ある帝室の戦争責任とかについて


「天皇」の「統治責任」とか「戦争責任」についての話や、記事を載せときます。

にしても「唯一の統治権者」が責任を取るわけでもなく、国民に謝罪するわけでもないに、無問題で続いてしまったって、日本人の脳みそが壊れている証拠だけどね。


あと引用の太字は、私の編集です。


戊辰政変によって徳川家は軍事権を返還(大政奉還)、朝廷は軍事権を他者に委託するのを止め、天皇自らが軍事権を行使する制度が発足した。明治帝政である。この時点で、国防の責務は天皇が一身に負うところとなったが、その実際の運用は輔翼者が行い、天皇に対して責任を負い、天皇は責任を負わない(帝国憲法第3条)というのが、明治帝政の法解釈だった。とはいえ、この無答責は国防の責務を負わないことを意味するのでは無く、「輔翼者の失敗の責任について天皇が負うものではない」と解釈するのが妥当だろう。

1945年の敗戦は、昭和天皇が国防義務を果たせず失敗し、300万人以上の臣民を殺害した挙げ句、全植民地の統治権と沖縄等の行政権を失うという結果に終わった。
明治憲法の原理に基づけば、国防に失敗したのはまず輔翼者の責任であり、特に軍部(参謀総長と陸海軍大臣)と外務省(外務大臣)が天皇に対して責任を取らなければならない。ここで重要なのは、「天皇に対して責任を取れば良い」ということであって、臣民・国民・市民は謝罪の対象とはならないということだ。さらに天皇は無答責であるため、敗戦をもたらし、国防義務を果たせなかった輔翼者を任命した責任が問われることは無い。さらに言えば、輔翼者を処罰する法制は存在しない。
そのため明治法制下では、失政の責任を問うシステムが存在せず、日本市民が革命を起こすか、外国勢力による処断を待つことしかできなかった。
連合軍司令部(GHQ)は、日本で共産革命を起こさせないために、同時に休戦条件(ポツダム宣言)を履行するために、敗戦の責任者を自ら処罰するという選択を行う。根源的には、日本政府あるいは国民が自ら処断すべきだったが、明治日本にはその仕組みも概念も無かったため、放置することはできなかっただろう。
そして、アメリカの占領政策の基本的な考え方は、「軍部に戦争の全責任を負わし、天皇制と明治官僚は傀儡として残して、対ソ戦の前進基地となす」というものだった。実際、日本側の強い抵抗と人身御供の精神もあって、極東軍事裁判は軍部を中心にごく一部の「戦犯」が処断されたのみに終わり、民主化の担保となるはずだった公職追放も、講和条約の締結=冷戦勃発の中で解除され、敗戦の責任追及は不完全に終わった。

仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。



よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、

眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収

前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上
などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。
それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。


遍照飛龍 様
≫なんせ「天皇」はじめ為政者・指導者が国民に謝罪しない
これです。
昭和天皇、を筆頭に、政軍の帝国指導者たちは、公式には一切、《旧臣民たち》に向けて、《謝罪》の一言も発してない、と思います。

《謝罪》の内容は、戦後、マルクス主義の影響を受けた知識人たちが金切声をあげた、戦争を起こした責任という意味での「戦争責任」ではありません。そんなもの、《旧臣民たち》だって、戦争に反対だった訳でもないので同罪です。むしろ、メディアに煽られて乗り気だったのですから。

帝国を指導したパワー・エリートたちが、臣民に謝罪しなければならなかったのは、日中戦争から対米英戦争に至る約15年間の戦争が、結局「負け戦」で終わってしまったことです。

つまり、戦争の「始まり方」に対する「責任」ではなく、戦争の「終わり方」に対する「結果責任」です。

勝負事は、負けたとき、誰かが責任を負わなければなりません。スポーツだろうが、ビジネスだろうが、どの分野でも例外はない。それならば、最大の国事である「戦争」に負けたなら、その責任を「誰か」が、「負けたのは私の責任です。それを果たすために、現在の地位を去ります。」というパフォーマンスを演じなければ、この認めがたい「過去」の決着がつきません。それがなされて初めて、敗者たちは、歴史の重荷=失敗を祓い落とし、むしろ未来への糧として、これからを生きられます。

