壊れ行く集団的西側・天皇と・・・

蚊居肢さんの記事を、最近気に入っている。

より

上記文抜粋
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世間で言われていることの殆どは誤謬


私はしばしば蓮實の《世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い》を掲げているがね、(例えば2年半前の「コレ」はこの文を掲げて柄谷行人と千葉雅也をバカにしてんな・・・それと「コレ」は日本フロイト派代表的臨床家らしい十川幸司と現日本ラカン協会理事長立木康介をバカにしてるよ。)


若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞 2017年1月1日号)


ま、「嘘」っていうかな、世間で言われていることの大半は間違ってるんだよ。


キミのいうフロイトはどっから仕入れてきたのか知らないが、明らかに誤謬だね、まだ若いんだからこれから頑張ったら良い、とは言っておくが。


そもそもフロイトの三つの最も基本的概念「無意識・抑圧・神経症」だって、巷間の精神科医は何にもわかっちゃいない。フロイト・ラカンプロパ研究者でさえあやしい人が殆どだから。


(例えば少し前、京大のトラウマあるいは解離の専門家らしいセンセのブログをのぞいたことがあるが、彼のフロイトは一行一句間違っている。ウィニコット好きの人物でもあるなーーでもリンクはやめとくよ)


フロイトの「三つの基本概念「無意識・抑圧・神経症」の整理」[参照]で、いくらかまわりくどく記しているが、ここではもっと簡単に言えばこうだ。



まず無意識は本来の無意識と前意識がある。

精神分析が無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった経緯を簡潔に説明するのは、もっと難しい。
Schwieriger wäre es, in kurzem darzustellen, wie die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. (フロイト『自己を語る』第3章、1925年)

ーーフロイトは『無意識』第6章(1915年)で、前意識Vbwを《無意識の後裔[Abkömmlinge des Ubw]》と呼んでいる。


次に抑圧は原抑圧と後期抑圧がある。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)

ーー原抑圧は欲動の固着(欲動の無意識)であり、後期抑圧は欲望の無意識。


(重要なのは、フロイトが《抑圧された欲動[verdrängte Trieb]》(『快原理の彼岸』第5章、1920年)、《抑圧された固着[verdrängten Fixierungen]》 (『精神分析入門』第23講、1917年)と言っているときは「原抑圧」を示しており、他方、《抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche]》(『夢解釈』第5章、1900年)、《抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen]》(フロイト『夢解釈』第7章、1900年)と言っているときは「後期抑圧」を示していること。)


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抜粋終わり

よくわからんが、これ

世間で言われていることの殆どは誤謬

その通りだね。

より

上記文抜粋
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與那覇潤の「「専門家の時代」の終焉」

與那覇潤の「「専門家の時代」の終焉」はとってもいいんじゃないかね、何人かの「専門家」の実名を挙げての専門家批判でもあるが、いまはその箇所を割愛して後半部分から抜き出す。是非全文、さらにはいくつかのリンク先もじっくり眺めたほうがいいよ。

