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人間性の回復と共育と学校に行けない

前回、大人の子どもから学ぶ共育的要素をいくつか挙げ、ひと言でまとめるなら人間性の回復であることをお伝えしました。


最たる例に、学校に行けなくなることからの学びがあるかもしれません。

これまではなんとなし学校に通い、家に帰るとどんなことがあったかを話してくれて、大変そうな時もあったけどなんとか乗り越えて・・みたいにつづいていたある日突然、子どもが学校に行けないと打ち明けてくる。多くの保護者はいやまさか、ウチの子に限ってそんな・・と思う。

僕の娘も就学前の園児のときでしたが、行けなくなった時はびっくりしました。あんなに楽しそうに通っていたのに・・という思いが強かったです。

ここから保護者はわからない旅に出ることになります。なんで行けないんだろう、甘えているだけ?、いやでも増えてるっていうし、これは社会問題?いやいやまずはウチの子の話。どうする?誰に相談する?まずは子どもと話し合ってみる?等々、頭の中がグルグルするのではないでしょうか。


しかしもし、いつしか、子どもと同じところに、降りていくことができれば、そこの世界がどれだけ大きくて、広くて、怖くて、何にも見えない真っ暗闇の世界であるかがわかるでしょう。

そこは動物性と人間性と社会性とが酷く入り混じった場所であり、混沌であり、無法状態の、畏れるべき場所です。そこでは人間の弱さをイヤというほど思い知るはずです。

その闇の中、じっと目をこらし、信じられないほど長い間くり返すとやがて見えてくるのではないでしょうか。

未来を見過ぎた大人たちの姿と、
現在を懸命に生きる子どもの姿が。

そもそもいつからだったのでしょう。
畏れることを忘れてしまったのは。
そもそもいつからだったのでしょう。
感謝することが減ってしまったのは。
なぜ食い違ったのでしょう。
大人の期待と子どもの素直さとが。

大人は子どもを通して、やがて(傷が深ければ深いほど月日は長くかかるでしょう)、人間性を回復し始めます。

学校に行けなくなった子どもを通して、かえって真に学ぶのは大人の方なのかもしれません。


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