気になる事。民主主義の危うさとその信者の危険性

より

上記文抜粋
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これはあまりに効果的なプロパガンダのため、人口の半分を無視するように作られたシステムが道徳的でも公正でもなく、その正当性は倒錯した神学によってのみ付与されるということが、多数派も少数派も思いつかないようである。一体どこの惑星で、少数派であることを理由に、自分の希望と最善の利益を放棄し、たまたま反対側の多数派を構成する本質的に敵対する集団に自分の福祉の主導権を譲り渡さなければならないのだろうか?

欧米の政治体制は、社会ダーウィニズムという、明らかに不当で社会病質的なプロセスを、神学として再ブランド化した。西洋の右翼的個人主義国家、昔も今も帝国主義者、侵略者、征服者、ジャングルの勝者総取りの法則に従う者たちは、このシステムが彼らの好戦的性格とキリスト教道徳至上主義に合っているから作り出したのである。彼らがそれを選んだのは、それが公正で正当だからではなく、彼らの社会的ダーウィニズムにはいじめが自然な形で出てくるからである。このようなプロセスの正当性を主張する唯一の方法は、少数派には権利がなく、本当に敗者であるから配慮に値しないという神学的前提を受け入れさせることで、少数派を黙らせることである。この哲学的反逆がプロパガンダの仕事である。

・・・・・・・中略・・・・

欧米のあらゆる選挙の後の祝勝会では、勝利した政党や候補者は、あらゆるスポーツと同様にチームの勝利を祝うだけでなく、実際、その勝利の道徳的重要性を大切にし、賛美する。彼らの政治イデオロギーだけでなく将来のすべての行動は、彼らの「勝利」によって例示された相手よりも高い道徳的価値を持っていることによって正当化されるという、神学的確信の下に安心する。そして、この宗教的確信こそが、人口の残りの50%を傍観し、彼らの願いや福祉を意図的に無視することを正当化するのである。敗者は自業自得なのだ。

まともな社会であれば、人口の49%の願いを無視することは無謀であり、それはほぼ確実に革命を引き起こす公式である。しかし欧米の民主主義社会では、選挙で「負けた」49%の少数派は、勝者の希望とイデオロギーを押し付けられながら、神学上の勝者の道徳的優位性を認めて受け入れ、沈黙を守らなければならないのである。

アジア社会が紛争解決や指導者選任のために自然に投票プロセスに頼ろうとしないのは、(1)紛争にまみれた政治的イデオロギーによって分断されず、(2)原始的な西洋のキリスト教やユダヤ教に感染していないためであり、したがって意見の相違を道徳的にとらえないことにある。もし社会が意見の相違を道徳的に捉えないなら、人口の49%を道徳的優位性に基づいて無視することはできないし、アジア社会は西洋のように道徳とは結び付けない。彼らは宗教に感染していないため、白か黒かの世界に住んでおらず、道徳的に正しい勝者には戦利品の100%を得る権利があり、道徳的に衰えた敗者には何も得る権利がないとは考えていないのである。

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抜粋終わり

「勝ったもの総どり」のいびつな思想の、リベラルデモクラシー

その源泉には「バチカン教・プロテスタン」があるのは、間違いない。

より

上記文抜粋
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西洋文明は基本的に千年前から存在しており(比較歴史学的にはごく最近のことだ)独特だと主張し、不可謬性とされるものを一貫して実行し、その結果、千年紀を通じて組織的化暴力で体系的かつ制度化された不寛容を一貫して実施してきた。

 そこで、ラインラントのユダヤ人を虐殺し略奪するから始まり、更には正教会キリスト教徒やイスラム教徒を虐殺し血を流し、彼らが聖都と呼ぶエルサレムを膝まで血の海にした第1回十字軍(1096-1099)があった。異端審問や、今中南米と呼ばれている場所でのスペインとポルトガルの残虐行為について言及する必要があるだろうか?