1945年の敗戦に直面した大日本帝国が、真の意味で新生日本国としてやり直すためには、「誰か」が明確に「結果責任」を負う儀式が必要不可欠でした。最も適任だったのは昭和天皇の退位だったでしょう。なにしろ、憲法でも、皇軍でも、その「主」だったわけですから。

敗戦直後の一年ほどはかなり優勢な世論でしたが、本人が望まず、君側にも「自己責任」をとれる人材がいなかったため、みなGHQの間接統治の「道具」に喜々としてなることに収まり、めでたくアメリカ合衆国の属国となりました。

ここで、占領軍の甘言と脅しを振り切って、昭和天皇退位、皇太子の新天皇誕生ができていたら、半世紀を超える対米従属の「半主権国家日本」の歴史は無かったと思われますし、多少は「有徳」で、「国際社会において、名誉ある地位を占め」(日本国憲法前文)ていたのではないか、と愚考します。

まり、「戦後民主主義」、あるいは「焼け跡民主主義」が結局、虚妄になってしまったとしたら、それは、昭和天皇を国民(=主権者)の力で退位させられなかったこと。つまり、人民主権(popular sovereignty)を実感できなかったことの挫折感、に尽きます。

本当におっしゃる通りです。
さらにいうと、福島第一原発事故の「責任の有耶無耶さ」や、私の父が勤めていたJR西日本の福知山線事故の責任の「曖昧さと生贄の羊で誤魔化す」ってのも、天皇や為政者集団に責任を取らせられなかったことの延長にあると思います。
「天皇」が居直って居座ったことで、日本が独立を失った・・てことでしょう。

私の思いを、完全な形の文章にしていただけた・という気持ちです。
このことを、本当に日本人はわからないといけなのでしょう。
でも日本の指導層は、それが一番恐ろしいのでしょうね。

遍照飛龍 様
下記の本に、昭和21年2月頃の、皇族における昭和天皇退位論が紹介されています。
冨永 望『昭和天皇退位論のゆくえ』2014年6月吉川弘文館(歴史文化ライブラリー379)pp.37-8
・裕仁帝退位→皇太子即位+高松宮摂政(皇族賛成)
・三笠宮の枢密院本会議での発言〈現在天皇の問題について、また皇族の問題について、種々の論議が行われている。今にして政府が断然たる処置を執られなければ悔いを後に残す虞ありと思う。旧来の考えに支配されて不徹底な措置をとる事は極めて不幸である(芦田均日記昭和21年2月25日)〉
後者の三笠宮の発言を本会議場で聞いた昭和天皇は顔面蒼白だったようです。
昭和天皇は、とにかく戦犯として訴追され、裁判に引っ張り出されること(死刑判決?)を非常に恐れていたようです。そのため、会談でマッカーサーに自分を売り込んだ。マッカーサーは、それなら間接統治上、メリットがある、と判断して、米本国政府を説得し、免訴を勝ち取った。それでも、皇族からでさえ、退位論が出てくることを抑えることができなかった。自己弁明としては、「自分が退位するのは簡単だ。それでは責任をとったことにならない。いまのこの地位にいて日本のために尽くし、責任を全うしたい。」という理屈でした。
しかし、これを認めちゃったら、どんな組織のトップでも、責任をとらなくていいことになっちゃう。
サッカーワールドカップで、日本代表チームがグループ予選リーグで敗退して、代表監督がその敗戦の記者会見で、「責任を取って監督を続け、次のWCまでにチームを強くしたい。」なんて言ったら、誰も許しませんよね。その敗戦を弁護する人だって、辞めずに続けさせろ、なんて口が裂けても言えません。
昭和天皇のそんな曲芸のような論理がまかり通ったのは、当時の事実上の主権者マッカーサーの容喙、つまり、裕仁帝が "MacArthur's pet"として《身売り》したこと、旧帝国のパワーエリート大多数が保身でそれに乗ったこと、が大きかった。
それにしても、恩師である南原繁や、横田喜三郎という東大法学部のボスたちが退位論をブチ上げているのに、弟子筋の丸山眞男がその議論のアジテーターにならなかったのは、今考えると不思議な気がします。
世論調査でも、2割くらい退位支持者がいたのだから、議論を盛り上げれば、国民投票くらいまでは持ち込めた気がするのですけどね。
「焼け跡デモクラシー」が、竜頭蛇尾となってしまったのには、丸山眞男にも一分の責任はあるでしょう。

