本当の闇・・・リベラルの闇・・・天皇は闇の塊・・

より


上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・

昨日の動画で、プーチンが21日にロシアで行った国際イベントでスピーチを行って、行き過ぎた左翼思想を猛批判した事について軽く話をしました。
そのスピーチに興味がある方もいらっしゃる様ですので、今回は彼のスピーチの内容を皆さんに紹介します。
先ず私はロシア語が分かりません。ですので、私が皆さんに紹介する内容は、私がネットで集めた、既に他の言語に翻訳されている内容になりますので、100%一致する翻訳ではないと思います。

・・・・・中略・・・・・・


【本編】
この脆弱な現代社会では、道徳・倫理・価値観の重要性が急激に高まっています。
実は価値観は産物であって、あらゆる民族の歴史の発展と共に生まれる独特な産物です。
民族間の交流は、確かに各民族の視野を拡げて、各民族を豊かにして、彼らが自分の伝統を見直す事を可能にしました。しかし、このプロセスは有機的でなければいけない。決して早い事ではありません。
どんな外部からの要素も拒否される可能性があるし、場合によってズバリと拒否されてしまいます。

あらゆる自分の価値観を他人に押し付けようとする事は、状況を更に複雑化するだけではなく、多くの場合、期待と反する反応と結果を招く事になります。
我々は今迄、進歩の代表と言われている国々で進行しているプロセスに驚いています。
勿論、アメリカや西ヨーロッパで起きている社会的・文化的衝撃は、我々と関係ありません。我々はそれから離れています。
欧米の一部の人は、自分たちの歴史を部分的に削除し(キャンセルカルチャー)、少数派の為に、多数派を逆差別し、父、母、家庭・・・更には性別の観念まで放棄する様に主張しています。
彼等は、この全ては、社会を再生させる道のマイルストーンであると考えています。

私がここで言いたいのは、彼らはそうする権利がある。
しかし、私たちは同じ事をするのを拒否します。
又、彼等は、我々の事を干渉しない事を願っています。
我々には違う見解がある。
少なくともロシア社会の多くの人は、この事について違う見解を持っています。
我々は我々自身の価値観、我々の歴史と我々の民族、国家の文化に頼らなければなりません。

所謂「社会進歩主義」の擁護者は、彼らが人類に新しく、より良い意識を紹介していると信じています。
しかし私がそれに対して、言いたい唯一の事は、それらの事は新しい処方箋ではありません。
これを聞いて、驚く人も居るかもしれませんが、ロシアは既にそれを経験しています。
1917年の革命以降、ボルシェビキはマルクスとエンゲルスの教義に基いて、当時の政治経済だけではなく、人の道徳と健全な社会の基礎まで変える事を言いました。

伝統的な価値観、宗教、人と人の関係が破壊され、家族を拒絶し、親しい人の事まで密告した。
それらの全ては、「進歩」だと言われました。

当時、この様な思想は、今の様に流行っていました。
しかし、言わないといけない事は、ボルシェビキは彼ら以外の意見を、絶対容認出来ませんでした。
この歴史の話は、我々が今見ている事を思い出させると思います。
欧米の一部の国で起きている事を見て、驚いていますが、幸いな事に、我々はその歴史から遠く離れています。

学校や大学が、過去の偉大な作者の作品を教えなくなった時、平等と反差別の闘争の殆どが過激な教義に変わりました。何故なら、偉大な作者の思想は、もう古いと思われているからです。
古典文学は、性別と人種の重要性について何も知らない為、もう落ちこぼれたモノだと見られています。
ハリウッドで、ストーリーの記述や映画では、肌の色や性別の割合がどれ位あるべきかが決められています。これは、ソビエト中央委員会の宣伝部よりも悪いです。

反人種差別は必要かつ気高いミッションですが、しかし、新しいキャンセルカルチャーは、それを逆差別にした。つまり、逆人種差別に変えました。本当の公民権の為に闘っている勇者は差別をなくし、肌の色で人を分ける事を無くそうとした時、人種に対する必要以上の強調は人々を更に分断しています。

特別に自分の同僚に頼んで、マーチン・ルーサー・キングのこの言葉を見つけ出して貰いました。
「いつの日か、私の4人の子供が肌の色ではなく、品格によって評価される社会で生きる事を夢見ています。」 
これこそが本当の価値観です。
しかし、今の状況は少し違います。ついでに言いますが、ロシア人の大多数は、人の肌の色や性別が重要と考えていません。

私たち1人1人は人間です。これがもっと重要なポイントです。欧米の一部の国では、男女の権利に関する議論は完璧な幻想になっています。
聞いて下さい。ボルシェビキが行きたい所に行ってしまう事に、気を付けて下さい。そこでは、鶏が国有化/共有化だけではなく、女性も国有化/共有化になります。後、もう1歩踏み出せば、そこに辿り着いてしまいます。
一部の過激な擁護者は、それらの概念すら消そうとしています。生物学上では事実であっても、男性と女性が存在する事を主張する人は廃絶される。
自分の性別が分からない人が不安に感じる可能性があると言って、父、母ではなく、親1号、親2号。母ではなく出産した親。母乳ではなく人乳に変えています。

