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人間性の回復と共育と学校に行かない

前回、子どもが学校に行けなくなって、かえって保護者が人間性を回復する機会を得ることを書きました。


けれども子どもや保護者や家庭によっては、いや、そもそも行かなくていいよねと決めることもあると思います。この場合、子ども、保護者、家庭はむしろ人間性があるゆえに学校に行かないことを選んでいる可能性があります。

となると、己を問いたださなくてはならないのは学校だったり、先生だったり、周りの同級生やそれらのご家庭だったりするかもしれません。


例えば、OECD Education 2030 プロジェクト上で「コンピテンシー」という言葉があちこちで踊っています。このプロジェクトは日本の学校教育にもしっかりと影響を及ぼすことが予想されますが、そもそも「コンピテンシー」という言葉は「好業績者として優れた成果を創出する個人の能力及び行動特性」であるとされ、要は稼げる能力、ハイパフォーマーの行動特性です。

それを本当に児童や生徒たちのいる教室の中に持ち込むべきかどうか、よく考えてみる必要があります。国の方針だからとか、みんな周りがそうしているからとか、特に自分たち自身で考えず感じず、言われたまま、流されたままにしていくと、人間性を置き去りにした、お金を稼ぐことにのみ目的化した教育が横行します。

もし仮にそんな雰囲気が充満していた学校や教室があるとするなら、よく考えることのできる子どもや、感じやすい子どもが行きたくないと言ったとき、それを間違っていると誰が言えるのでしょうか。さらにその保護者も子どもの言っているのが正しいと判断した場合、人間性を回復すべきなのは、学校に行かない子や保護者の側ではなく、学校や教室にいる人たちの側ということになるかもしれません。

これは多数派を占めているため、なかなか人間性を回復に向かわせるのは難しいでしょう。周りを見れば修正する必要を見つけられないため、かえってみんなで人間性を失いかけていることにすら気づけない可能性のあるためです。

また多くの学習塾も同じ批判を免れることはできないでしょう。たいていの学習塾は学校の補完機関に過ぎないためです。

学校や教室、学習塾が悪いというわけではありませんが、思い当たる生徒がいた場合、そこにいる人たちは胸に手を当てて、時間をかけて深く内省してみてもいいかもしれません。



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