多分、欧米と天皇家とそのセレブが食っていた。

より

上記文抜粋
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ウクライナにおける人身売買:違法な臓器狩り
<記事原文 寺島先生推薦>

Human Trafficking in Ukraine: Illegal Organ Harvest

筆者:デボラ・L・アームストロング(Deborah L.Armstrong)

https://medium.com/@deborahlarmstrong

出典:INTERNATIONALIST 360°

2023年1月10日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年4月2日

「毎日私たちはフランケンシュタインの奴隷のように働いていました。」

 人身売買ほど恐ろしいものは、この世界にはない。人身売買は世界的な問題だが、一部の報道によると、ウクライナは性売買や違法な臓器狩りのために人々を拉致・誘拐する最悪の温床の1つだという。米国国務省でさえ、「ウクライナ政府は人身売買撤廃のための最低基準を十分には満たしていない」と認めている。もっとも、キエフは「そのための、相当な努力はしている」と主張してはいるが。
 
 ウィキペディアには、「ウクライナは、商業的性的搾取や強制労働を目的として国際的に取引される男性や女性、そして子供の供給源、通過国、そして目的地である」とまで書かれているが、闇市場の臓器狩りの恐ろしい世界については掘り下げられていない。

 しかし、この話題はロシアのメディアでは深く取り上げられており、少なくとも2014年以降、いわゆる「闇移植医」の活動、つまり、致命傷を負ったウクライナ兵や、同意を得たかどうかわからない一般市民から臓器を摘出する外国人医師について報じられている。

 マイダン・クーデター以前には、ウクライナでの違法な臓器狩りのニュースは西側の主流メディアに流れたが、近年はこの恐怖を「ロシアの偽情報」として片付け、主流メディアはこの問題に関してほとんど沈黙をしたままだ。ただ、主流メディアもウクライナ女性の性売買についてはしっかり報道している。しかし、その責任はウクライナへのロシア侵攻に、巧妙に押し付けられている。

 この一連の調査報道では、ウクライナの人身売買についてロシアのメディアが何を報道したかを探ることになるが、それが真実なのか、あるいは西側メディアが主張するような単なる「プロパガンダ」なのか、は読者自身で判断いただきたい。

ウクライナにおける臓器狩り---「命の贈り物*」なのか、それとも一攫千金策なのか?
*訳注:臓器移植の別称

 2022年12月初旬、ルガンスク人民共和国(LPR)ルガンスク警察のヴィタリー・キセレフ大佐がが、ロシアのマスコミに対して語ったところによると、激しい戦闘が続いているウクライナのバフムート地方にEUからの闇取引内臓摘出人が到着した。バフムートは激戦地域であり、それゆえ、致命傷を負った兵士たちがいたのだ。

 キセレフはGazeta.ruに対し次のように語った:LPRの調査によると、これら内臓摘出人のうち少なくとも1人、エリザベス・デ・ブリュックというオランダ人医師は、彼女配下のメンバーと一緒に、以前ウクライナで、2014年と2015年に、ウクライナ兵と民間人から同意なしに臓器を摘出している。

 キセレフのGazeta.ruへの発言は、私のYouTubeチャンネルで英語字幕付きで見ることができる:

 キセレフによると、デ・ブリュックを含む複数の人物の名前は、2015年の告白で、元ウクライナ治安維持局(SBU)上級職員から当局に伝えられたという。この身元不明の元SBU男性上級職員は、デ・ブリュックとそのグループが、兵士だけでなく、命に別状がない傷の民間人からも同意なしに臓器を摘出するのを目撃したと語っている。彼が口にした他の名前には、ジョン・ウェスレー、ヘンリー・ローゼルフェルド、そしてウクライナのPMC「モーツァルト」グループの創設者とされるアンドリュー・ミルバーンが含まれている。

 告白自体は字幕なしのロシア語なので、その要約をここにしておく。映像からの引用の翻訳も加えておく。

 身元不明の元SBU上級職員の発言:
2014年11月、彼と他の2人のSBUメンバーは「対テロ作戦地域」(ATO)に派遣され、「緊急チーム」と呼ばれる特殊医療グループで活動した。彼と同僚たちは、当時のウクライナ東部、ドネツク州北部の都市、クラマトルスク(当時は東ウクライナだったところ)で特別な医療訓練を受けた。訓練後、SBU上級職員たちは医療グループに加わり、近代的な装備や武器が与えられた。

