こういう道もある。真似してできる事では無いが。でも道はどこにでもありえる。


より

上記文抜粋
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「金なし仕事なし友達なし」引きこもりでオタクの30歳日本人が「ルーマニア文学史」に名を刻んだワケ

日本どころか千葉の実家の子ども部屋からもほぼ出ない、映画オタクの済東鉄腸さん。彼は驚きの独学方法でルーマニア語を学び、ルーマニアで小説家デビューを果たし、この度『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)というエッセイも出した。なんでまたこんなものすごいことになったのか、ご本人にインタビュー!

◆鬱な気分を浄化してくれた、陰鬱ムードたっぷりのルーマニア映画

自らを「内向的な考えすぎ人間」という済東さんは、人とコミュニケーションを取るのが苦手。大学受験失敗、東日本大震災での放射能の恐怖、失恋、就活失敗などが重なり、2015年から引きこもりになった。

「金なし仕事なし友達なし。自己肯定力もなければ自尊心もない。外に出る気力もない。神経が崖っぷちでした」(済東鉄腸さん/以下同)

そんな心を唯一癒してくれたのが、パソコンやタブレットでの映画鑑賞。特に日本未公開の映画にハマり、マイナー映画を中心に映画批評を書くうちに、ある日ルーマニア映画に出会う。

「ルーマニアは貧困問題があったりして、人々は耐え忍んで生きている。抑圧に押しつぶされそうになりながら、でもその隙間からブワッと溢れる生命力のようなものもあるんです。そこにカタルシスを感じ、のめり込んでいきました」

◆自分の日常にルーマニアを根付かせてくれたFacebookの友人たち

ルーマニア文化を深く理解するためにもルーマニア語を学びたい。そう思った済東さんはまず参考書を探すのだが…。

「大きな書店の語学コーナーにも、ルーマニア語は“その他”の棚に少し置いてある程度で、使える本は2、3冊しかありませんでした」

そこで目をつけたのがFacebookだ。まずはルーマニア人コミュニティに登録し、そこを手がかりにして目ぼしいルーマニア人にガンガン友達リクエストを送った。

「東欧の人っていろんなところに移民してるので、繋がるための手段としてfacebookがめっちゃ使われてるんですよ。実際4000人とかに友達リクエストを送っていると、タイムラインがもうルーマニアだらけになるんです」

こうしてルーマニア・メタバースを作り、メッセンジャーでやりとりをして語学を学ぶうちに、親友と呼べる友達もできた。交流のなかには映画監督や文芸評論家、さらには作家も!

大ファンの映画監督や知り合いになった女性作家が来日した際には、東京まで会いに行った。とても引きこもりとは思えない行動力だ。

「普通の会話はキャッチボールみたいに瞬時に判断しなければいけないけど、俺はそういうのが本当に苦手で。でもルーマニアの人たちとのやりとりは主にメッセンジャーだから、どんなに短い文章でも、辞書を引きながらゆっくり考えて打つわけです。子どもの頃に身につけるべきだったコミュニケーション能力をSNSで培っていくうちに、成功体験みたいなものが少しずつ積み上がっていきました。そこで“ここで二の足を踏んだらダメだぞ”と思い、勢いで会いに行きました」

映画評で物語の書き方を学び、小説も書くようになっていた済東さんは、それをルーマニア語に翻訳してみようと考える。そして来日した女性作家、ラルーカ・ナジさんに「よかったら読んでほしい」と頼んだのだ。

彼女はその作品をルーマニアの文芸誌に送ると約束し、歯車が回り出す。のちに親友となるネット文芸誌の設立者からもFacebookを通して声がかかり、ルーマニアで文壇デビュー。そして遂には現地で発行された『ルーマニア文学現代史1990-2020』という本に、作家として名前が載るまでになった。

