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人はパンだけで生きるものではない

ここ最近の記事では、成長社会の残した教育課題として人間性の失われつつあること、脱成長社会はその課題に取り組む好機であることを書きました。

脱成長化に始まる教育課題人間性の回復と共育人間性の回復と教育と学校に行けない人間性の回復と教育と学校に行かない学校に行けなくなる先生たちと人間性脱成長社会下の共育はじめ


成長社会は僕たちを飽食の時代へと連れて行ってくれましたが、いつの間にか「人間っていいよね」と思える精神性を失いつつあるようです。このままでいいのでしょうか。


例えばこんな言葉があります。

人はパンだけで生きるものではない。
むしろ、神の口から出て来る一つ一つの言葉で〔生きるであろう〕

マタイによる福音書 4:4


人はパンのみによって生きるのではなく、ヤハウェの口から出るすべてのものによって人は生きるものである

申命記 8:3


これらの言葉は、40日間の断食のあとと40年間の放浪のあとに発されました。パンのないときにこそ、パンだけで生きるわけじゃないよ、神のみ言葉に生きるんだよと言われています。

まずパンのあるなしの次元があって、そこではもちろんパンを食べないで生きていくことはできません。だから食べられる時は食べるのです。

でももう一つ上の次元があって、そこではパンのあるなしに関わらず、神のみ言葉に従い生きていくことが望まれています。


人間性も同様ではないでしょうか。

パンのあるなし、飽食の時代かそうでないかの次元があって、その一つ上の次元に人間性を求め、それに従って生きていくことが望まれている。


成長社会から脱成長社会になったとしても、どちらでも人間性を追求することが、僕たちに望まれているのではないでしょうか。




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