ご発言を流用させて頂きます。
《日本が米国の支配を受け入れる代償に、裕仁帝がその身分を保証されたこと》
日本国憲法が「押し付け」なら、昭和天皇も占領軍の「押し付け」です。

早速の返信ありがとうございます。
こんな記事もありました
一番の長は責任をとらない
https://ameblo.jp/midre/entry-12852259529.html
>しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。
モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに
気づいた者はいません。
いたかもしれないが、責任はとっていません。
高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき
重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。
>責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。
>政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。
>一番の長は責任をとらない、、、、
>一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。

A級戦犯が英霊に
https://ameblo.jp/midre/entry-12853398325.html
>A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
天皇あればこそです。
裕仁帝を「生かしてやる」ことで、米英は、天皇を「走狗」に完全にできた・・

ただ、問題は・・・日本は「天皇」以外に「日本の統治の正当性」を規定するモノが、私には見えないのです。
それが一つの「日本の宿痾」みたいに思えます。

遍照飛龍  様
>日本は「天皇」以外に「日本の統治の正当性」を規定するモノが、私には見えない
ロシア系ユダヤ人の米国思想家リア・グリーンフェルド(Liah Greenfeld)は、
①普及的主権(popular sovereignty)
②構成員の基本的平等(fundamental equality of members)
を、現代人はデモクラシーの原則と見なしていますが、それは誤解だと指摘します。
これらは、元来、ナショナリズム(nationalism)の原則でした。なにしろ、近代デモクラシーは、19世紀製で、ナショナリズムは16世紀イングランドに誕生しているからです。
グリーンフェルドは、nationalism の二つの基本原則から、ネイションは尊厳(dignity)と競争心(rivalry)を持つようになったも指摘します。
「正当性」と「責任感」は、自他ともに認める尊厳、名誉、誇りから生まれるものでしょう。
あの「敗戦」を契機に、自力で裕仁帝を馘首し、明仁帝を誕生させることができていたら、自己効力感、自尊感情と責任感が生まれ、真の意味で、日本人を「国民 nation」にしていた可能性が高い、と思います。そしてこれが、近代国家における、統治の正当性の源泉です。


しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。
モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに
気づいた者はいません。
いたかもしれないが、責任はとっていません。
高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき
重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。

責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。
政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。
一番の長は責任をとらない、、、、
一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。

 

 戦争の惨禍に対する反省の意の片鱗もなく、戦争美化一色で塗りつぶされています。
 そして戦没者は英霊として顕彰されています。
 英霊とは、正当な戦争での功績ある戦死者を賛美する呼称です。
 大東亜戦争で亡くなった戦死者は、英霊ではなく犠牲者です。

その侵略戦争のため、敗戦を迎えると天皇の処分をめぐって
外国ではいろんな意見が出ました。
しかしオーストラリアは、強弁に天皇の退位を要求しました。
オーストラリア
  国家元首であり、日本軍の最高司令官である。
  天皇は日本の侵略行為と、戦争犯罪人の責任をとるべきであり
  従って天皇の退位を要求する。
  天皇は日本の侵略行為の責任から免除されるべきではない。
  人間としての天皇は、連合国政府のいかなる他の降伏敵国の
  どの人間とも同様の方法により、扱われるべきである。

 

 しかし最後には、連合国司令官マッカーサーにゆだねられ
オーストラリアも巧みに米国に誘導され、その後の結果になりました。
最高司令官天皇は責任をアメリカによって免除され、その責任は
東条英機らA級戦犯が負ったのです。
米国には、下心があり今のような立場の日本になったというわけです。
A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
天皇あればこそです。
不思議でもなんでもありません。