◼️「専門家の時代」の終焉 Yonaha Jun 2024年3月11日

……真に反省すべきは、「専門家」の看板を掲げれば批判はおろか、一切の疑問さえも封殺でき、そうした厚遇を自明視して異論の持ち主(と本人が見なした相手)をいくらでも罵倒することが許される状況。そうした環境を作り出し、その下で収益や視聴率から「いいね」の数まで、おこぼれにあずかってきた人たちの全体であると思う。
13年前の3月11日以降、私たちは誰もが、立場や分野を問わず「専門家」を盲信することの危うさを見せつけられたはずだった。しかしその記憶はいつしか立ち消え、瞬間ごとの空気を読んで「専門家の私が言うから信じろ」と時の世論にお墨つきを与える、民意ロンダリングのようなビジネスが定着してしまった。
眼前の問題への発言権を独占する「専門家」という、正体不明の「言いたい放題パスポート」の発給を、私たちはもうやめる時が来ている。それがコロナで、ワクチンで、ウクライナで、パレスチナで、トランスジェンダーやフェミニズムで、多大な犠牲を払いながらこの社会が学んだ教訓であるべきだ。〔・・・〕
読者に乞いたい。「専門家」なる肩書を識者の免罪符に使うことを、もうやめてほしい。それはあなた自身の知性を損ねるだけでなく、当の専門家をも甘やかし、スポイルし、堕落させる。
彼や彼女が専門家か否かは、一切重要ではない。その人は時間が経ち情勢が変わった後でも、自身がかつてなした言動の責任を引き受ける人か。それとも単に「言い逃げ」して姿をくらます人か。それだけを見てほしい。
ホンモノを、応援してください。それができないなら、せめてニセモノの言論を拡散するのを、やめてください。そこにしか、私たちが嵌まり込んだ2020年代の迷路からの出口は、ないと思います。

與那覇潤は《13年前の3月11日以降、私たちは誰もが、立場や分野を問わず「専門家」を盲信することの危うさを見せつけられたはずだった。》と記しているが、このブログでもつい最近、「人類というものは、おしなべて「愚かなもの」である」にて、鈴木健の2011年3月16日のツイートを引用して、次のように記したがね。

……「専門家」の見解なら信頼の置けるものだといまだ思い込み勝ちのようだが、それが大間違いなのは2011年に学んだのではなかったか。

鈴木健@kensuzuki
要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人~数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。(2011年3月16日)

この3年あまりのあいだにおいても医学者やら国際政治学者やらの言説から学んでいるのではなかったのか、連中が《菊池さんの言葉で言えば、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」》(小林秀雄「菊池寛」)であることを。

ま、専門家というプロフェッショナル集団を全面的に批判するつもりは毛頭ないが、括弧付きの「専門家の時代」の終焉の主張は是非とも受け入れるべきだろうね、とくにこの3年間の出来事を振り返りつつ、誰もがそう認知すべきだ。

蓮實)プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。〔・・・〕プロフェッショナルは絶対に必要だし、 誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。 (柄谷行人-蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988年)

とりわけ大学の教員の無責任性、彼らの途轍もない幼児性があまりにも赤裸々になった3年だったね、

文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。〔・・・〕

彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。〔・・・〕彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 川田順造訳)

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抜粋終わり


より

上記文抜粋
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シュミットとニーチェなみの熟女

@Jano661さんのこの民主主義と自由の定義、実に巧みだ、


いやあホントに感心するよ、学者の定義読むと頭に来ることシキリなんだけどさ。

彼女のツイートを読むと、この人とっても頭のいい人だなとときに感じるんだが、上のはいままでで一番気に入ったね。

二人の天才、シュミットとニーチェの定義と同じぐらいいい。

【民主主義】

民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異質な者や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている[Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…] Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. ](カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)


【自由】

今日のために生き、きわめて迅速に生き、 ――きわめて無責任に生きるということ、このことこそ「自由」と名づけられているものにほかならない。制度を制度たらしめるものは、軽蔑され、憎悪され、拒絶される。すなわち、人は、「権威」という言葉が聞こえるだけでも、おのれが新しい奴隷状態の危険のうちにあると信じるのである。それほどまでにデカタンスは、私たちの政治家の、私たちの政党の価値本能のうちで進行している。だから、解体させるものを、終末を早めるものを、彼らはよしとして本能的に選びとる・・・[Man lebt für heute, man lebt sehr geschwind – man lebt sehr unverantwortlich: dies gerade nennt man »Freiheit«. Was aus Institutionen Institutionen macht, wird verachtet, gehaßt, abgelehnt: man glaubt sich in der Gefahr einer neuen Sklaverei, wo das Wort »Autorität« auch nur laut wird. Soweit geht die décadence im Wert-Instinkte unsrer Politiker, unsrer politischen Parteien: sie ziehn instinktiv vor, was auflöst, was das Ende beschleunigt... ](ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」第39節『偶像の黄昏』所収、1888年)