繰り返しますが、これは新しい事ではありません。所謂「ソビエト文化専門家」は、いくつもの新しい単語を発明して、新しい意識を生み出して、価値観を変えていると考えていました。
そして、私が言った様に、彼等は全てを台無しにしました。今、その時の事を思っても、恐ろしくてゾッとします。今は本当に怖い事が起きています。子供は幼い時から、男の子は簡単に女の子に変われる。女の子も簡単に男の子に変われると教わっています。
つまり先生たちは、全員が性別を選べる事を無理矢理教え込んでいます。又、彼らがこの様な事をすると同時に、親たちをそのプロセスから排除して、子供たちに一生後悔する可能性がある選択をしてもらおうとしています。
彼等は子供に、心理カウンセラーに相談すらさせません。幼い子供には、その様な重要な決断をする能力があるでしょうか?

正直に言うと、それは人道に対する罪で、しかも進歩の名の下で行われています。それが好きな人は自由にやらせれば良い。我々は前から政策を作る時、健康的な保守主義を指針にすると言ってきました。
それは数年前の事で、当時、国際社会の情熱は、ここまで高くなかったが、それでも暗い雲が集まり始めたと言えます。
世界の構造が破壊されて、リスクと危険が増大し、現実の脆弱性が突出している今、政治の基礎として、合理的な保守主義の重要性が急激に上がっています。
この様な保守的なアプローチは、無知な伝統主義ではなく、ゲームの変更や規制を恐れて、自分の殻に隠れる抗体ではありません。これは主に、長年の伝統、自分と他人の実際の評価、物事の優先順位に対する正確な調整等による過激主義を、根本的に拒絶する為の方法です。
率直に言って、これから来る長い時間が掛かる可能性があるグローバルの再建の最終的なデザインは、未だ不確実です。

私の答えは、温和的な保守主義は最も合理的な路線です。同じく我々ロシア人にとって、これは単純な仮説ではなく、我々が悲惨な歴史から学んだ貴重な教訓です。
しっかりと検討されていない社会実験のコストは、とてつもなく高いです。この様な事は人間が生きていく為の物質的基盤を破壊するだけではなく、人間の存在を支える精神的基盤も破壊してしまう。
そして長い期間、それに置き換えられるモノは構築されません。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

反人種差別は必要かつ気高いミッションですが、しかし、新しいキャンセルカルチャーは、それを逆差別にした。つまり、逆人種差別に変えました。本当の公民権の為に闘っている勇者は差別をなくし、肌の色で人を分ける事を無くそうとした時、人種に対する必要以上の強調は人々を更に分断しています。

これは現状を旨い事言っている。

ボルシェビキが行きたい所に行ってしまう事に、気を付けて下さい。そこでは、鶏が国有化/共有化だけではなく、女性も国有化/共有化になります。後、もう1歩踏み出せば、そこに辿り着いてしまいます。
一部の過激な擁護者は、それらの概念すら消そうとしています。生物学上では事実であっても、男性と女性が存在する事を主張する人は廃絶される。

だよね。


ロシアは「ラディカルフェミニズム」を「危険思想」にする提案なりがでているとか。


でも「フェミニズム」全般ではないですよな。そもそも「リベラルフェミニズム」を擁護しないと、ロシアは、報道官すら居なくなるしね。

酔生夢人のブログ


 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・
ひとつの疑問

奴隷、あるいは奴隷的境遇の人間が愛国者であることは(洗脳以外に)可能だろうか。

国家や政府が彼をそのように悲惨な境遇にしていながら、その悲惨の根源(主犯)を愛することが理性的に可能だろうか。

つまり、革命が起こる国は、革命が起こる必然性があったということだ。
ロシア帝国しかり、清朝シナ(当時は中国ではないので、こう書いておく)しかり、キューバしかり。
共産主義を恐れ、弾圧する国は、その国の中に革命が起こる必然性があると自ら認めているわけである。
では、今の日本はどうか。下級国民の貧しさはどんどん悪化しているが、それが「大資本」や、格差を作り拡大する社会システムへの憎悪にならないのは、社会洗脳装置であるマスコミのためだろう。
一部の政治家の不正だけがマスコミに取り上げられるが、国家としての「分配機能」が機能していないことを明言したのは岸田だけではないか。第一野党の立憲民主党など、共産主義を憎悪すらしている。(私自身、共産主義は勧めないが、政府の「社会主義機能(ある程度の所得公平化機能)」は絶対に必要だ、という考えだ。)まあ、岸田がどのような政治をするかは、すべてこれからの話だが。


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり


ねことそらのあひだ

より


上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・・
眞子さまの指輪はアンドヴァラナウトか(1)

東京五輪2020閉会式の8月8日にはじまる、イザナミ高天原「創世の時」の流れ。

「これバリやば!」ってカンジだったのに、10月22日「オワリのはじまり」の日に想定していた阿蘇山が20日に噴火して以降、22日も25日の警戒日もセーフ。

あれ?
どげんしたと。

とまあ、厳重警戒モードに入ってた僕としては、肩すかしをくらった気分。

もちろんそれは「善きこと」なのだけど、事象読みの立場からすればどうにも解せない部分が....。


そんななか迎えた10月26日。
ご存じ、「原子力の日」。

1stステージではこの日に、福島第一原発3号機の国内3例目となるプルサーマル営業運転がはじまり、137日後の2011年3月12日にまず1号機が大爆発した。
「137」はイザナミの事象数だ。