裕仁は、NHKの記者会見で(1975年10月31日)、戦争責任は?と
 質問されて
 「そういう文学方面は、あまり研究していません」と
 にべもなく答えている。
 しかし終戦という言葉を発明して、戦争責任を逃れたあたりは
 相当の文学方面に詳しいと言わざる得ない。
 そして次に15年戦争を始めたのは、
 「帝国臣民の康寧はかり、万邦共栄の楽を共にする」ことであり
 「帝国自存と東亜の安定とを庶幾する」
  ための防衛戦争だと言う、なんと図々しい言葉であろうか。
 この部分の裕仁理論の最大の弱点は、日本人ならば朝日新聞と
 NHKの応援で、ごまかすことはできても、中国や朝鮮フィリピン、マレーシア
 インドネシアなど軍靴で踏みにじられた、アジア諸国にとって
 裕仁が始めた15年戦争が、侵略戦争でないなどとは、とんでもないことであろう。
 

 裕仁を東京裁判の法廷に引きずり出せなかった、裁判長ウェッブでさえ
 次のように言っている。
 【天皇をも裁かないようなら、戦争犯罪人は誰も死刑にすべきではなかった
  というのが著者バーガミニの意見であるが、私も全く同感である】
 裕仁理論=終戦の詔書によれば、アジア諸国に対する侵略も
 防衛戦争の一環となる。
 裕仁はこの理論を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶第爆撃
 朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
 そのような防衛戦争、つまり「正義の戦争」も敵は新たな残虐なる
 爆弾を使用して、「無辜を殺傷す」としいうわけで、終戦せざるを得なくなる。

 この部分は、裕仁の昭和天皇独白録で
【ソビエトはすでに満州で火ぶたを切った。これではどうしても、ポツダム宣言を受諾せねばならぬ】
 と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実として、裕仁がポツダム宣言を受諾したのは、ソ連参戦によってソ連の発言権が強まれば、国体、天皇制が危うくなるからである。
 原爆を投下された8月6日や8月9日は裕仁は
【なるべく早く講和を】
と言っている。

では、戦死者、戦災者の遺族はどうなるのか。
 それを思うと朕は、【五内為に裂く】とオーバーなことを言う。
 が、時運おもむくところ、
 【堪えがたきを堪え、忍び難きを忍び】と言うのだ。

 五内為に裂く、、、と言っているが、その内容は被爆者援護法や
 空襲の補償はしないぞ、、、、ということであろう。

 そして終戦の詔書の一番肝心な
 【朕はここに国体を護持し得て、】
 という天皇制継続宣言になるのだ。


 こんな詭弁、嘘八百、すり替えに満ちた文章は、世界史の中にも
 そうざらにはないだろう。
 しかもこの理不尽な裕仁理論は、今もハツラツと生きている。】


 この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、国体護持宣言です。
 この終戦の詔書は、8月15日正午、玉音放送として
 大日本帝国臣民の耳に届いた。

 しかしその全文が問題化されることはなく、ただ
 堪えがたきを堪え、忍び難きを忍び、、の部分だけが
 毎年反復されるようになったのです。



現代日本は例外的な環境にある。
太平洋戦争において、太平洋の島々に配された日本軍はことごとく死守、玉砕が要求され、一切の降伏が認められなかった。フィリピン(レイテ)、マリアナ(サイパンなど)、沖縄では、海上から解囲軍が送られ、それぞれ「レイテ沖海戦」「マリアナ沖海戦」「坊ノ岬沖海戦」が生起したものの、日本側は全て壊滅的打撃を受けて敗退した。
「伝統」に従えば、解囲軍が壊滅し、さらなる後詰めが出せない以上、君主は降伏許可を出すのが筋であり、名君の条件だった。ところが、昭和帝は降伏許可を出さず、最後の一兵まで戦って玉砕することを求めたため、破滅的な結果を招いた。
歴史的には、このような勝ち目の無い戦で臣下の生命を徒に使い潰す君主は「愚昧」「暴君」とされるはずなのだが、何故か日本では「御聖断によって戦争を終わらせた名君」として評価され、軍部の戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。
明治以降、3千万人の人口が4倍になったことと、明治体制下で全てが天皇の私物とされてしまったことが、大きく影響しているものと思われる。そして、明治体制を否定せぬまま、敗戦によって形式的にデモクラシーが導入された結果、非人道的な弊害が見えない形で温存されてしまったのだろう。

これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。その意味でも、現代日本人だけがよほど特異な文化、社会環境に置かれていることを示唆している。

学校のいじめなど「同胞の見殺しする」訓練みたいなものだ、




ゾンビを崇拝するゾンビ社会が、天皇日本



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