 もちろん公平を期すため何百万人もの人々が亡くなったヨーロッパのプロテスタント-カトリック「宗教戦争」(原文のまま)への言及は避けられない。プロテスタント各派も、どちらが最も意地悪で偏狭か証明するため確実に互いに戦った。カトリック教徒ではなくプロテスタントが魔女狩りを行い、何千人もの老いも若きも貧しい女性を焼き殺した。これは何らかの形で異なる人々の社会的いじめの一形態だった。プロテスタントは北アメリカ先住民虐殺を続け、生存者を強制収容所に収容し「居留地」の名の下で優雅に隠蔽し、何百万人ものアフリカ人を奴隷にして「プランテーション」と呼ぶ労働収容所で働かせた。結局「Arbeit macht frei」「仕事はあなたを自由にする」のだ。あなたが白人の場合そうではないが、それがあなたが非白人があなたのため働くのを優しく許す理由だ。

 魔女狩りの多くは女性に対するプロテスタントの憎しみと恐怖にさかのぼり、11世紀と12世紀西ヨーロッパで教皇庁が課した聖職者の義務的独身から直接受け継いだセックスへの執着(「唯一の罪」)にさかのぼる。今日女性を迫害する古いピューリタニズムは「グリーン」運動に変わった。性的汚れを節制する代わりに、今我々は物質的な汚れを同様に狂信的節制をしており、性的純粋さは「グリーンはきれい」に置き換えられている。唯一の罪はリサイクルしない。これは明らかに臨床的に鬱状態で神経症的なグレタ「ファンベリ」のような新しいピューリタニズムにすぎない。(彼女はなんというお笑い種だろう。暗いスウェーデンの夜のせいに違いない)。しかし究極の逸脱は同性愛の合法化だ。ソドミー以上の女性憎悪は何だろう?

 欧米と他の全ての文明との大きな違いは自分は間違いないと確信しているがゆえの独特な不寛容だ。(教皇不可謬説は19世紀に教義化された可能性があるが、11世紀にヒルデブラント/グレゴリウス7世が既に宣言していた)。欧米は強要しなければならない。

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抜粋終わり

バチカン教・プロテスタンが、極めて破壊カルトなのは歴史を見ればわかる。

それを信じた人たちは、生贄になる悪魔を求めて、外へ外へと動きだし、それがなければ、自分たちが存在できない。
まさに「悪魔教」といえるのが、バチカン・プロテスタントとなのだ。

だからプーチンは

より

上記文抜粋
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プーチンは自分の欲望、経済的な欲望、それ以外の欲望を満ただけに
人間は存在しているという考え方に反対。
彼は義務感に強い人間で、人間は金儲けのために自分の欲望を
満たすために生きればいいという事では無いだろうと。

・・・・中略・・・・・

彼らの議論というのは、
日本の知識人、政治家、官僚の議論よりも
哲学的に深い議論をしている。

例えば19世紀のリベラリズムと進歩主義に対して、
ロシアはどの部分を受け入れて、どの部分を拒否すべきかとか、
今頃になってもまだフランス革命のどこが正しくて間違ってるのかと
ルソーの思想のどこがおかしいとか、
リドロ、ダランベールのここがいいとか、悪いとか、
J・Sミル、イギリスのベンサムとか
J・Sミルの自由主義的な功利主義を
ロシア人は受け入れるべきか否かのような
議論を大真面目でやっていて、どちらかというと、
受け入れるべきではないという方向に進んでいる。

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抜粋終わり

プーチンが、LGBTに慎重で、ロシアがそれを拒否するのは、

まさに

 欧米と他の全ての文明との大きな違いは自分は間違いないと確信しているがゆえの独特な不寛容だ。(教皇不可謬説は19世紀に教義化された可能性があるが、11世紀にヒルデブラント/グレゴリウス7世が既に宣言していた)。欧米は強要しなければならない。

てところにある。

日本はじめ東亜は、それほどLGBTに不寛容では無かった。日本で英雄視される信長は、女装もするし、同性愛もしていた。まあガキも沢山作ってたよね。
イスラムもアラブでは、比較的穏健だった。詩人のランボーが、アラブに逃げたのは、同性愛が「人に公然としない・公言しない」かぎりに、糾弾されなかったからだそうだ。

一番LGBTに苛烈で過酷だったのが、今LGBTに発狂している西欧なのである。

それをいまさら「真理を見つけた」とほかの文化圏に押し付けて、自慰する。

まあ糞ですは、糞。

まあ近代以降の世界の諸悪の根源は、カトリック・プロテスタンとにあるのは、間違いないのです。

あと、天皇と神道は、明治以降にバチカン化した。ので、70年ごとに日本人を虐殺するのでしょうな。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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