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公衆の面前で罵倒されたら、罵倒した人を殴るべきである。夏侯惇は殺したぞ。


より

上記文抜粋
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日本の若者における自尊感情/ Self-esteem among Japanese Youth(1)

下記の本に、こうあります。(pp.227-8、カラーフォントは引用者による)
『ぼくに方程式を教えてください ー少年院の数学教室』集英社新書2022年3月
高橋一雄、瀬山士郎、村尾博司共著

入院したての彼らに共通した特徴として、自尊感情と自己効力感の低さが挙げられます。
 まず、自尊感情ですが、自分のよいところも悪いところもあるがままに受け入れ、自分を大切な存在として肯定できる感情です。言い換えれば、無理なく自然に「このままでいい」と思える感情です。実際の少年たちは、前述したような虐待や貧困などの家庭の問題を背景に、果たしてこの世に生まれてきてよかったのだろうか、と常に不安が頭をよぎります。そして、絶えず足元がぐらつき、あるがままの自分を肯定できない自尊感情の低さがあるのです。
 つぎに、自己効力感ですが、他者から褒められたり、認められたり、成功体験を積んだりすることによって、「自信がある」という感情です。言い換えれば、物事に挑戦する際のやればできる感です。現実の少年たちは、学校生活においては、早々と学力面で壁にぶつかり、ダメだしを受け続ける。「どうせバカだから、努力しても無理」と投げやりになって取り組む前から諦め、自己効力感を持ちえないのです。
 しかし、本気で向き合いながら丸ごと受け止めてくれる教官とのぶつかり合いの中で、自尊感情が育ってきます。そして、規則正しい生活のもと、当り前のことをコツコツ努力して得られる小さな成功体験。それを重ねることで、学ぶ意欲が回復し、自己効力感も高めることができるのです。自立への道のりは、こうした自尊感情と自己効力感の獲得が生き直しの起点となります。

上記の文を眼にした時、この二つの感情、「自尊感情 self-esteem」と「自己効力感 self-efficacy」、が低いのは、少年院というレアケースだけではない、かもしれない、と思ってしまいました。なぜなら、近年、自己肯定感を持てない若者たち、という話題を眼にすることが多いという印象があるからです。まず、ひとつデータを出します。

1)特集1 日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~|令和元年版子供・若者白書(概要版) - 内閣府
 この白書の、図表3 自分自身に満足している、を引用します。

白書によるコメントはこうです。(カラーフォントは引用者)

また、日本の若者で、自分自身のイメージの中で、「自分自身に満足している」と「自分には長所があると感じている」に「そう思う」又は「どちらかといえばそう思う」と回答した者の割合は、それぞれ45.1%と62.3%であったが、この割合はいずれも同様の回答をした諸外国の若者の割合と比べて低かった。このうち、日本の若者で、「自分には長所があると感じている」に「そう思う」又は「どちらかといえばそう思う」と回答した者の割合は、平成25年度の調査時よりも6.6ポイント低かった。(図表3、図表4)
このように、日本の若者は、諸外国の若者と比べて、自分自身に満足していたり、自分に長所があると感じていたりする者の割合が最も低く、また、自分に長所があると感じている者の割合は平成25年度の調査時より低下していた。

こういうデータを見ると、何か日本の若者が皆、自尊感情が低い、うつむき加減の人生なのか、という気分になってしまいます。頭に血が上りやすい方なら、「学校が悪い」「教師が悪い」と言い出しかねません。しかし、「待てよ」とも思います。なぜなら、下記のような調査もあるからです。二つめの資料を引用します。

2)榊原洋一ほか、研究論文「アジアにおける子どもの自尊感情の国際比較」 PDFでネット上からDL可能

詳しくは、本論文を一瞥して頂きたいのですが、結論を要約しますと、4点です。
1.自尊感情には文化的要因が影響する
2.ヨーロッパの子どもとの比較は、ヨーロッパで開発された評定尺度が採用されていて、文化的差異が測定結果の差となった可能性がある
3.アジアの子どもとの比較で、低い自尊感情が日本に特異的な特性か検証してみなければならない
4.日本、ベトナム、タイの5,6歳児を対象とした、子ども自身の自己認知から測定できるpictorial scale で比較すると、3か国間で有意な差があり、、スコアは高いほうから、 ベトナム > 日本 >タイ 、の順であり、日本は最下位ではなかった

この考察をみて、私はハッとしました。もし、上記の諸国に、中国と韓国の子どもたちを加えれば、恐らくスコアは、 中国>韓国>ベトナム>日本>タイ、 となると私なら予想します。これは何の順序でしょうか。

それは、儒教化、仏教化の程度と相関すると考えます。
 Max Weberが、「儒教とピューリタニズム」で比較したように、儒教は強烈な世俗内合理主義/人間中心主義/主意主義で、仏教は徹底した現世拒否/厭世主義/他力本願です。ベトナムはフランスの植民地になるまでは儒教国でした。タイは今でも敬虔な仏教国です。日本は、徳川270年間、仏教が事実上の国教でした。

