……社会人になってからはそれでは立ち行かなくなってしまうので無理やり合わせてるんですが、それがすごく苦しくて……本当の不適合者は、追いやられているから苦しいのでは?って」

「追いやられているのは、何から、ですか?」

「こうすべきだよね、とか、こっちがいいよね、っていう慣習だったりとか。そっちに従えない。我が強いのかな。これまでの流れだと、不適合者の人って、どちらとも言えない派じゃないってことですよね。だから、どちらかに流れられない、そっちに納得できない、そういう性格があるので、納得できないままずっとやっている……それがいつ爆発するか怖い、みたいな状態ですね。それで、苦しいです、とても」

「適応とか、迎合とか、合わせることが苦手って感じですかね」

「ですね、恥ずかしいことなんですが……」

「そういう人も多いと思います。歯を食いしばって、なんとか働いている人も多い」

「確かに、どうでもいいことが多いと、楽っちゃ楽だとは思います。私もどうでもいいことが無茶苦茶多くて、それで得してる面はあるんですけど、変なところで『絶対に嫌』ってめちゃくちゃあって、それでキツいってことはあります。それが、他の人にとってはどうでもいいことだったりするみたいで……」

「空気を読めないのが社会不適合の条件って話があったんですけど、これってどっちにも解釈できるなって。『空気は読めるんだけど従えない』と、『読めないから平気でやってしまう』、どっちともとれるし、結果としては一緒ですよね。でも、話を聞いていると、『わかってるけど無理』っていうのがあるんだな、と」

最後に言っておきたいこと

残り時間わずか。
何か言っておきたいことがあれば、と伺いました。

「社会不適合者は苦しいって話で来ていますけど、私は人と違う意見を言うのが好きなので、人と違う意見を持ってて良かったなと思うことがあります。ただ、空気を読まずにそれを言ったりとかはしないので、社会不適合と自認はしてませんが……人の意見に意味もなく合わせたりとか、意見をそもそも持ってないとかそういうことではないんです。そういうときに、人と意見がぶつかることをきっかけにして、相手の考えを聞いたり、自分の意見を言ったりすることができたり。それによってみんなを納得させて、全体のルールを変えたりするきっかけになったりもするので、悪いことばかりじゃない、と思います」

「さきほどの納得できないという話を聞いていて、浮かんだワードが『魂』って言葉なんです。スピリチュアルな話とかではなくて……自分ではどうにも抑えきれず、でも、そうとしかできない、ってことを魂と便宜的に呼んでいるんです。自分がどういう魂として生まれてくるかと、生まれてくる時代がどうであるかは、全く関係ないですよね」

「魂と時代がマッチしていたら、ある程度幸福ではあるだろうけども……」

「それも、たまたま幸せ、というだけで。運が良かったにすぎない」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

「社会不適合者とは?」の板書

ファシリテーターの思うこと

社会不適合者を考えるにあたって、まず皆さんが気になったのは「社会とは何なのか?」でした。

「社会に不適合」というのであれば、その社会とは何を指しているのか?という点に強い関心が向けられたように思います。

それぞれ「社会」の定義が違っていたのは興味深く思えました。

慣習、因習、倫理、マジョリティとマイノリティ、さまざまなキーワードが出てきたのも、「社会不適合者」という言葉の曖昧さの表れなのでしょう。

自分がそうであると思う方が、その理由を語るのは勇気が必要だったかもしれません。
がんばって言葉にして語ってくださったことに、感謝します。

対話カフェそもそも1周年記念の対話、とても充実した内容となりました。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

次回の開催案内

次回は2023年11月11日(土)開催。
テーマは「効率の良い生き方とは?」です。
詳細はこちらから。

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