 身元不明の元SBU上級職員の発言:
ミシェンコ大佐が医療グループの指示者だった。大佐の指示は、死にかけた兵士が家族を経済的に助けるために臓器を提供したいと言った場合、執刀する医師たちを助け、保護するのが彼らの任務であり、これは世界中で受け入れられているやり方だ、という内容だった。

 身元不明の元SBU上級職員の発言:
「私たちの同僚であるゲンナジー(ゲットマン)は、重傷者から臓器を摘出するための同意を得る役割を担っていたのです。彼らを保護するのが私の役目でした。私は1人当たり170米ドルを受け取りました。まず、負傷者をクラマトルスクとセベロドネツクに作られた特別な医療センターに送りました。目、皮膚、骨など、すべての臓器が摘出されました。すべて外国に送りました。彼らの家族にいくら支払われたのか、あるいは一体支払われたのかどうか、まったくわかりません」。

 2015年1月、身元不明のSBU上級職員は、エリザベス・デ・ブリュックというプロの「移植学者」がオランダからやってきて一緒に働くことになったと言う。彼は彼女の書類を調べ、それで彼女の本名を知ったのだと言っている。そのオランダ人女性は、兵士の同意の有無にかかわらず、臓器摘出を医師に指示し、彼らの作業方式を完全に変えたという。臓器を取り出し、梱包し、クラマトルスクに送るまで、わずか7~10分しかかからなかったという。

まあ、ファシストというのは、常に自分の仕事効率性を誇りにしてきたのではあるが・・・。

 元SBU上級職員はさらに、キエフの民族主義的民兵と、家族や隣人を守るために戦ういわゆる「ロシアの分離主義者」との間で戦闘が激しくなったデバルツェボでは、特に仕事が大変だった、と言葉を続けた。ある日には、脾臓や肝臓とともに23組の腎臓が摘出されたほど、戦闘は激しかった。匿名のこの上級職員によれば、死傷した兵士のほとんどは第128山岳突撃旅団から来たものだったという。臓器が摘出された遺体は、別の特殊部隊によってアルテモフスク(ウクライナ語ではバフムートと呼ばれる)方面の埋葬地に運ばれた。臓器の多くは「デバルツェボの大釜」*から来たもので、彼のチームはもちろん、将軍たちもしっかり稼いでいたという。
*訳注:最激戦地になったところ

 2015年2月23日、身元不明のSBU元上級職員とそのチームは、クラマトルスクに戻った。彼は英語ができ、エリザベス(「イライザ」または「エルザ」とも呼ばれる)が、彼女を褒め、仕事の質を上げるよう求めていた「上司」と話しているのを耳にしたと彼は言う。

 彼女は「はい、サンドラ」と答えた。無名の、取次業者は、「サンドラ」がジョージアの元大統領でウクライナの行政改革委員会のトップであるミヘイル・サアカシヴィリの妻(サンドラ・ローロフス、オランダ出身)であり、彼女がこの任務のリーダーでまとめ役だったと考えている。

 元SBU上級職員は、ミヘイル・サアカシュヴィリがATOを視察してから「すべてが変わった」と言う。彼はジョージア元指導者に同行することになり、この作戦を賞賛し、「商品」と呼ぶ臓器の量と質を増やせば、もっと支払うと言ったという。サアカシュヴィリは、臓器は亡くなった人の家族や、ヨーロッパやアメリカで緊急に移植を待っている人たちを助けている、と話したようだ。

 しかし、元SBU上級職員によれば、その後すべてが地獄だったという。埋葬された兵士は「行方不明」とされ、その家族もお金を受け取っていなかった。そして、停戦が宣言された後は、死者もそれほど多くはなくなってしまった。しかし、サンドラは電話をかけ続け、さらなる臓器を要求した。

 ウクライナがルガンスク地方の都市ポパスナヤ(ウクライナ語ではポパスナという)を砲撃していたとき、意識を失った男性とその12歳の娘から腎臓と脾臓を摘出したと彼は言っている。男のコートのポケットにあったパスポートによると、その名字はリャシェンコだった。母親は足に傷を負っていたが、病院に運ばれた時、臓器が摘出された。彼は、3人とも砲撃の際に死亡したと公式に発表されているが、それが 「助ける」立場にいる人間たちによる殺人であることを知った。