「もう本当に、自分の全くわかんないところで事態がめっちゃ進行してる。ルーマニア人にはよく“川端康成や三島由紀夫の国の人間がなぜルーマニア語で書くのか。わからない”と言われます。あと、インタビューのたびに村上春樹がめっちゃこすられる。外国語で作品を発表する人は確実にこすられるから、覚悟しておいてくださいと言わざるを得ない(笑)」

◆収入には結びつかないが、クソみたいな人生には決着をつけることができた

めでたく作家デビューを果たした済東さん。さぞかしルーマニア語はペラペラなのだろうと思いきや…。

「全然喋れません。ラルーカさんに会った時も、実は会話は英語でした。“書き”入魂!“聞く”と“話す”はもう捨てた」

というのも文字での交流がメインなので、耳から言葉を聞く機会がほとんどないのだ。

「それもまあ、別に悪くはないんじゃないかな」と当人はシレッとしているが、実はさらに大きな問題も。ルーマニアでは、作家は職業として成立しないという。

「出版界の規模が、ヨーロッパでいちばん小さいらしいです。そもそも自国の文化があまり好きじゃないから、海外作品ばかりが売れる。そこで儲かったお金で、慈善事業のようにルーマニア文学の本を出しています。なので作家はみんなデザイナーや学者など、別の職業を持っていて、作品は趣味で出しています」

それではいくら書いても収入に結びつかないが、それに関してのコメントは以下のとおり。

「なんか俺、お金が嫌い。お金がもういや」

説明しよう。困ったことに済東さんは、自分の作品の対価として原稿料が発生することが嫌でたまらないのだ。

「だから映画評でも、逃げるようにニカラグア映画を紹介したりしています。載せる媒体が無いような記事を書きたいという思いに突き動かされてしまって」

千葉の実家の子ども部屋暮らしは、お金が好きにならない限り終わらない。そんな済東さんは今、なぜか経済学を学んでいる。

「俺、すっごく虫が嫌いだったんですけど、最近理系の本も読むようになり、生態系を知ることで虫ってすごいんだなと思えるようになったんですよ。学ぶことで苦手じゃなくなったから、じゃあ、金についての学問を極めれば苦手意識が薄れるかなと」

そこからなんですね…。先は長そう。

「ただ、昔は親に対して“絶対こいつにずっと寄生してやる”ぐらいの気持ちだったんですけど、今回エッセイを出したことでとりあえず今までのクソみたいな人生に決着をつけ、スタートラインに立つことができたなと。友達に“記事とか本はあなたにとっての名刺なんだから、誇れるような名刺を書くんだぞ”って言われまして。名刺になるような本を出せたので、それが仕事に繋がっていけばいいのかなと思っています。今までが社会性がなさすぎた、あまりにも(笑)」

済東鉄腸 (サイトウ・テッチョウ) 1992年千葉県生まれ。映画痴れ者、映画ライター。大学時代から映画評論を書き続け、『キネマ旬報』などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかに東欧映画にのめり込む。ルーマニア語で小説執筆や詩作を行うようになり、現地では一風変わった日本人作家として認められている。コロナ禍に腸の難病であるクローン病を発症。現在は闘病を続けながら、noteでエッセイや自作小説を精力的に更新している。映画関連ではオンライン映画雑誌〈鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!〉を運営。

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抜粋終わり

以前によくあげていた春秋鄭の「裨ジン」 参考 

>彼は騒がしい城内ではその知謀を発揮できない。鄭の執政子産は、一つ車に同乗し、郊外に出掛けて裨ジンと語り合う。裨ジンは静かな郊外ではいかんなく才能を発揮し、ことの善し悪しを的確に判断したそうです。

それを想起する。

発達障害の気を感じる人だが、まあ「人間青山いたるところにあり」ってやつかな。

この人のマネをしても、うまく行くとは限らない。

でも「決められた道」を外れても、どこかにまだ道はある。まあ「決められた道」で、いじめ自殺・精神疾患とか、学校・職場でなるような修羅と鬼畜の国が日本ですから。

この動画も、なんか思い出した。



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