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最近”わからない”に出会ってますか?

美術館が好きだ. 

専攻が美術史だし, 単純に美術が好きっていうのもあるけど, 僕が美術館に行くのが好きな理由の一つに"わからない"に出会えるっていうことがある.

美術史をいくら勉強しようが, 美術館の作品全部に「この作品は誰々がこういう考えで作った作品でね…」なんて説明できない. むしろ全ての作品が”わかる”ことなんてあり得ないと思ってて, 勉強したからと言って”わかった気になること”も傲慢だと思う. だってその作品を創ったアーティストは誰よりも時間をかけて作品とそれに込めた概念と向き合ってる訳だから. 

マルセル・デュシャンが”作品の意味づけを鑑賞者にも委ねる”という美術の革命を起こしてから, 美術鑑賞は特に難しくなった. 「美術は感じるもんだ」っていうのは半分正解で半分間違いだと思う. 実際, 知識なんてなくても”なんかいい”と思う感覚そのものは大事だし, その”なんかいい”を言語化しながら自分の中に落とし込んでいく作業が醍醐味だったりする. 作品を観るより先にアーティスト名と制作年が書かれたパネルに目がいってしまうようでは, 純粋な鑑賞体験ができていないと思う. だからと言って, アーティストの思想や歴史の文脈を学んでいることで作品が頭にスッと入ってくることもあるから, ”学ぶ”ことも美術を観る上で大事な作業だとも思う. 

現代アートは特に”既存”の概念を”選択すること”や”再解釈して命名すること”で成り立っている側面があって, そういったコンセプトを形にするゲームだ. 奇抜で派手なものが目に留まりやすいから, 攻撃的な作品だってあるし, 日常で目にするものとはかけ離れすぎて, 鑑賞者に違和感や抵抗を抱かせてしまうことだって少なくない.

美術史を学んでいる僕が”わからない”作品に出会った時にどうするか. 

僕は考える. それでもわからないものに関しては”放置”する. 美術を勉強してるんだったらちゃんと調べなよって思う人もいるかも知れないが, 僕は今考えてもわからないものは, あとで”わかる”時があればそれでいいと思って残す時がある. それでいいと思う. 

子供の時, 初めてもののけ姫を観た僕の感想は「気持ち悪い」だった. それは, 宮崎映画に時々出てくる黒いニュルニュルがタタリ神の全身から出ていたり, 人物の腕が切り落とされたり, といった子供の僕にとっては刺激が強すぎたものに対して瞬発的に感じてしまったことで, 当時の僕が感じた感情としては間違ってないと思う. でも大人になって改めて見返すと, そのニュルニュルに自然を征服することで文明を築いてきた人間のエゴだったり, 伐採される木々や居場所を奪われていった動物たちの叫びみたいなものを感じとれたりする. 

今, ”わからない”ものはいつか”わかる”時がくる. そしてさらに時間を置いたら, また違った感じ方で”わかる”ことがあるかもしれない.

僕は, 美術館で”わからない”ものに出会うとワクワクする. 人生のステップをもう少し登って, 人間の愚かさや愛に触れて, 喜びや悲しみの感情指数をもっと高めた先に何か”わかる”ことがあるかも知れないと思うからだ. 今”わからない”ことがあるというのは, 未来を生きる希望でもある.

あなたは最近どれだけ”わからない”に出会っているだろうか. 

毎日職場と家の往復で, ある程度自分の仕事や役割にも慣れてきた人は, もしかしたら今日という1日が”わかる”ことの反復で終わっている人もいるかもしれない. 学校で気の知れた仲間との会話に慣れきって, これから向かう授業の内容もなんとなく文脈は"わかって"いて, 学食で何を食べるかだって”いつもと同じ”を選んでるかもしれない.

子供の時はもっと”わからない”ことだらけだった. 「なんで風は冷たいんだろう」とか「なんで鳥は宇宙まで飛んでってしまわないんだろう」とか「なんでお腹が空くんだろう」とか. 幼い時に見えた世界は「なんで?なんで?」の連続だった. 大人になったあなたはどうだろうか. 本来は大人になったって, 世界は”わからない”ことだらけのはずだ. むしろ子供の時より景色が広がったからこそ”わからない”ものが増えていることだって大いにあり得る.

もし最近子供の時ほど”わからない"と出会ってないなと思うのなら, 一度美術館に行ってみて欲しい. 普段あまり美術館に行かない人なら, きっと出会えると思う. 一度美術館に行って ”わからない”ことに囲まれてみたら, 世界がいかに"わからない”ことで溢れているかを再確認できるはずだ.

"わからない"と思うことは, "わかっている"と思うより何倍も素晴らしい. "わからない"から知りたくなるし, "わからない"からわかろうとする. "わからない"は自分の世界を広げてくれて, "わかった”時の快感は"わからなかった”時のモヤモヤを全部晴らしてくれる.

”わからない”を感じることは楽しい. ”わからない”ことが世界からなくなった僕らは退屈して生きていけないと思う. 科学技術がこんなに発達した現代に生まれたけど, "わからない"がこんなにも世界に残されていて良かったと心から思う. 

どうしようもなく好きになった人ができた時の心のざわめきの正体や, 遥か遠い星の向こうの生命の有無. 道端の野良猫が何を考えているのかや, 人はなんの為に生きているのか, なんてことが全部"わかった"ら僕らは想いを馳せることもできない.「答えなんてない」が”答え”なのかも知れないけど, 世界には"答えのない問い”がたくさんある. 

あぁ人生不可解. だからやっぱり楽しいんだよなぁ.



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