 これ以上耐えられないので、2015年6月4日に除隊願を提出した。ミシェンコ大佐は、まず成し遂げるべき特別任務があり、それが終われば、その元SBU上級職員には休暇が与えられ、昇給して少佐に昇進することになると言った。その「特別任務」とは、バフムートでの遺体の掘り起こしであることが判明した。彼は、あるグループと協力して132体の遺体を掘り起こしたという。死体がどこに運ばれたかは知らない。6月11日、彼はアレクサンダー・ラデツキー将軍に呼び出され、将軍の執務室を出た後、逮捕された。

 「将軍のオフィスを出たとたん、私は拘束され、階下に連れて行かれました。彼らは文書偽造で私を逮捕する命令書を持っていて、精神病院での治療コースのための令状に署名しなければ刑務所に送るのだ、と言いました。私は、明日この手続きに来ると言って、その場で300米ドルと1600UAH(ウクライナ・フリヴニャ)で買収し、翌日さらに1人1000ドル支払うことを約束しました。彼らは私を家に連れて行ったので、私は同じ日にそれぞれ1000ドル余分に支払いました。」

 お金を払った後、逃げて隠れたと、この正体不明の男は言っている。彼はドンバス人民共和国の当局に情報とビデオ記録を提供した。ビデオには、臓器摘出、手術室、掘り起こしの映像が含まれていた。また、ポーランド民主共和国のチャソフ・ヤールでは、97人が埋葬され、そのうち20人は子どもを含む民間人だったという埋葬地を見せられたという。そして、ウグレゴルスクでは、30人のAFU兵士が埋葬された。ウクライナでの違法な臓器狩り、ウクライナ政府の関与、そしてサアカシュヴィリ夫妻の行動については、ウィキリークスに連絡して伝えたこともあると言っている。

 「私が罰に値することは分かっています。しかし、私は引き下がらず、戦い続けます。この事件は終わっていません。私の同僚であるゲンナジー・ゲットマン(同意書の責任者)は特別医療班の班長に任命されましたが、殺人はまだ続いています。彼らを止めるために力を貸してください!」と彼は話を締めくくった。

 ウクライナで違法な臓器狩りを目撃したと主張するのは、この元SBU上級職員だけではない。シリア出身の医学生は、自分も海外から現地に派遣された臓器摘出チームの一員だったと言っている。

 同じく姓名が伏せられたこのシリア出身の医学生は、2009年に医学を学ぶために米国に渡ったところから話を始めたという。2013年に学部を卒業した後、医学部への入学を計画したが、医学部入学前試験に失敗した。当時、シリアでは情勢不安が高まっており、彼の両親は経済的に彼を支えることができなくなった。そこで、就職しようとしたのだが、就労ビザがなかったため、さらなる問題にぶつかった。もし就労ビザを取得できなければ、学生ビザが切れる2013年末には米国を離れざるを得なくなる。

 彼の証言はここで聞くことができる。ひどく訛った英語で、ウクライナ語の字幕付きだ。同様に、以下に要約しておく。

 2013年8月、このシリア人留学生は、就職と就労ビザの取得を手伝ってくれるという男性に声をかけられたという。二人は公園へ散歩に行き、話をした。その男性は、他国に行く「平和維持軍」があり、移植外科医を含む医師を必要としているのだ、と言った。

 医学部進学のための研修を終えたばかりということもあり、始めは断った。しかし、これは「政府の内部命令」であり、協力すれば、必要な書類のコピーと3カ月間の研修が受けられ、海外から帰国すれば、就労ビザも与えられ、銀行口座にお金も振り込まれると告げられた。

 自分で学費を払えるという期待に誘われて、2013年、ウクライナに行く「平和維持軍」に参加することにした。シリアの学校時代にロシア語を学んでいたこともあり、理にかなった選択と思えた。