もしあのあとさっさと原発を捨て、再生可能エネルギーに舵を切っていれば、いまごろ日本は国際社会をリードする立ち位置だったのにな。

逆にいまや、最低賃金とともにこの国は先進国のドンケツ。

ビジネスにおいても、このさき日本はどんどん取り残されてゆく。
化石燃料を使う企業とは取引しない方向へと、世界が動いているからだ。

僕はSDGsをすべて支持するわけじゃないけども、それが現状。

はっきり云うけど、既得権益の塊りのような政党と政府はブッ潰さなきゃ、この先はない!

どっぷり既得権益の自民党では、このめまぐるしい変化の時代にとてもついてはゆけない。
ぜ~ったいムリ!
がんじがらめで動けるわけないじゃん。

だいじなのはフットワーク。
それは新型コロナでもはっきりしたよね。

重い足かせのついた老人たちに、フットワークを期待する方がどうかしている。

みなさんもその辺のトコよ~く考えて、かならず選挙に行きませう!!


ノータリンの安倍が、足りない頭でわが国初の原発輸出政策を実行した2013年。

おかげで東京五輪決定のかげで「再会のイザナミ」は殺され、いま僕らは国難の時代につづき、イザナミ高天原のもと、さらなる報復攻撃にさらされようとしている。

では国家総動員体制ではじまったその原発輸出はどうなったのか。
すこしは日本経済の足しになったのかといえば....。

もののみごとに全滅!

まさにバンザイ突撃。
亡国の安倍だった。

バラまき外交で使われた莫大な国費も、すべては湯水と消えた。

で、けっきょく僕らの手元に残されたのは、イザナミからの請求書。
「東京2020の呪い」という、僕らが支払うべきツケだけだ。

ではどう支払えばいいのか。

それが決まるのが、「ヒロシマの岸田」による10月31日の「みらい」選択選挙。
ということになる。

脱炭素社会を実現するには原発増設しかない!
そういう旧時代のノータリンどもの政府になれば、とうぜんイザナミはこう思う。

ではもう一回やってあげよう。
って。

すなわち、当ブログのいうところの「恐怖のみらいくん」だ。

ことし3月7日、イザナミ高天原の「恐怖のみらい」宣言。
で、こんどは「ヒロシマの岸田」が言うにこと欠いて、「みらい選択選挙」宣言だよ。

この一致、偶然だと思う?


もしフクシマのあと、この国が本気でエネルギー政策の転換を打ち出せていれば、イザナミはイザナギと再会し、キとミの「君が代」へと向かえた。

いまそういってもほとんどの人はピンとこないだろうけども。

かりに第二の原発事故が起きなくても、あと10年とたたないうちに多くの国民がフクシマの意味を理解し、現状を憂えてこう嘆くようになる。

ああ、あれが最後のチャンスだったんだ。
あのとき日本は、変わらなくちゃいけなかったんだ、と。


10月26日。日本原子力の日。
千代田区「隼」町のホテルグランドアーク半蔵門の「華」の間。

午後の結婚会見で指輪が光る眞子さまの左手をTVカメラがズームした、その1時間前。

トカラ列島(十島村)では、イザナミの諏訪之瀬島がついに爆発!

観測史上最長距離のパワーで、巨大な噴石を飛散させている。

そして、

10月22日と25日のセーフはいったいなんだったんだ!?

っていいたくなるくらい、

10月26日「原子力の日」は、これまでのヤバい流れそのままに、「イザナミ高天原」の事象日と化していったんだよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり


国民の信用を棄損し、日本人の生命と安全・財産を損なう、天皇と日本国に、存在の意義があるのだろうか。

「天皇こそ日本・天皇なければ日本は無い」とかいう洗脳による伝統は、高々、150年。その前は「御公儀」の幕府と藩が、日本人の生活の制度だった。天皇など「神官の一人」に過ぎなかった。
そもそも江戸開府から天海が「天皇、いらなくね~」って言っている。徳川政権の「文教のトップ」が言っているのだ。それほどに「天皇」は、日本人の生活に「無縁」で神仏ような必須のものでは無かったのだ。

参考


家康の右腕であった天海が天皇と公家を「伊勢へ移らしめられ、大神宮の神主に為され候へば」、自然に将軍家は天皇同様の権力を保持できる、と言ったのだ。これは天皇制の廃止案であり、天皇を伊勢の神官にすることで、政治の舞台から古代のシャーマンへ戻す提案である

天皇は、絶対化し、異論反論を抹殺して、日本人の奴隷化・家畜化を為しつつある。

もう、天皇は、廃棄しかないのだ。リベラル思想が、多くの人命を食い散らす以上に、天皇は日本人を殺し奴隷化している。

リベラルも、もう全面的な「再検証」なくば、前代の負の遺産にしかならない。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?