ま、この定義でいくと民主主義とは村八分主義、自由とは無責任だね、極東の島国の典型的風習さ。


※附記

数日前、Janoさんが訳出を掲げた「静かなるクーデター:プーチン VS オリガルヒ」The Silent Coup: Putin vs. the Oligarchs by Justin Cowgill ON JULY 28, 2000,(Note)も一週間ぐらいかけて邦訳した労作でとっても勉強になるよ、ボクはPDFにして線を引きながら読んだね

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抜粋終わり

お見事・・・・民主主義・自由も、スカスカの中身が亡くなった・・・

まあ、天皇日本は、完全崩壊中・・・。西側も崩壊中・・・。

上記文抜粋
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巨大製薬業者とそのサクラたちは、自分たちが作り出した作り話と真実のつじつま合わせをしなくてはいけなくなっている

<記事原文 寺島先生推薦>
Big Pharma and Its Shills Are Having to Adjust Their COVID Fiction to the Facts
筆者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:グローバル・リサーチ  2024年3月7日
<記事原文 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月12日


mRNAワクチンが蔓延するなか人々が突然死し、腫瘍学者が癌件数の急増を報告し、これまでなかったターボ癌が発現し、COVIDワクチンを接種した女性たちから月経や生殖能力低下の問題が発生している問題を取り上げる論文が出され、若年層で心臓発作が生じ、平らで細長いパスタであるリングイネのような形をした今までにないような凝血が発生し、ギラン・バレー症候群や神経疾患、心筋炎、心膜炎、脊髄や脳の炎症、などあらゆる種類の健康異常が流行するなか、しっかりと抑制された言説による説明が必要となっている。

巨大製薬業者は、多額の補助金で飼い慣らした医学研究者をかき集め、この問題に対処しようとし、これらの健康異常が発生することは認めるが、発生することは「稀である」として矮小化しようとしている。

何とした出来レースだろうか。巨大製薬業者は世界各国の21名の医学「学者」の論文を寄せ集め、9900万人のワクチン接種者を対象にした研究の結論として、mRNAワクチンが有害事象を引き起こすことは「稀である」とした。

この研究の結論は、全てのmRNAワクチンにおいて、「心筋炎や心膜炎、ギラン・バレー症候群、静脈洞血栓症」について、「注意信号(この遠回しの言い方にお気づきあれ)」は存在してきたし、「さらなる調査が必要な他の注意信号が特定された」、というものだった。こちらを参照。

この結論は巨大製薬業者やNIH(国立衛生研究所)、CDC(疾病予防管理センター)、FDA(食品・医薬品局)などのカネで転がされている腐敗した米国医療業界が耳にしたくないものだったが、売女報道機関が、彼らのために手直しを入れてくれた。

ブルームバーグ・ニュースのジェーソン・ゲイル記者は、このワクチンの研究で、健康上における副反応とワクチンの関連が明らかになったが、そのような事例は数少なく、「稀なことである」と報じた。こちらを参照。

嘘つきのプロである、サイトのFact Check.orgはこう報じた。「大規模なこの研究により、COVID-19ワクチンのよく知られているがほとんど起こることがない副反応が確認された」と。

「大規模な」ということばと「ほとんどない」ということばにご注意いただきたい。いいかえれば、「ワクチン」の落ち度は、大したことはない、ということだ。

どちらも間違った表現だ。ウイルスそのものよりも、ワクチンの副反応で亡くなった人の方が多いのだから。

この恐ろしい「ワクチン」を擁護する文章の最初の数行において、factcheck.orgは「稀な」副反応を矮小化するために、まちがった主張を展開している。それは、このウイルスが「世界で何百万もの人々の命を奪ってきたし、ワクチンが出てこなければ、さらに何百万もの人々の生命が奪われていただろう。専門家や各国の行政医療当局が広く共有している共通理解は、COVID-19ワクチン接種により得られる利点は、それが引き起こす危険性を上回っているという事実だ」という主張だ。

