【メモ】チーム・ジャーニー第14話著者による本読み会
標準化の是非
標準化ではなく共同化、共同化から協働へ
どこかのチームで上手くいったやり方を他のチームにもそのまま適用して上手くいくとは限らない。チームが異なれば、同じ会社であっても会社の外の現場と対して変わらない。
それぞれの現場の文脈を捉えろ
チームによって文脈が違うのだ。そのまま適用できるとは限らない。
困ったことに企業内に複数のプロダクトが進行していると他でうまくいったことを良しとして、上から標準化の話が出ることは度々ある。標準化は時として脅威になる。
容易でない。
今稼働している仕組みを置き換えるコストが大きすぎる事がしばしば。現場で進行中のプロダクト開発との優先度の間で置き去りになって結局施行されないなんてこともある。
なぜなら、そのプロダクト開発チーム内の文脈では置き換える目的が薄いと解釈されてしまうことがあるからだ。
分散協調型組織(ヒトデ型組織)
Q:分散協調型はフラットな組織だと実行できそうですね。階層が多い古き良き日本企業だと「とはいえ、責任者は必要」と言われてしまうのでは。と思った
A:「職制上の責任者はありそう」とのこと。
私自身、古き良き日本企業に勤務した経験があり「言われそう」と思ったため質問した。また、フラットな組織での経験もありそちらでは問題なさそうだなと。
Q:「リード役が自らの役割を手放す」はサーバント・リーダーシップのような権限移譲・支援型のリーダーにシフトしていくという考え方は含まれていないという認識であってますか?
A:NO 。
言葉が違うだけで同じようなことを示しているらしい。手放した後のその人の振る舞いがどうあるべきかの一つが「サーバント・リーダーシップ」なのかもしれない。
これらふたつのQ&Aと見てふと気づいたが、職制上の責任者という形は残ったとしても「先導するリーダー」から「後方支援するリーダー」へ変わることで「リード役が自らの役割を手放す」ことになると気づいた。
そして、私自身がそのようにして自ら先導する立場を下りたことを思い出した。職制上の立場(マネージャ)は変わらない。
「そうか、あの時のことか」
主人公の太秦と文脈が異なるが私自身も明らかに意思決定のボトルネックになっていた。そして、メンバーの成長を妨げる要因の一つだったようにも思う。
意思決定に時間軸を加える
図14.5 の縦軸は「なぜなぜ」だったことがわかったのは良い気づきでした。
解説を聞かなければ気づくことはなかっただろう。今回本当に参加してよかった。前提とWHYという言葉が違うだけで掘り下げるパターンは一緒。
時間軸を加えることは時に無意識に判断材料に使っていることがあった。こうして可視化されると今後は意識的に使えるようになりそうだ。メンバーにも考え方を教えられそう。
俯瞰と詳細を行き来する
Q;プレイングマネージャを求められていると、「①自分の目の前から〜」はかなり難しそうですね。(だから「心を鬼にして」なのかもしれません?)
「心を鬼にして」というくだりは、著者の解説の表現。それだけ自身のタスクを目の前から一掃することが難しいことを物語っているように思う。
私自身上からプレイング・マネージャを求められているがやるべきではないと認識している。(やるためには他の何かを犠牲にしなければ時間が確保できない)
そのため、これまで私が担当してきたものをかなりメンバーに移譲して私自身のタスクを大幅に減らしてきた。
減らすには勇気が必要だった。
だが減らした恩恵は大きかった。チームやプロダクトとより対話できるようになった。違った視点(俯瞰)で見れるようになった。ビジネスチームの考えもわかるようになった気がする。より寄り添えるようになったように思う。
以前は狂ったような残業時間だったが今はそうでもない。
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