人々が、「世界 Welt」とどう向き合うか、どのように「現実 reality」をとらえ、それにどのようにアプローチするか、宗教社会学的、歴史社会学的観点も必要ではないかと愚考する次第です。もちろん、現代の各国の教育制度が影響しない訳もないので、複合的観点が必要で、安易な結論に飛びつくのは早計である、ということです。

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抜粋終わり


より

上記文抜粋
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たまたま、本日見かけたネット記事に下記のようなものがありました。

中国ではありえない!?日本でまだ「当たり前」に行なわれていること - TRiP EDiTOR

これも、社会が持つ「教育」機能と言えるでしょう。中国人が一見「自信満々」に見えてしまう理由の一端でもあります。

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抜粋終わり


上記文抜粋
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中国ではありえない!?日本でまだ「当たり前」に行なわれていること

国が違えば文化も異なるのは当たり前のこと。海外では「良し」とされていることのなかには、日本では「やってはいけないこと」であったり、その逆も然り。

それは日本から距離的に近い国であっても、例外ではありません。例えば、中国では人前で「あること」をするのは絶対にダメなのだとか。そこで今回は実際に中国出身の方に話を聞き、日本とは違う中国の当たり前について教えてもらいました。

中国では「人前で叱る」のは絶対にダメ!

学校や会社などで、何か問題のあることをしてしまったり、ミスをしてしまったりしたとしましょう。その際、注意されるときもあるはず。

例えば、学生時代に授業に遅刻してしまったら、先生から遅れたことに対して注意されますよね。ときには叱られることもあるかもしれません。

筆者も小学生のとき、宿題を忘れて担任の先生に怒られたことがありました。クラスメイトの前で叱られたので、少し恥ずかしかったことを覚えています。

しかし中国では、人前で叱ることはやってはいけない行為のひとつとされているのだとか。

「中国では、会社内などで人が見ている場所で叱責することは絶対にやってはいけません。日本と違いメンツを非常に大切にしており、人前で怒ることはそのメンツを潰すことになるためです」(中国出身)

「日本の会社に入った時、上司が人前で部下を叱っているシーンを見てびっくりしました。中国では人前で叱ってはいけないので。人前で叱ることはまずないですね…」(中国出身)

「人前で叱ることはタブーです。もし叱責された場合は抗議しますし、感情的にみんなの前で怒ることはありえない行為のひとつです」(中国出身)

日本でもハラスメントの観点も含めて、相手の自尊心を傷つける恐れがあるため、人前で叱ることはよくないとされています。何か問題等が発生した際は、その場合によって個別の指導を行うなど、適切な方法が求められています。

とはいえ、日本ではまだ改善されているとはいえず、来日した際に飲食店など客前でスタッフを叱る人を目撃してショックを受けた中国出身者も多いようです。

ちなみに中国だけでなく、アジア圏のいくつかの地域でも同じように人前での叱責はやってはいけない行為のひとつ。理由は中国と同じく、その人のメンツを潰してしまう可能性があるため。もちろんハラスメントの観点からもタブーとされていますが、メンツを大事にする国だからこそのNG行為なのかもしれませんね。

このように距離的に近く、同じアジア圏でも「当たり前」は異なります。ほかにも私たち日本人が知らない文化はたくさん隠されているはず。

そして文化を知ることで、理解が深まり、新しい視点も得ることができます。これからも知られざる文化を探していきたいですね。

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抜粋終わり

会社内などで人が見ている場所で叱責することは絶対にやってはいけません。日本と違いメンツを非常に大切にしており、人前で怒ることはそのメンツを潰すことになるためです

もっと形を変えて言えば、「恥さらしを意図的にさせる。意図的に人を辱める」てことが、禁忌ということ。

これはちょうど「いじめ」でよく行われていること。

なので、禁忌なのはわかる。三国志の猛将の夏侯惇は自分の儒学の師匠を馬鹿にされたので、侮辱した人を殺したぞ。


公衆の面前で罵倒をする・・てのはどうも戦前・戦中の軍隊の風習で、それが戦後に一般社会にまで伝播した面が強いみたい。



より

上記文抜粋
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他のMLにて、下記の情報をご教示頂きました。

中華人民共和国憲法第38条

中華人民共和国公民の人格の尊厳は、侵されない。
 いかなる方法にせよ、公民を侮辱、誹謗または誣告陥害
 することは、これを禁止する。

中国人においては、「面子」は Human Dignity の基本中の基本であり、人倫の原理なのかもしれません。

かつての「文革」での三角帽子を被らせての吊し上げ、はその原則を公然と踏みにじった空前の暴挙だったため、そういったことへの公法的安全装置の意味もあるような気もします。

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抜粋終わり

> 中華人民共和国公民の人格の尊厳は、侵されない。
 いかなる方法にせよ、公民を侮辱、誹謗または誣告陥害
 することは、これを禁止する。

日本国憲法でもないからね・・・・

まあ、天皇と言わんでも、「公衆の面前で罵倒して、いじめて殺しても、無問題」ってカルト国家です。

まあ、天皇のおかげです、人倫も尊厳も、日本人にはありません。

天皇家を殺し尽くそう 日本人を守ろう

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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