 家族は、彼が普通の医者として「平和維持軍」の一員としてウクライナに行ったと思っていたし、ニュースでも同じようなことが伝えられた。当時から臓器移植がすでにごく普通の手術であること、世界的にドナー臓器の不足が深刻であることは知っていたという。約束通り、彼は特別な研修コースと、「ジャーナリスト」であることを示す記者証のような書類を与えられた。ウクライナでの滞在は1年だけで、その後はアメリカへ戻って勉強を続ける予定だった。

 彼と「平和維持軍」の他のメンバーは、キエフの米国大使館近くのアパートに住まいを与えられた。週に1度、ウクライナ語と英語を話す私服の「見知らぬ」人たちが訪ねてきた。彼らは、「近々、重病人の治療のために臓器を摘出する手術をすることになる。その人たちは兵士かもしれないし、民間人かもしれない。ここにいる医師たちの手助けが必要で、それは人命救助のためだ」と言われた。

 毎週、彼らはキエフの郊外にある小さな診療所に連れて行かれた。看板もなく、警備員が建物の中に案内してくれた。すべてが緑色に塗られていたと、このシリア人医学生は言った。彼らはそこで交代で手術を行い、時にはそこで寝た。「安宿のような部屋、兵士が使う二段ベッドのような」部屋が与えられた。

 2014年5月1日、早朝に起こされ、2つの部隊に分かれ、荷物をまとめるように言われるまでは、こんな感じだった。「緊急連絡」があり、それに対応する必要があると知らされ、その日の夕方にキエフを出発し、日暮れにはオデッサに到着した。

 天災や戦争が起きたときのような緊急作戦を行うために、2つの移動式複合施設が設置されていた。彼の所属する医師団は郊外に、別の医師団は街の中心部に配置された。オデッサの街は平穏で静かで、災難に備える理由もなさそうなので、彼は不思議に思った。

 そして5月2日、全員が再び早朝に起こされ、臓器を受け取り、どこかで移植するための準備をするように言われた。彼のグループは、オデッサの市街地で最初のグループから箱を受け取り、輸送の準備をするように指示された。

 シリア医学生の発言:その日、自分たちは機関銃の照準が当てられ、軍人たちの叫び声の下で、「過酷な労働者」のように働いた。「私たちは、初めて命の危険を感じ、現実に起こっていることに重大な疑念を抱いたのです。私は、1日で、これまで私が受けた外科手術の訓練を全部合わせても追いつかないほど多くの臓器を見たのです。」

 もちろん、この日、ウクライナの「ライト・セクトール(右派セクター)」グループの暴徒化したオルトライト民族主義者とハリコフの狂ったサッカーファンが、ロシア語を話すウクライナ人を中心とした数十人を労働組合ビル内に閉じ込めた大虐殺について、今では知っています。そのうちの少なくとも48人が死亡し、300人以上が負傷しました。ビルに火が放たれた後、生きたまま焼かれた人もいれば、炎から逃れようとしたときに撃たれたり殴られたりした人もいます。さらに他の人々は、建物の中でレイプされ、殺されました。
 
 しかし、その日いた場所からでは、このシリアの医学生は、臓器がどこから来るのか、なぜこんなにたくさんあるのか、理解できなかった。ここいた医師たちは作業中、ニュースを見ることができなかった。しかし、昼過ぎになると、同僚の1人が「町で大虐殺があった」と言ったのだ。戦争か?彼にはわからなかった。医師たちは、臓器を処理することに集中した。臓器を適切に取り出し、移植や輸送の準備をするのだ。

 彼らは急かされ、常に(そして文字通り)銃口を向けられてのことだった。なぜ皆が急いでいたかは明らかだったという。臓器摘出には決まった手順があることも知っていた。腎臓は、臨床的な死がはっきりしてから30分経過しなければ摘出できないことになっている。しかし、腎臓の摘出は早ければ早いほど移植に役立つ上、まだ生きている遺体から摘出した腎臓が最高の成功確率を持つ。

 手術室が用意された。患者の乳房、腹部、鼠径部にヨウ素を塗った。そして、ドナーの腹部を十字に切開し、予定通り臓器を摘出した。

 オデッサでの悪夢のような出来事の後、このシリア人医学生は、すべてが自分の考えていたのとはまったく違うことに気づき始めた。彼や同僚たちは、現場で医師として働くと聞かされていたが、そうではなく、病理学者として、死んだ兵士や民間人の死体を解剖していたのだ。

