メンヘラの生き残りのための兵法。仮 作戦第二
孫子 作戦編第二は、メンヘラをメインに書くのは難しい感じだけど、少し広げて、当事者だけでなく、関係者や医療に関わる人も含めた視点も入れてみます。
一度心が病むと、それだけ、心身だけでなく、経済面・生活面も、疲弊します。
また長期化すると、医療者も当然に疲弊します。
違う視点から見ると、、、当事者が、治療に関して、「負荷の大きい治療・社会復帰策」を取るのは、それだけ前の準備やある程度の治療・復帰への過程を経てないと、困難である。と言えます。
他の観点から言うと、「治療・社会復帰」に関しては、情報・当事者の心身の健康度やスタミナ、環境整備や、適切な時期とうの、綿密な調整や治療が大事になるので、容易な判断で行うってのは危険が伴うことも考量すべきなのです。
余りに「高遠」な目標を求めると、それまでが大変で消耗しつすことも多々ある。
また、治療には、当事者も時間や経済力・人間関係を消耗していくのだ。
その辺を周囲の人や、医療関係者はみてないといけない。
「病は治りました。でも時間がかかって社会復帰しても・・」て自死してしまうなり自棄になって犯罪に走ることもあるし。生活が崩壊して待っているのですよ・・・病は治っても・・
癌の治療で顕著なように
「病は治っても、身体が持たずに死んでしまった」
みたいなことが、現代医療には多いです。
また、どうも日本の医療思想がそれを容認しているようなところもありま
す。
当事者や当事者を大切に思う家族・周囲はその辺の「落とし穴」に警戒が必要です。
病を「敵」とだけみて叩き潰しても、それでは予後・社会復帰後が、大変になります。
その過程で学びや自己の生き方の改善をして「敵の利を取る」のです。
まあ速戦即決が治療・社会復帰で一番ありがたいが、メンヘラはそれは「考慮せずに戦う」ことに直結しやすいので、勧めはしないけど。
その治療や復帰の要を知ることが、当事者が人生の主役になる事であり、その周囲の関係者や医療者も、病からその自分の主体性を奪還することが可能になるのです。
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前の「始計編」 ほど、旨くメンヘラのための知恵を書けたとは思えませんが、なんらかの役に立てば幸いです。
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