SNSと音と情報伝達度の話

#日記 #情報メディア

インターネットとsnsの時代になって東京の駅のホームにいようが、熊本の駅のホームにいようが、多くの人が見てるのはスマートフォンの画面である。

当然ながらスマートフォンで何をやっているかというのには、多様性があるはずだが、限られたインターフェイスとディスプレイと通信リソースの中でしか、情報は伝達されない。

つまりは、スマートフォンでコンベアされてくる情報には、偏りがあって、拡散されやすい情報とそうでない情報がある。

そうしたメディアの伝達度のような物には昔から興味があって、インターネットと共に成長したデジタルネイティブの世代として音楽活動する中で、ブログやSNSを使って情報を発信することは必須で今も多くの時間をネットでの時間に使っている。

いわゆるメディア論の奥底の話は、マーシャルマクルーハンや思想家の先生方へゆずるとして、
音メディア全般の情報拡散度の低さには課題があると思ってきた。

今現在、ネットでの情報拡散の主体は、snsと呼ばれるプラットフォームが中心だと思う。

そんな、SNSをやりたくなる動機はやはり、コンテンツを作り、コンテンツを消費してくれるユーザー数にあるわけで、ユーザー数そのものが商品にされてしまう構造なわけだか、そのコアとなるコンテンツ形式は、テキストや画像、動画といったビジュアルメディアが中心だ。

もちろん音付きの動画もあるが、音だけの投稿よりも映像次の投稿の方がエンゲージメントが高くなる傾向があるのは、ざっとタイムラインを眺めれば、読み取れる。

これは僕が音楽を始めて、ビジュアルの重要性に気がついて、オーディオビジュアルをやってる理由のひとつで、そこにはまだ伸び代があると思っている。

もちろん音だけのsnsもいくつか存在するが、
結局のところ、ツイッターやInstagramにリンクを貼らないと知ってもらえなかったりする。

そのくらいインターネット上というべきか、スマートフォンの上というべきか分からないが、情報の伝達度を考える時に、ビジュアルの持つコミュニケーションデザインを意識せざるおえない状況になっている。

割と新興的なsnsのTikTokは、スマホの縦画面を中心にして、音楽や振り付けといった物を拡散させる仕組みはオーディオビジュアルだし、商業的に成功したメディアアートだと個人的には認識している。

一方で現実の世界では、音、とりわけ大きさやビート、構造、不協和音がひとたび流れれば、その空間を乗っ取ってしまう。

そこにいる人々の思考を支配する。これが音楽家や演奏家、アーティストの本質的な役割であると思う。

偶然にも2度にわたる世界大戦が生んだコンピュータとPAシステムというメディアをどのように使って、平和で健やかな世界を持続させていくのか、あるいは、健全にそのテクノロジーを使い発展させていくべきかというのを考えていかないと行けないのだなぁと思った今日この頃であった。

というわけで今夜はおやすみなさい。

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