 彼は、軍の重要人物であるナリヴァイチェンコの名を思い出す。兵士たちが臓器の入った箱を車に積んでいたとき、2人の兵士が誤ってカートを落としてしまったという。ひとりの将校が彼らを蹴飛ばし、「1箱でもダメにしたら、お前たちの腎臓をナリヴァイチェンコその人に渡すことになるぞ!」と怒鳴った。

 悪夢はオデッサのあとも続いた。5月3日の朝、彼のグループは別の大きな集落に到着し、3台の車列は夜も都市間を移動し続けた。スラビャンスク、クラマトルスク。そして毎日、同じことを繰り返していた。

 「毎日、私たちはフランケンシュタインの奴隷のように働き、臓器を切ったり、取り出したりしました。それは兵士の死体でした。町や村の路上にあったものです。毎日、血にまみれた手。現実には焼けつくような世界でした。朝から晩まで、切り刻まれた死体、男女の顔には、恐怖にひきつった苦しみの表情が浮かんでいました」とシリア人医学生は語っている。

 しかし、それは兵士の死体だけではなかったと彼は回想する。きれいに手入れされた遺体が届くこともあった。一般市民だ。一度だけ撃たれていることが多い。頭部を。

 「これは医者が目にする最悪の光景だと思いました。しかし、この先には本当の悪夢が待っていたのです。私たちは、人間の臓器を採取して運ぶベルト・コンベアー状態に置かれていたのです」とシリア人医学生は続けた。

 ドネツクに来て、自分が巨大な機械の1つの歯車に過ぎないことを彼は悟った。「もう、「計画」を遂行するしかなかったのです。毎日、燃え盛る街路上で見つけなければならないもののリストが渡されました。このリストの中には、子供や妊婦も含まれていました。「計画」を果たすことを拒否した者は殴られました。言うとおりにしなければ、自分がドナーになるだけだ、と脅されました」。

 もう1つのグループでは、1週間の間に2人が行方不明になった。2人は街から戻って来なかった。あるいは、そう聞かされた。

 「ドネツクでは「生体臓器移植のための研究所」に連れてゆかれた。実際は、20平方メートルの怖い部屋だった。どこかの建物の地下にあった。アンモニアの機械や、調剤や器具の入った鉄の棚を見せられた。地下室は日当たりが悪く、湿度が高く、そして寒かった。私たちは、汚れた水がしみ込んだ板の上を歩いた。私たちが自由に使える木製の手術台は3台あった。私たちが到着する前に作られたことは明らかだった。手術は普通のランプの明かりの下で行った。機材は何もない。ディーゼル発電機がずっと煙を上げながら、うなり声をあげていた。重機が「研究所」の地下の窓から絶えず入ってきたり、銃声や爆発音が聞こえてきた。私たちは機関銃を持った4人の男たちに守られていた。私たちの地下室は、生きた臓器を集めた本物の生物学的な貯蔵庫であった。私たちは夏の間、その地下室で生活していた」。

 生活は焦点のないものになった。医師たちはらは軍からの訪問の合間を縫って働き、眠った。戦場から遺体を回収する任務にも駆り出された。軍から秘密にされている任務にも駆り出された。

 そして、2014年8月、「なんとかこの地獄から脱出することができました」。新しい臓器を手に入れるために、村から市内に戻ってきました。私たちの車には5人が乗っていました。運転手、警備員2人、そして私たち医師2人です」。車内には臓器が入った12個の箱もあった。「車で検問所まで行きました。少し前まで、この検問所は「私たちのもの」だったのです」。

 しかし、この検問所は、ウクライナ民兵と戦う反政府軍部隊、いわゆる「ロシア分離主義者」によって占拠されていたのだ。

「私たちがそれに気づいたのは、車が私たちに向かって出てきて、ライトを点滅させ始めたときでした。私たちの運転手はいち早く事態を把握し、道路を右折しようとしました」。

 兵士たちは銃撃を開始し、彼らの車を損傷させた。彼らは森の近くで車を止め、逃げようとしたが、2人のSBUの警備員は12個の箱をすべて持ってくるよう要求した。

 「オデッサで感じた脅威を再び感じました。臓器が届かなければ、自分たちがすべての臓器のドナーになるという恐怖。ナリヴァイチェンコとその傭兵は1時間以内に私たちを見つけ、逃げようとすればその場で殺されるという恐怖です」。

