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「いのち」のための地図(雑記)

「いのち」のための「くらし」シリーズの途中ですが、今日はそこからそれたお話を書きたいと思います。

僕のnote記事には大きな地図があります。この地図に基づいて、一つひとつ書いているのです。地図は一番初めに採り上げた本に描かれています。人は地球の有限性という問題に直面したという記事で扱った『現代社会はどこに向かうか——高原の見晴らしを切り開くこと』。

この本には、過去も現在も未来も詰まっています。日本も欧米も第三世界も。僕たちが生きていくにあたって必要とする、縮尺の大きな地図がここにあります。僕はそれを「いのち」のための地図と呼んでもいいと思っています。僕のこれから学ぶほとんどの全てはその地図を見ながら、道のりを歩み、わずかでも周辺を照らし、行けるところまで行ってみたいと感じている、行く道のみならず生く道をも教えてくれるすてきな地図です。

あたたかいまなざし、限りのない広い視野、鋭い分析、柔らかい知性と感性、きれいにまとめる表現力をもつ見田宗介は、原点を忘れない、類まれなる学者であったと思います。

冬の郊外の駅前の夜の屋台で、仲のよかった人と一緒に熱いラーメンをすすっていた時今ここで死んでしまってもいいという幸福感に充ちあふれていることを意識していた。その幸福が好きな人と一緒にいるということから来るのか、熱いラーメンの方から来るのか、どちらかは分からなかったが、少なくともこの二つが両方そろえば、それ以上のものは、自分には何もいらないなと感じていた。

『現代社会はどこに向かうか』 見田宗介

僕の心のコンパスは気まぐれでポンコツなため、ふらふらと言っていることが変わったり、思いや考えも変わったり、感じとる対象も大きくずれていて、捉え方も的外れなことが多々ありますが、それでもなんとかやってこれているのは、この「いのち」の地図があるからです。

こんなすてきな地図を与えてくださった見田宗介に感謝をします。正直、ご逝去されて、なかなかのショックを受けています。初めて手に取った本は『時間の比較社会学』でした。難しかった・・でも、まぎれもなく名著でした。『気流のなる音』も『自我の起源』もやはり名著でした。『自我の起源』はなぜか2冊あります。両方読んだようでともに線が引かれています。『宮沢賢治』も『現代社会の存立構造』も拝読しました。『現代社会の理論』、『社会学入門』などを経て拝読した薄い冊子の『まなざしの地獄』は僕を大きく揺さぶり、遺言のようにも感じた『現代社会はどこに向かうか』で僕の進みたい方向はピシャリと定まりました。いただいた地図を大事にしながら、ときおり見直し、これからも進みたい方向に進んでいこうと思います。本当にありがとうございます。

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