脱成長社会下の共育はじめ
前回、うつや適応障害などで学校に行けなくなる先生が増えつづけていることについて書きました。そしてみなさんもご存知のとおり、学校に行けなくなる児童・生徒も増えています。
コロナを要因に挙げて分析することもできると思いますが、コロナ前も増えつづけていたことを考えれば、もっと長い目で見る必要があるでしょう。
栗原彬は言います。
明治以降、資本主義・帝国主義の上に建った教育システムの集団化・均質化・規格化を進めた日本は、戦後帝国主義的性格を後景化させつつも、資本主義的性格をより色濃いものにしつづけました。やがて国民経済は黄昏を迎えそれから失われた30年を過ぎましたが、依然(学校)教育は高度経済成長時代に最適化したシステムを維持しています。
早い話が、今の教育システムは今の社会に最適化されていません。学校に行けなくなる児童・生徒、先生が増えて当然ではないでしょうか。だって合ってないんだもの。
学校に行けなくなった児童・生徒、先生を中心に親などの周りの人それぞれが手をつなげられる場、そこから始まるのかもしれません。
お金から始まる場ではなく、人間から始まる場。それをみんなでつむいでつくり上げる。僕はそんなささやかな場を夢見ています。
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