 兵士たちはどうにか12個の箱のすべてを確保し、茂みの中に逃げ込んだ。シリア人医学生はその後のことをよく覚えていないという。銃撃戦があり、近くで爆発があったため、意識を失ったようでした。「そして正気に戻ったときにはもう暗くなっていました。私はひと箱も持っていませんでした。私は両手を上げて道路に出ました。手にはジャーナリストの書類を持っていました。雇用主が、これがあれば外国での安全を保証される、と言っていたものです」とシリア人医学生は語っている。

 他に選択肢はない、と彼は感じた。彼は、「ジャーナリスト」という資格があれば何とか無傷で通れると思い、検問所に向かって歩いた。すると、彼らは彼を尋問し、身柄を拘束した。制服に記章がなかったため、彼らが何者なのか、未だにわからないという。しかし、彼らは彼をドネツクに送り、2日間尋問した後、他のジャーナリストと一緒の房に入れた。「彼は本物のジャーナリストであるということになり、ドネツクに1カ月滞在していた」。

 3日後、このシリア人医学生とジャーナリストの同房者は、国際機関に引き渡された。その後、彼は帰国の途に就いた。

 今、彼は次のように語っている:「私は安全な場所にいます。私と一緒に仕事をした多くの仲間もそうであることを願っています。しかし、私たちは皆、この戦争を忘れないでしょう。非人間的で残忍な戦争です。私たちの人生を永遠に変えてしまったものです。」

 もう一つ、2022年12月14日に最初に投稿された短い動画があるが、これは匿名の情報筋が撮影したとされるもので、ニコラエフの死体安置所の「臓器販売」に行き、息子のために骨髄を探していると伝えたところ、主任医師(おそらく動画で話している男性)が価格表について「問題なく」話し合い、こうした注文に関する特殊性を説明したと伝えている。

 私のチャンネルで、ロシア語、英語字幕付きで見ることができる。

 カメラの後ろの人は、どんなオプションがあるのか聞いている。

 「さて、いいですか。さまざまな価格があります。その中で一番喜ばれるのは、60,000ドルくらいです」と、もう一人の、画面には顔を出していない男が答えている。

 その男はUSドルでの価格を提示している。30,000ドルや25,000ドルという選択肢もあるが、「すべては、いわばドナー自身がどんな状態かで決まります」。

 「どうして、そんな大きな差が出るのだ?」とカメラの後ろの男が尋ねている。

 「まあ、言ったように、すべてドナーがどんな状態か、なのです。その損傷状態にかかっているのです」と、もう一人の男が答えている。

 戦闘によるダメージかな、たぶん?「さらに、運搬中の臓器は、言ってみれば破損し易いので、輸送中に価格が変わる可能性があります」と彼は続ける。

 カメラマンが尋ねる、「どんな種類の損傷?」

 「まあ、たいしたものではありません。おそらく音響的な衝撃です」ともう一人の男が答える。手榴弾や大砲の爆発のようなものか? 「お見せしよう」と彼は言うが、映像は終わってしまった。

 この映像の続きがどこかにあるのかどうか、私は知らない。しかし、この映像がニコラエフにいる医師の実際の記録であるとすれば、他の2人の匿名情報源が自白で語ったことの多くを裏付け、ウクライナで違法な臓器狩りが続いていることを明らかにするものである。

 こんな動画は信用できるのか? それは、ご自身で判断するしかない。しかし、これは氷山の一角に過ぎず、この調査シリーズの第2部では、さらに多くのことが明らかにされることになっている。


2007年、闇市場における臓器価格の内訳。写真 :ACAMS Today


翻訳にご協力いただいたLilya Takumbetova氏に感謝します。

デボラ・アームストロングは現在、ロシアを中心とした地政学について執筆している。以前は米国の地方テレビニュースに携わり、2つの地方エミー賞を受賞した。1990年代前半には、ソビエト連邦の末期に滞在し、レニングラードテレビでテレビコンサルタントとして活躍した。

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抜粋終わり

きっと、西欧の王侯貴族やその番頭の天皇家のご要望の「臓器」なり狩っているのでしょうな。

もっというと、奴らそれを食っているだろう。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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