言い換えれば、この愚かな「事実確認者ら」は、嘘だと分かっていて嘘をついている、ということだ。いまとなってはよく知られており、認められている事実は、このワクチンにはCOVIDから守ってくれる効果はなく、感染を阻止できず、このウイルス自体そんなに恐ろしいものではなく、死亡事例のほとんどが、免疫系が弱っている年配層や病人たち、あるいは効果的で普及している治療法を拒まれ、人工呼吸器をつけさせられることで、死期を早められた人々である、という事実だ。

何が米国民の国民性をこんなにも完膚なきまでに叩きのめしたのだろうか? カネのために真実や人の命を犠牲にしてまでも嘘をついているのに、そんな自分たちのことを「真実を確認するもの」と呼んでいるなんて。厚かましいにもほどがある。

我々が知っておくべきいくつかの注意点を挙げておく。1つ目。医療当局者らは、独立系科学者らの主張が正しかったことを認め始めている。なお、これらの独立系科学者らは、巨大製薬業者やその医療業界の従属者らからカネをもらっておらず、比較的少数しか存在しない。これらの独立系科学者らは躊躇うことなく、mRNA「ワクチン」は副反応を生じると声をあげていたのだが、いまになってやっと腐敗した医療業界もその主張の正しさを認識し始めたのだ。

2つ目。カネのために真実を売り渡す、科学者や医師、売女報道機関はわんさと存在する。これらの人々は毎日のように起こっている死亡事例を「稀である」と報じている。人々の死はこのワクチンにおかされた世界で毎日起こっているのに、だ。むかしむかし、はるか遠い昔、科学に資金を出していたのは、大学だった。いま科学資金を出しているのは、良からぬ企みを持つ外部の利害関係者だ。連中は完全に腐っている。

3つ目。西側の報道機関全体は、どんな難しい主題に関しても無能であり、承認された言説を与えられることで満足し、それを人々に垂れ流している。これらの人々は、テレビ画面の前に座って、ラジオのNPRを聞き、ニューヨーク・タイムズを読んでいる。 

その結果、正確で正しい情報は届かず、市民たちは本当のことを実感できなくなっている。

米国民、西側世界の人々全体、ロシア国民でさえ、次にくるでっち上げのパンデミック騒ぎを口を開けて餌をまっているアヒルのような状態にある。

次はエボラが使われるのだろうか? そうだとすれば、不正にエボラウイルスを武漢に送ったカナダ駐留の複数の科学者の役割はなんなのだろうか?

世界で最も恐ろしいウイルスを扱っているカナダの研究所が安全対策を強化したのは、捜査官が中国政府や軍と関係をもつ複数の研究員が、武漢の研究所と連絡を取り、生きたエボラウイルスを送付した ことを突き止めたことを受けてのことだった。こちらを参照。

なぜ西側諸国政府は、法を破り不当な生物兵器の研究をしているのか? なぜ各国議会はこのことについて何も行動を起こさないのか?

なぜ西側の人々は、このことを知らず、気にもとめていないのか?


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抜粋終わり



帝国政府がやってきたことを考えれば、(明治帝政を肯定する)帝国政府やその属僚がそれっぽいことを言えるはずもない。

その知性・羞恥心があれば、「天皇」の官僚・政治家などできない。

上記文抜粋
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アカデミー賞『オッペンハイマー』と『ゴジラ1.0』は 写し鏡 そして東日本大震災につながる。


フクシマ原発 / 2024-03-11 20:22:42




https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/movies/%E7%AC%AC96%E5%9B%9E%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E-%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%83%85%E5%8B%A2%E3%81%A8%E5%86%99%E3%81%97%E9%8F%A1%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E5%8F%97%E8%B3%9E%E4%BD%9C%E5%93%81-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC-%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9-1-0-%E5%AE%9F%E9%8C%B2-%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%81%AE20%E6%97%A5%E9%96%93-%E9%96%A2%E5%BF%83%E9%A0%98%E5%9F%9F/ar-BB1jFAO4

