脱成長化に始まる教育課題
日本がいよいよ脱成長化を深めていくとするならば、その中での教育は、成長社会の残したものを引き継ぎながらも、核となる部分すらも新たにつくり替えていく必要が出てくるでしょう。
そもそも成長社会の教育とはどんなであったか、以下を見てみます。
資本主義、帝国主義の上に建った教育は、集団化、均質化、規格化を進めていきました。
戦後の教育改革によって帝国主義的性格は薄まったものの、資本主義的性格は薄まらず、教育改革中の1947年にすらこう発言されました。
人間性の回復は全く不可能ですよ、と。
その後、経済の発展とともに、高校進学率は上がり、大学進学率も上がりつづけ、偏差値の浸透や受験戦争の激化が起こり、社会の学校化と呼べる現象が見られました。今その延長線上で、子どもの自殺が増え、生徒の不登校が増え、教員の精神疾患による離職が増えつづけています。
もし日本社会が脱成長化しつづけ、資本主義的性格を薄めていくのであれば、その時こそ、人間性の回復を教育課題として取り上げて、真に取り組んでいくべきなのではないでしょうか。
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