「お救い小屋」以下の天皇施政下の福祉。
より
上記文抜粋
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社区食堂こそ福祉
社区食堂は、私が住んでいるような大都市中心部にもあり、特に昼時は高齢者を中心に大いに賑わっている。
記事には「1食=10-20元(200-400円)」とあるが、セルフ方式で皿を取って精算し、食べる形式。
さすがに10元では野菜料理しか取れないが、ご飯と汁物は無料なので、基本的には問題ないだろう。
学食よりもちょっと高い程度か。
単に貧しい人に食事を提供するのみならず、地域の社交場として機能している感じだ。
地域によって異なりそうだが、私の住む町の場合、市の社会福祉協議会みたいなところが運営している。
自治体がバックにあるため、大きな建物で大々的に運営されており、働いている人も多く安心感がある。
非常に社会主義的で良い。
これに対し、日本の子ども食堂は寄付とボランティア(とわずかな補助)で成り立っており、小規模で細々と運営されている上、安定感がない。そもそも「貧しい子ども」限定であるところも非常に差別的だ。
さらに言えば、「真面目に働かない(母)親が悪い」などの通俗道徳差別にさらされており、食堂に行くこと自体が「恥ずかしい」と見なされる社会風潮もある。
そも発想は「死なない程度に生存だけは保障してやる」という(天皇制)明治道徳に基づいている。
福祉とは英語の「Welfare」の訳語で、本来は「幸福感」や「豊かさ感」を表す。
つまり、日本式の「貴様の命は天皇のために死ぬべきものだから、その時まで生存だけは保障してやる」という発想は全く福祉の概念とは相容れないものであり、貧しい人々が後ろ指をさされてこっそり食事するような場所は福祉ではないのだ。
万人=地域住民が安心して食事をして、大声で楽しく交流する場こそ、本来の福祉なのである。
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抜粋終わり
叡尊さん・忍性さんが、泣いてあきれる日本の福祉の発展度の無さです。
天皇など無いほうが、日本人には好都合ですよね。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。
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