『オッペンハイマー』(3月29日公開)は、第二次世界大戦中、原子爆弾開発・製造のためのマンハッタン計画を遂行した天才科学者J

ロバート・オッペンハイマーの実話を映画化した作品。

『ゴジラ-1.0』(視覚効果賞を日本初・アジア初受賞)は、原爆と空襲によって焼け野原となった日本で、復興に向けて前に進みはじめた

矢先に、巨大不明生物が現れ、戦争の惨禍を生き抜いた主人公らが生きて抗おうとするさまを描いた作品。

以上

世界の覇権をとるために アメリカは マンハッタン計画で当時の最終兵器 原爆をつくった。

日本は 実験場として 最適だった。

映画『オッペンハイマー』は 実験の結果 即日17万人の上に襲いかかった悲惨な死を描かなくては完結しない。

アカデミー賞には政治的意味合いがある。エンターティンメントを牛耳っているのはあのひとたちである。

なぜ いま『オッペンハイマー』なのか!? それも 13年後の 3.11 に。

原爆 → 原発 → フクシマ

日本のアニメ 日本の映画人たちは 『オッペンハイマー』への答を どうか 作品にしてください。


日本の原発は CIA の傀儡中曽根 スパイであった正力が 進めた。原爆アレルギーだった国民にじわじわと。

つまり アメリカとあっちの 要望ということ。

3.11 は 日本の原爆 と 深く係わっている。ご自分で調べてみてください。


日本は『核』が欲しくてゲンパツをつくった。プルトニウムとミサイルがあればいつでも核はつくれる。

→ こちら  対談 黒字が小出さん

以下抜粋

ヒロシマ ナガサキに原爆が落とされたわけ

42年にオッペンハイマー博士らがロスアラモスで研究を始めたと。で、43年にアメリカのオークリッジにウラン濃縮工場ができた。
そうです。広島の原爆をつくるための工場ですね。

ハンフォードにプルトニウムの生産炉ができた。
そうです。長崎の原爆の材料であるプルトニウムという物質をどうしてもつくらなければいけないと

いうことになりまして、そのためにハンフォードに原子炉をつくりました。

この原子炉はプルトニウムを作るためにつくられたんですね?


そうです。日本の皆さんは原子炉と言うと、発電のための道具だと思われるのかもしれませんが、

もともと原子炉というのは、原爆材料であるプルトニウムをつくろうとして開発された道具です。

そして、45年7月16日ですね。これ、ポツダム会談の日ですよね?アラモゴルドという所で

世界初の核実験が行われた。これ、プルトニウム型だったんですね?


そうです。

そして、その1ヶ月後、8月6日広島へリトルボーイが投下された。


はい、今度はウラン型の原爆でした。

ウラン型ですね。8月9日、長崎にファットマン。
はい、プルトニウム型が落とされた。

ということなんですよね。で、私達は、このアメリカがこの広島・長崎に落としたのは、

戦争を早く終わらせるためには仕方がなかったんだと。こういうふうに言われてきたわけですが、小出さん、

これ本音はウランとプルトニウムを2つ実験したかったんじゃないですか?

実験したかったというのは、もちろんそうだと思います。米国が長い年月をかけて、当時の日本の全国家財政

をなげうっても足りないぐらいの巨額なお金をかけて、10万人を超えるような技術者・科学者・労働者を

秘密都市に閉じ込めながらつくった原爆ですので。

10万人もの人が極秘に閉じ込められてやったんですか?これ。


そうです。....界を牛耳るためには、どうしてもソ連より先に日本を降伏させなければいけないという思いでやったのだと思います。

その結果、2つの都市でものすごい悲劇が起こったわけですが、第二次世界大戦後、プルトニウムを取り出す

ために原子炉を開発するわけですが、その後アメリカは原子力潜水艦にこれを乗せて使おうとしたわけですね?


