人はパンだけで生きるものではない
ここ最近の記事では、成長社会の残した教育課題として人間性の失われつつあること、脱成長社会はその課題に取り組む好機であることを書きました。
(脱成長化に始まる教育課題、人間性の回復と共育、人間性の回復と教育と学校に行けない、人間性の回復と教育と学校に行かない、学校に行けなくなる先生たちと人間性、脱成長社会下の共育はじめ)
成長社会は僕たちを飽食の時代へと連れて行ってくれましたが、いつの間にか「人間っていいよね」と思える精神性を失いつつあるようです。このままでいいのでしょうか。
例えばこんな言葉があります。
これらの言葉は、40日間の断食のあとと40年間の放浪のあとに発されました。パンのないときにこそ、パンだけで生きるわけじゃないよ、神のみ言葉に生きるんだよと言われています。
まずパンのあるなしの次元があって、そこではもちろんパンを食べないで生きていくことはできません。だから食べられる時は食べるのです。
でももう一つ上の次元があって、そこではパンのあるなしに関わらず、神のみ言葉に従い生きていくことが望まれています。
人間性も同様ではないでしょうか。
パンのあるなし、飽食の時代かそうでないかの次元があって、その一つ上の次元に人間性を求め、それに従って生きていくことが望まれている。
成長社会から脱成長社会になったとしても、どちらでも人間性を追求することが、僕たちに望まれているのではないでしょうか。
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