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学ぶ楽しさをさがす塾をふり返った理由(雑記)

これまで8回にわたって述べさせていただきました。こんな昔話を持ちだしたのには2つの理由がありました。

ひとつは「僕は誰だ?」ということです。教育や社会を問うたところで、自分が誰なのかを掴めないと何も為せないと考え、自分を問われる側に置き、問う自分の立ち位置を確認したかったのです。

大学で教職課程の単位習得をしても教員を目指さず、卒業後にFOLSを起業、以後6年経営・運営していました。当時何を大切にして、どこを目指し、一体何ができたのかをふり返ることによって自分がいくらか見えてくると思ったのです。

(FOLS当時のたいたけ)

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もうひとつは「自分の身を置いてきた現実世界をふり返る」ことでした。成長だ!挑戦だ!新しい教育だ!という未来志向的な立ち位置もあると思うのですが、それに対して疑問を持ち始めています。いかにも成長を強制する旧来の資本主義的で、これから脱成長していく日本に不釣り合いになるおそれがあります。

そんなことを感じて社会そのものを大雑把にふり返ってみるともっと大きなスケールの新時代がやって来る可能性があることを知りました。VUCAだ、AIだ、だから教育を新しく!という流行は、そのもっと大きなスケールの新時代への流れに逆行していく可能性もあります。見極められるとは思いませんが、楽しみながら注意深く観測していきたいです。

教育未来志向による、これまでの日本にないものを生み出したり、輸入してきたりする新しい教育の導入案には、教育自体を冷静に見つめ直す必要があります。今の教育の実態は一体どうなのか。そこにどんな目的で新しい教育を導入しようというのか。成果をどのように測定していくつもりなのか。導入案は現実的かつ合理的なのか。当然のことですが、導入できたけど教育の質は下がりましたなんてことは避けるべきです。教育の質の高さは代々、連綿とつづく労苦や研鑽の上に成り立っていますたてつづけに中止されていった大学入試改革や、教員に対するリソースとエビデンスなき改革が行われている現状で新しい教育導入の楽観視は危険です。

そういった問題意識から、ちっぽけでささいな自分の試みから見えた現実世界をふり返ってみようと思ったのでした。

自分なりの社会人としての原点をふり返り、ふまえ、己を問い直し、(過去の)現実世界を見つめ直し、脱成長化社会における純粋性の高い教育の場づくりにむけ、これから見ようとしている世界の解像度を上げていこうと思います。

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