そうです。

原爆 → 原子力潜水艦 → 原子力発電所


そして、その4年後に陸に上げて原子力発電所を開始したわけですから、原子力潜水艦が先で原発が後ですよね?


そうです。原子力潜水艦というのはですね、圧倒的に優秀な兵器です。潜水艦っていうのはもちろん、

それより前にもあったわけですけれども。でも、原子力潜水艦より前の潜水艦っていうのは、ただ水面下に

潜れるそれだけの物です。少し潜ってればすぐに浮上してこなければ酸素は足りなくなってしまうわけですから。

ディーゼルエンジンで動いてますからね。
そうです。ですから、わずかな時間だけ姿を隠しておけるっていうのが、もともとの潜水艦だったわけですけれども、

原子力潜水艦になってしまいますと、例えばノーチラス号が北極海を潜って通り抜けるようなことができるようになる。

真の意味での潜水艦になったわけですし、現在も核弾投を積んだまま世界の海に沈んで潜っていられるという画期的な…

で、1954年にノーチラス号に搭載されたのが加圧水型。ウェスティングハウスがつくったやつ。
そうです。関西電力が使ってる原子炉です。

それと同時にゼネラル・エレクトリック(GE)が沸騰水型をつくって、シーウルフ号に搭載したということなんですねえ。

で、その4年後に陸揚げしたと。これ、だから私達の常識全く逆ですよ。


あははは、そうですか。

私、もうこれ知らなかったのでビックリしましたが、原子力の平和利用というのも端からウソということですね?


もともと、原子力と日本で言ってる言葉は、nuclearという英語の単語ですけれども、nuclearというのは、

もともと原爆開発から始まっているわけですし、原子炉という物だってプルトニウムをつくるため、あるいは原子力潜水艦を

つくるためと言って開発された技術だったわけです。皆さん、その日本では原子力と核が違う物であるかのように

思い込まされてきてしまったわけですが、もともと同じ物だし一番初めはいわゆる、核兵器という形で花が開いてきた物です。

日本は核兵器を持つために 核開発を原子力開発と称した

2010年10月3日NHKがスクープドキュメント『核を求めた日本』という番組を放送しているのですが、この番組の中でですね、

この外務省の官僚の方 ....村田良平さんという外交官です。この方が「日本の国益が脅かされるような緊急事態になったら

核兵器を持つ」という選択肢も完全には除外しないと言ってるんですね。。


ええ、言ってるっていうか、日本っていう国がずーっとそうやってそういう方策で、方針でやってきたということですね。

「1969年2月に日本とドイツがですね箱根で秘密会談をした。」こういう文章が残ってるんですね。ここにですね、

「我が国の外交政策ということで69年9月に核兵器については、NPT(核拡散防止条約)に参加すると否とに関わらず、

当面核兵器は保有しない政策にするが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに・・・」で、

そんなことが続いてまして、「経済的な利害特殊の計算に基づくものであるという趣旨を国民に啓発することとし、

将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し、無用の国内的混乱を避けるように配慮する」。

これ小出さん、つまり外交文章で難しく書いてますが、当面は持たないが、その能力は持っておくということを

言ってるわけですね。
そうです。ですから、「政策として持たない。国際的な利害特質の計算の上で判断するだけなのであって、

当面は持たないけれども、いつでも持てるように力を付けておけ」という文章ですね。

という事は、これ69年ですから、この方針があって核燃料サイクルが始まるわけですね。


まあ、日本は54年に一番初めの原子力予算というのが通ったわけですけれども、69年の外交政策委員会の報告より

ずっと前から、実はもう核兵器を作りたかったのです。で、その流れの中で今、西谷さんが取り上げて下さった

外務省の文章も作成されたし、あるいはドイツとの秘密会談なんていうのも行われたわけです。

これドイツと日本は、同じように戦争に負けて、日本はドイツに対して「おたくも大変やから核兵器作りたいでしょ

?うちも作りたいですわ」みたいな会談ですか?


