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観想・観念の大事さとか。


上記文抜粋
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高野山から出ている

青い表紙の

仏前勤行次第は

以前は赤い表紙で

南無大師遍照金剛のあと

南無阿弥陀仏

と唱えるよう

次第されていました

高野山へお参りする

団体旅行客は

東北や北陸の

門徒さんが

非常に多く

一生に一度は

高野山参りがしたい

と願う人たちのお参りで

高野山は賑わっていました

阿弥陀三部経を読むと

極楽浄土の様子はもちろん

いくつかの観法が

説かれていて

「念仏」とは

道場観以上の

広大な瞑想をトレーニングして

仏身観は

細部に至るまで

丁寧にイメージします

眷属の25菩薩衆も

一々に想うのです

密教の修法こそが

最高だとか

後期密教こそが

無上瑜伽だと

思って

初歩の顕教すら

知らないようでは

何も解っていないのと

同じです

本来の念仏とは

かなり高度な

テクニックを駆使して

瞑想の三昧に入るのです

次第も聖教も

護摩壇も

霊験ある仏像すらも

すべて無くしてしまって

最期には無一物になって

念仏三昧に浸りながら

小さなお寺で

果てたいものです

いち高野聖となって

僧位僧階も求めず

粗末な袈裟を纏って

静かに暮らしたいものです


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抜粋終わり



上記文抜粋
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念仏門の変遷

平安時代、安助上人が、晩年、往生院にて修されていたのは日想観、五念門であったことが、拾遺往生伝に記されてありますが、四天王寺在中時代には、観無量寿経に基づいた阿弥陀講、往生講の講師として講式を修されていたことが分かります。

平安期の浄土教は、観想中心の念仏行であったわけですが、法華験記、拾遺往生伝、後拾遺往生伝、二十五三昧会などにおける行法を詳しく見てみると、天台法華、台密、東密による真言行が圧倒的にその中心となっていたことが窺えるのであります。

念仏門は、観想念仏から、密教念仏、そして、称名念仏と多様な変遷を経るわけです。

往生院金堂跡からは、梵字キリークの瓦が出土しており、密教的な浄土教も奉じていた可能性が高いと推測できます。

観想念仏と密教念仏が融合したあり方であったと思われ、どのような勤行、修法が日々営まれていたのかについても、また調べて参りたいものであります。


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抜粋終わり


観想するって、難しいし、在家には、無縁と思っていた。

最近大日経を在家にもわかるように翻訳した文庫が出て、それを読んでいると

「観想で出たビジョンも、この世の現実も、「あてどない幻想」であるのは、かわらんよね」

て趣旨の文があった。

この世の現実って奴も、物質也五大六大の転変で生み出された「かりそめの、姿」

「行者・人間の観想ででたビジョン~仏や人やモノ」も、当然に「かりそめの、姿」

幻術師が出した「幻の人」が、また「幻の人」を生み出すようなモノ・・てこれも大日経に同じような文が。

まあ他の経典にもあるだろうけど、それはともわれ、「その通り」だろうね・・・
て思う。

究極的にいえば「現実」も「我々の観想や妄想」も、本質的に「変わらん」のですよね・・「現実」として究極的には。

それのなんかの原理で、「観想することで、現実を変える」ってのが、現世利益を生み出す原理の一つらしい。

そう考えると「感謝瞑想」とか「引き寄せの法」が、まったく無意味でもないのもわかるが、なぜに「危うい」のか・・・

そりゃ、無意識に雑多な「私欲」「私憤」「周囲の悪意」が混じりやすいから、それが落とし穴になるからと思う。

なんせ「千日回峰行」を満願した行者さんでも「天狗」に落ちてしまうのだから。・・


素人・在家で、瞑想を遣りすぎると、どんな落とし穴にはまるかわからん・・てね・・


でも改めて「観想」って大事だな・・て。

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