「天皇」に違和感を感じないと 日本人は死滅。


上記文抜粋
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違和感を大事にする


はじめて人に会った時,
何かに関わろうとする時など,
どのような時でも,

嫌な感じがするとか,
関わらないほうが良さそうとか,
少しでも違和感があれば,関わるのは辞めることだ。すぐにでも縁を切ったほうがいい。

この違和感が生じない人は,不幸な選択ばかりして,不幸な人生になっていく。




違和感が生じない人は,神仏やご先祖を大切にしなかったり,信じない人,

あるいは,

第三の目が全く機能していない人で,守られていない人である。


また,そのような人は,精神が低く,波動が非常に低い状態である。
最近は,このような人が増えている。

ちなみに,カルト宗教や,洗脳させられるような団体,組織に入ってしまう人は,違和感が生じない人である。

誰でも受け入れる団体,組織は気をつけたほうがいい。


正しいところは,「人は選ぶ」「去る者は追わない」ことを忘れないことだ。



ちなみに,今の日本の状態に,違和感を持つ人は増えてきているようだが,
前にもブログで書いたが,日本は完全に悪魔に支配されてしまっている。

国民の多くは,それに気づかず茹でガエルになっているのが現状だ。


もう「最終段階」に入っていることに気がついたほうが良い。

このままでは,今ままでのように,安心,安全に暮らせない世の中になるだろう。
洗脳装置であるテレビなど呑気に見ている場合ではないのだ。

小生の知人が住んでいる近所には,移民がかなり増えていて,夜は男でも歩くのに危険を感じるそうだが,小生の住んでいる地域でも移民が増えていて,トラブルや事件も起きている。

これから先,第三の目を少しでも活性化させて,波動,氣に敏感になり,

違和感が生じる人,場所には近寄らないことだ。それが身を守ることになる。



下図は,知人に教えてもらったのだが,とても分かりやすい。

既に戦争は始まっているのである。


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抜粋終わり

大事なことである。

でもこの記事の著者は、「天皇」に違和感を感じれない。

「天皇」こそが、日本最大の国賊で国辱なのだが・・・

しかし仏教、とりわけ初期大乗仏教は、すべてが空だと言ってのけたのだ。そればかりか、神の存在も自己の存在も否定した。神もなく自己もなく、世界すらない思想、それが「空の思想」である。ここを、キリスト教のように神の存在を認めたら、他のすべてのものも実在することになる。そして、そこから神を別格に扱うには、そこにキリスト教のように実在の階層をつけることになる。仏教はある時期からそれを拒否し、否定した。


日本の医療の原点 731部隊の関係者のその後の職業・役職 及び厚労省との関係 フクシマと731部隊


731部隊のその後を見ると 日本の医療とはなにか見えてくる。予研(国立予防衛生研究所)とミドリ十字のいかがわしさ。そして大学・製薬会社のいかがわしさ。
⇒ こちら
ヒルレポート⇒ こちら
ミドリ十字と薬害エイズ ⇒ こちら ミドリ十字解体後 社員は武田薬品に戻った。
731部隊は3000人もの医師たちが関わって 中国で細菌戦と人体実験をしていた。妊産婦 子どもも例外ではなかった。(武田薬品からの出向が多かった)
終戦時に特別列車で日本に帰った石井四郎ら幹部は、実験資料を金沢市に保管、千葉の石井の実家にも分散して隠し持っていた。戦後、石井は連合国軍による戦犯追及を恐れ、病死を装い、千葉で偽の葬式まで行い行方をくらます。
1947年1月、東京裁判ソ連側検事のヴァシリエフ少将が石井らの身柄の引渡しを要求。同年2月10日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)内のアメリカ政府の関係者は本国政府に対して「石井達をソ連に尋問させて良いか」と電文を出す。同年3月20日、それに対しアメリカ政府は「アメリカ人の専門家に石井達を尋問させる。重要な情報をソ連側に渡してはならない」と回答。
石井は再度のGHQ内のアメリカ人による尋問に対し、「人体実験の資料はなくなった」と主張。さらに、アメリカの担当者ノーバート・フェル博士に文書での戦犯免責を求めると共に、「私を研究者として雇わないか」と持ちかけた。近年アメリカで公開された資料によると神奈川県鎌倉での交渉で731部隊関係者側が戦犯免責等9か条の要求をしていたことが判明。「日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる」、「報告はロシア人には全く秘密にされアメリカ人にのみ提供される」等と書かれており、731部隊の幹部たちは戦犯免責と引き換えに人体実験の資料をアメリカに引き渡した。(広島・長崎の研究に協力することも条件のひとつだった)

太平洋戦争において、太平洋の島々に配された日本軍はことごとく死守、玉砕が要求され、一切の降伏が認められなかった。フィリピン(レイテ)、マリアナ(サイパンなど)、沖縄では、海上から解囲軍が送られ、それぞれ「レイテ沖海戦」「マリアナ沖海戦」「坊ノ岬沖海戦」が生起したものの、日本側は全て壊滅的打撃を受けて敗退した。
「伝統」に従えば、解囲軍が壊滅し、さらなる後詰めが出せない以上、君主は降伏許可を出すのが筋であり、名君の条件だった。ところが、昭和帝は降伏許可を出さず、最後の一兵まで戦って玉砕することを求めたため、破滅的な結果を招いた。
歴史的には、このような勝ち目の無い戦で臣下の生命を徒に使い潰す君主は「愚昧」「暴君」とされるはずなのだが、何故か日本では「御聖断によって戦争を終わらせた名君」として評価され、軍部の戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。
明治以降、3千万人の人口が4倍になったことと、明治体制下で全てが天皇の私物とされてしまったことが、大きく影響しているものと思われる。そして、明治体制を否定せぬまま、敗戦によって形式的にデモクラシーが導入された結果、非人道的な弊害が見えない形で温存されてしまったのだろう。

これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。その意味でも、現代日本人だけがよほど特異な文化、社会環境に置かれていることを示唆している。

明治帝政下では、天皇は、原理的に国防の義務を一身に負っている。そして、その義務を果たすために軍事権と外交権を占有している。


これらの戦争も勝利しているうちは、国防の義務が果たされているとして強弁できるが、敗戦して国土が灰燼に帰し、あまつさえ外国軍によって占領されるとなれば、事情は違ってくる。

現在のところ、自民党を中心に憲法改正の主張が高まっているものの、仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。

「嘘まみれの社会になると自身もその嘘を信じ始め、結果、人は幼児化する。甘やかされて育った子供のような行動になり、気に入らないこと不都合なことは、すぐ投げ出す。」というようなことが書かれていました。実際、西側のエリート、特に政治家の未熟さは何なんでしょうか。中身のない言葉しか発することができない人間が政治家を名乗っている社会の行く末に何が待っているでしょうか。そろそろ大変な罰が当たるような気がします。


長きにわたる洗脳は、知性を、霊妙な感覚を、良心を 破壊する。

偶然に日本人はワンチャンあって「天皇」を根絶出来たら、明るい未来は必至だろう。

でも、そうでなければ・・・・・・・・・・100年後には日本人は・・・嘲笑と歴史上の存在となり・・・消え失せている。これは必然の末路である。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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