はい、ぶっちゃけて言えばそういう会談です。ただドイツの方はビックリしたんですね。「

日本っていう国がそんなことを考えてたのか」と言って。

ドイツは戦争の反省があって、「ナチスドイツの反省があったから、もう持たない」と本心でも思ってたけど、

日本の場合は反省してないってことですよね?
そうですね。日本の場合には、「なにくそ。今度また二等国に落ちてしまったけど、一等国に這い上がるため

には何としても原爆を持ちたい。」と、日本は思ってドイツに働きかけたわけです。

なるほど。アメリカ・ロシア・イギリス・中国・フランスね。この5つが持って、日本は持てないのは二等国だと。

だから、ドイツも日本も同じような立場だから一緒にちょっと相談して作りませんか?」ということなんですね。


はい。そうやって持ちかけたのだということがNHKで放映されたのです。

これ、小出さんの資料の中に、朝日新聞の1992年11月「プルトニウムの蓄積とミサイルに転用できるロケット

技術が開発しておかなければならない」。これ、外務省幹部。これ、モロですね。


はい。実に的確で、これまでの日本の原子力開発というものがどう行われてきたのかということをほんとに

短い言葉で表してくれたと思います。

本音が出てると。これ、だからあれでしょ。プルトニウムを持つこととミサイルの開発があれば、

いつでも核兵器が作れるということですね?


そうです。その技術的なポテンシャル、力だけは持っておかなければいけいないということで日本が始まった

わけですし、外交官という人達はみんなそうやって思っていたということです。

あの例えばですね、この資料の最後に書いてあるんですが、「北朝鮮やイランがこの原子力を開発しようとすると、

これは核だ」と「日本やイスラエルがやれば原子力だ」と。これ、ダブルスタンダードですよね?


完璧なダブルスタンダードです。日本のマスコミが、その完璧なダブルスタンダードを昔もやっていたし、

現在でもやっていて、今はイランという国がウランの濃縮をやろうとしているのですが、それを日本のマスコミが

取り上げる時には必ず「核開発」と呼びます。

「北朝鮮とかイランは核開発してる。けしからん!」って言いますよね。


そうです。でも、イランにしても朝鮮民主主義人民共和国にしても「ウラン濃縮も原子炉も平和の目的のために

やってるんだ。それは国際的に認められた独立国の権利だ」と言っているわけですね。それでも日本のマスコミと

いうのは、イランや朝鮮民主主義人民共和国がウラン濃縮、あるいは原子力をやる時には、

「あいつら、核開発をしている悪い国だ」という風に必ず報道するわけですし、日本でウラン濃縮、あるいは

原子炉をやる時には、「原子力開発」と訳して、あたかも先進国としてすごい立派なことをしているかのように報道するのです。

北朝鮮のロケット=実質的ミサイル 日本のH2 イプシロンは平和的なロケット というマスコミの詭弁

英語にすればNuclear Development(ニュークリア・デベロップメント)ですから、同じ単語なのにイランがやれば「核開発」、

日本がやれば「原子力開発」。これ、ほんとになんか国民を騙してますよね。


はい。でも、そんなことたくさんあるわけで、先日も朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げようとして

ロケットを打ち上げた。きちんと国際機関 ICAO(イカオ、国際民間航空機関)という国際機関に通告してですね、

通告通りちゃんとやったわけですけれども。それを日本のマスコミが流す時には「実質的なミサイルを打ち上げた」と、

そういう報道になってしまうわけですね。一方、日本はH2ロケット、あるいは先日はイプシロンでしたけれども。

それを打ち上げる時には「平和的なロケットを打ち上げました」という、そんな報道になってしまうわけです

「あまりにも酷いやり方だな」と私は思います。


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抜粋終わり

天皇家の商品にすぎないのが、日本人。

まあ、天皇家の家畜が日本人・・・



天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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